第54話 影の救世主

「あの時、たしかに水槽は爆発しおった。あんたはギリギリのところで、試練に失敗してしまったんだ。本当のところは……怒らずに聞いてくれ。本当のところは、当初ワシの予定では、試練は失敗に終わり、勇者の装備を消し去ってしまうつもりだったんだ」


「え……」


「もし、あのまま勇者の装備を手にしていたら、強大なアイテムの力に頼り、あんた自身の力は伸ばされない。それに、あんたの精神力をもってすれば、勇者の装備を失うという逆境くらい、易々と乗り越え、さらなる成長を遂げてくれると、確信しておったんだ。

 だがしかし、実際は大きく異なった。予想以上にあんたは善戦し、爆発寸前まで水槽のフチに立って勇者の装備を守ろうとした。

 ワシが想定していた以上に、あんたの精神力は、ウンと成長していたんだよ」


 そうだったのか。だから今回の試練は、半端なく辛くて難しいものだったのだ。


「魔法で水槽のまわりの空間を一瞬にして真空状態にして、炎を封じ込める。それでも余った衝撃のエネルギーは、反射魔法を利用しベクトルを変換して、内側に向けた小爆発を繰り返し発生させることで、徐々に収束させていく。この一連の動作を、わずかコンマ何秒かで行わなければならない。

 ……正直、さすがのワシとて、あの爆発を至近距離で喰らう者を助けることができるか、五分五分といったところだった。すぐ隣に居れば、なんの心配もない。絶対に安心だ。だがあの時、あんたは小屋からかなりの距離があった。それになぜだか、あんたは男の急所である陰部を曝け出しておった。……不思議なことが起こらなければ、本当に、かなり危なかったかもしれん」


 正一爺は、『不思議なこと』という部分をやけに低い声で言った。


「不思議なこと、ですか?」


「そうだ。なにか黒い巨大な影が、目の前をフッと通り過ぎたかと思ったら、あんたと、水槽からこぼれだした勇者の装備が、独りでにワシの許へやって来たんだ。音速の爆風よりも速く。まるで地面を這うようにして。

 不思議なできごとだったわい。形のない影が、あんたと、あんたの大切なアイテムを、包み込んで守ってくれたんだ。……そうして、ワシが間に合わないと判断して、最終手段である固有スキルを発動しようとした瞬間、あんたたちは仲良くワシの膝元へ届けられて、事なきを得た、という訳だ」

 

 地面を這う、黒い巨大な影……。まさか、あの鯉金魚の精霊たちだろうか。彼らが、俺の命を救ってくれたのだろうか。

 

 だが、今となっては、事の真相を確かめようもなかった。


「体が動くかどうか、ちょっと一回、立って確かめてみろい」


 俺は、おそるおそる、その場で立ち上がってみる。多少フラつきながらも、なんとか両脚で体を支えることができた。


 ジャンプしたり屈伸したり……運動機能を念入りに確かめる。

 ウン、やはりどこにも問題がない。俺は正真正銘、奇跡的な無傷の生還を果たしたらしかった。

 

 それどころか、以前と比べて、まるで別人の体になったみたいに、格段と体が軽くなったように思える。

 まるで濁りや不純物が、体の中からスーと立ち消え、透明でクリーンな物質で満たされたような……。


「よかった。問題はないようだな。これで一件落着、落着っ」 


 正一爺は機嫌のよさそうに俺の体を観察すると、ゆっくりとした落ち着いた動作で、台所へ向かった。


「試練は失敗したが、ワシとの勝負は、あんたの勝ちだ。それに……ワシのせいで、あんたを危険な目に遭わせてしまった。これは、ほんの、お詫びの気持ちじゃが……」


 正一爺の手には、ホットミルクの入ったコップと、目玉焼きと、ベーコン、それからイチゴジャムが塗られた食パンの乗った皿。


「こんどは冷めていない。ホッカホカの食事だ。ワシは先に家へ帰ってるから、腹ごしらえを済ませたら、戻ってこい。そこで、次の試練の相談をしよう」


「はいっ」


 俺は迷いなく、首肯した。正一爺は、食事をテーブルに置くと、手を蝶みたくヒラヒラさせて、朝陽の溢れる小屋の外へ出ていった。


 その、かしいだ小さな背中が、ほっと優しく息をついたように見えた。

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