第50話 無視できぬ虫
水槽の下部、つまり強力な胃酸で満たされた所が、鮮やかな黄色の光を放っているのだ。それはまるで、エナジードリンクにブラックライトを当てたかのような、幻想的な光景色である。
だが、問題の本質は、そこではない。
鮮やかな光に誘われたらしい、蝶やカナブン、蜂などの様々な昆虫たちが、水槽の内側にへばりつき、上層の水をチューチューと飲んでいるではないか。
その様子はまるで……モラル無き虫たちのバイキング会場。タダで開催される、善意に満ちたドリンク飲み放題!
「ふざけるなっ! 俺が必死こいて汲んだ水を、ゴックゴクするんじゃねえっ!!」
俺は顔面を真っ青にしながら、水槽へ駆け寄る。バケツの水を豪快に水槽の中へ放り入れ、へばり付いた虫たちを蹴散らす。
「シッシ、あっち行けっ」
一体どれだけの虫が、とっかえひっかえ、俺が手塩に掛けて増やしてきた水を飲み荒らしてしまったのだろうか。
水面は……ああ、めっぽう下がり切ってしまっている。蠟燭の火を乗せた笹船は、もはや着火寸前っ!
胃酸と笹船を隔てる水の厚さは、わずか数十センチ。これだけの勢いで水が減り続ければ、長時間は持つまい。大爆発は不可避である。
「あ、言い忘れておった。上級ダンジョンに棲むキングガマガエルは、口から金色の光を放って、食料である虫をおびき寄せる習性があるんだ。光を目にした虫は、とたんに激しい飢えと喉の渇きに襲われて、自然と光の方に集まってくる。そこを狙って、ペロリンッと一飲みさぁ。
光の源は、例によってこの胃酸。こいつには、火気で大爆発を起こすほかに、胃袋の中、つまり暗所に置かれると、虫を誘惑する特殊な光を放つ性質があるんだよう……」
薄闇にぼうっと銀の影を浮かび上がらせる正一爺は、得意げにそう語るのだ。
マズい。非常にマズいぞ。ぐんぐん日は沈み、残り一往復を残したところで……最大級のピンチに陥ってしまったのだ。
とりあえず、まずは水槽に群がる虫どもを遠ざけ、二度と近寄れないようにしなければならない。
方法は。なにか方法は……。
そこでふと、水槽に浮かぶ笹船が目に入った。
「正一爺さん」
「なんだ?」
「蠟燭の火を消すのは、ルール違反でしたよね」
「もちろん。まあ、魔法の火だから、普通の手段で消すことはできないと思うがな」
「じゃあ、増やすのは?」
「へ?」
「つまり……蠟燭の火を、別の場所へ燃え移らせるのは?」
正一爺は、訝しそうに「うーん、ダメって訳ではないがのう」と頷く。
返答を聞くと、俺はすぐさま作業に取り掛かる。
そこら中から落ち葉をかき集めて、水槽の周囲に散らしていく。落ち葉をある程度の高さで山積みにして、水槽を囲うことができたらば、今度は葉の付いた長い木の枝を探して拾ってくる。
水槽のフチに身を乗り出し、笹船の火を葉に燃え移らせると……すぐさま落ち葉に着火っ!
たちまち火は周囲の落ち葉へ延焼し、水槽は、真っ赤な炎の壁に包まれてしまう。
「……い、一体、なにをするんだ?」
メラメラと水槽を囲う炎を前に、魅入られたように立ち尽くす正一爺。
「虫は火の煙を嫌う。ここへ来てから、身に染みて学んだことです」
炎から立ち昇る黒煙に、水槽にへばり付いていた虫たちが、堪らず逃げ去ってゆく。あれだけ集まっていた虫の数々は、魔法の火を前に、一匹残らず逃げ去ってしまった!
そう、イノシシの一件で、解決すべきとされていた問題を、今度は逆に利用してやったのだ。
だがしかし……水槽の温度はたちまち上昇し、上層の水は容赦なく蒸発していく。
苦渋の決断。虫たちが吸い上げる水の量よりも、炎の熱によって蒸発する水の量の方が少ないと判断し実行した、まさに諸刃の剣な作戦なのだっ!!
あとは……タイムリミットまでに、バケツの水を運びきれるか。
水をこぼさない正確無比な動き、かつ一切の無駄がないスピーディーさが同時に要求される。これまでの努力と経験の積み重ねの集大成をみせるときが、ついに来たのだ。
俺は、バケツを持って、走る、走る、走るっ! 勇者の装備を守るために。まだ見ぬ勇者への未来を、掴み取るために!!
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