第24話 レベルの現状
すべての装備品を掃除し終えるころには、どっぷり日は暮れ、あたりはすっかり夜の静けさに包まれていた。
畑の虫たちが、リンリンと爽やかな鳴き声を披露している。
俺の足元には、小川の水でずぶ濡れになった、毛の抜けきったタワシ。
それから、火球の赤い光を反射してテラテラ照り輝く勇者の装備が、無造作に転がっていた。
ひんやりした夜風が吹く。疲れ切って熱を帯びた体が、心地よく冷やされてゆく。
「よし、これだけ綺麗に磨ければ、問題はなかろう。積もり積もった垢を落としてもらえて、装備たちもきっと心底喜んでいるに違いない。……そうだ。せっかく綺麗になった装備を、いちど着てみるといいぞ。あんたのサイズに合うかどうか、ちゃんと確認してみないとな」
「でも、正一爺さん。俺のレベルは、たったの1なんです。これらの装備の推奨レベルにはまだ、到底届きそうにもありません。俺は本当に、正一爺さんの装備を着ることができるんでしょうか?」
【勇者の大剣】の推奨レベルは80。【勇者の胸板】の推奨レベルは85。
【勇者の腰当て】の推奨レベルは80。【勇者のネックレス】の推奨レベルは90。
ああ、見たこともないほど高いレベルの数値に、目が眩んで頭がクラクラしてくる。
そう、正一爺が俺に授けてくれた装備品の数々は、単なるレアアイテムなどではなく、本来は世界でたった一人の勇者のみが手にすることのできる、超超激レアアイテムなのだ。
そんな代物を、まだロクに戦闘も行ったことがないこの俺が、扱い切れるなど、到底思えない……。
「なるほど、身の丈に合った装備を選ぶ。ウム、殊勝な心掛けだ。心掛けではあるが、そんな気弱な態度では、決して勇者などにはなれんぞ」
正一爺は、目に鋭い光を宿しながら、厳しく言い放つ。
その険のある物言いには、様々な苦難を乗り越え、勇者にまで上り詰めた正一爺だからこそ体現することのできる、至極真っ当で愛のある厳しさがあった。
「たしかに、装備の推奨するレベルは、あんたにとって、遥か遠い未知の数字なのかもしれん。だがしかし、推奨レベルとは、あくまで推奨に過ぎない。レベルに至らぬ者でも、装備することは十分に可能なのだ。
それが、勇者寸前の上級者でも、右も左も分からぬ初心者でも同じこと。大切なのは、その者が胸に秘めた、素質や才能だ。数字ではっきりと表された『レベル』がすべてではない。努力次第で、なんとでもなるのだ」
そう言い切ると、正一爺は、装備品の一つを軽々しくヒョイと持ち上げてみせた。
つるりとした紺色のぶ厚い鉄のような素材でできた胸板。
まるでドラゴンの首根を刈り取って、そのまま装備に変えてしまったかのような、男心をくすぐる、なんともイカしたフォルムをしている。
中央には、ルビーのような紅色の宝石が鮮やかに埋め込まれていた。
「ほれ、四の五の言わず着てみい」
正一爺が、頭の上から落とすようにして、【勇者の胸板】を俺に着させてくれる。
次の瞬間。
まるで俺の立つ位置だけ、重力が千倍に膨れ上がったみたく、全身がどっと重たくなる。
膝がガクガク震え出す。今にも腰がひしゃげて折れ曲がりそうになる。
……ダメだ。我慢の限界だ。これ以上、立っていられない。
ズドン! 磁石で吸い寄せられるみたいに、俺はだらしなく、胸から地面に倒れ伏せた。
【勇者の胸板】の、そのあまりの重みに、全身の筋肉が悲鳴を上げ、地面から起き上がることすらできない。
まるで【勇者の胸板】に拘束されてしまったかのように、俺は微動だにすることができなかった。
「ガッハッハッ!! それじゃあまるで、あんたが装備しているんじゃなくて、装備アイテムがあんたを装備しているみたいだっ。ガッハッハッハァ!!」
正一爺は、俺の無様な様子を見るや否や、腹をかかえて大爆笑する。
「う、動けない。た、タスケテ……」
正一爺は、【勇者の胸板】を簡単そうに片腕だけで持ち上げると、腰の引けた俺を立ち上がらせてくれた。
他の装備品も、結果は同じであった。
【勇者の腰当て】は、その規格外の重さから、着るとたちまち地面に磔にされ、まともに動くことすらできない。
【勇者の大剣】は、ダイアの散りばめられた鞘から剣を抜くと、途端に鉛のような重さになり、危うく刃身の自重で右足首を切断しかけた。
【勇者のネックレス】は、見た目以上の重さに加え、滲みだす膨大なエネルギーによって首元が灼熱にうなされ、まるで斬首刑に処された囚人のような気分を味わうハメになった。
「……やっぱり俺には、勇者の装備なんて、早すぎたんですよ。これじゃあ、戦闘はおろか、まともに歩くことすらできない」
「フム、訓練のやり甲斐があるということ。そういう後ろ向きな思考が、良くないと言っておるのだ。死に物狂いでワシについてきて、懸命な努力を重ねれば、いつかきっと、自在に扱いこなせるようになる」
有無を言わさぬ態度で、きっぱり言い切ると、正一爺は山の方へ歩き始めた。
「現状を知ったところで、つべこべ言う前に、山の訓練場へ向かうぞ。今晩はそこで夜を明かし、日の出の早朝から、さっそく訓練を開始する」
「……えっ、家に戻らないんですか?」
「当然至極っ! ずるずる鉄の塊を引きずって、朝になったら、また同じ道をずるずる、ずるずる、歩いて往復する……そんな馬鹿がどこにおるかっ! 時間は命っ! 勇者の鉄則だっ!!」
「は、はいぃ……」
往復する時間も惜しいという事か。
家に帰って風呂に入り、梅子婆の作った夕飯で腹を満たし、もふもふ布団の上で寝たいものだが……ここは、諦めるしかない。
元勇者であり師匠でもある正一爺の言うことは、絶対なのだ。
俺は、宝の持ち腐れである勇者の装備を引きずりながら、半べそ顔で正一爺の後を追いかけた。
それから、闇のただよう不気味な森を進むと、伐採場とは反対側の山を抜け、体力が限界を迎える寸前で、ようやく目的地に到着した。
急に斜面がなだらかになった、広くひらけた場所。
木がまばらに生えているのが見え、木の小屋らしき建物の輪郭が、薄闇にぼんやりと浮かんでいる。
正一爺の操る火球の明かりだけが、視界を確保する唯一の光源だったため、あたりの様子を詳しく知ることはできなかった。
「ここらで一旦、眠るとするかのう」
「え、あの、布団とか枕とか……」
「下を見てみろ。ふっかふかの落ち葉が、そこら中にあるじゃないか。どうせ使えないんだから、装備のどれかを枕代わりにでもするといい」
「……」
俺は、手元の【勇者の大剣】をたぐり寄せて枕替わりにし、ゴロンと落ち葉の上に寝ころんだ。
「あ、それはやめておけ。朝起きたら、頭と胴体がバイバイしているかもしれんぞ」
「……」
そうして、魔境のような見知らぬ山奥で、まんじりともせず夜を明かすのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます