唯ひとつの星

深茜 了

「私を、あなたのアンドロイドとして雇っていただけませんか」

「えっと・・・・・・?」


目の前に立つ有名なロック歌手は、怪訝さと困惑が混ざったような表情を浮かべた。


 一時いっとき前から人間の文化にアンドロイドが登場した。

アンドロイドというのは勿論、人間の姿かたちをした機械のことを指している。

ある程度の思考能力を持ち、人と同じ動作が可能な為、資産に余裕のある一部の者の間に家事手伝いとして広まりつつあった。


 りつが押し掛けたのはなぎという、有名なバンドのヴォーカリストの自宅だった。

なぎが所属しているバンドはロック調の曲を中心に活動していて、昨年発売した曲が大ヒットして以降人気が冷めやらず、彼らを知らない人はいないのではないかと思われるほど有名になっていた。



 「神田」という表札が掛かった家の玄関先で、ドアを開けた凪とりつとは向かい合っていた。

「どういうこと・・・?」

「言葉の通りです。あなたの家でアンドロイドとして働かせていただきたいのです」

律は先程と同じような意味の発言をした。

「・・・ってことは、君もアンドロイドってことだよね。腕輪してるし」

凪は無表情で話す律を見た後、彼女の右腕に視線を落とした。


アンドロイドは見た目には人間と区別がつかなかった為、見分ける為に右腕の手首に銀色の腕輪をしていた。腕輪にはエメラルドのような緑色の宝石めいた石がいくつか埋め込まれていて、そこから動力を供給する役割もあった。よって律もその腕輪を右腕に嵌めていた。


「とりあえず、ここで立ち話もなんだし、中はいってよ」

凪は開けていた玄関の扉を先程よりも大きく開いた。



 「突然のことですみません」

ダイニングで凪と向かい合って座った律は頭を下げた。目の前の青年はまだ訝しげに彼女を見ている。

「で、どういう事情なんだか話してもらえる?」

凪は緑茶の入ったマグカップをすすりながら律をうながした。

「あなたが所有していたアンドロイドが損壊したというニュースを見ました。確か、交通事故に遭ったとか」

律が淡々と話すと、凪は頬杖をついたまま一度瞬きをした。

「そんな小さいニュース、よく見つけたね」

そして彼は緑茶を飲み干した。

「それで、君が来た理由は?」

「・・・私を少し前まで使用していた持ち主が亡くなりました。アンドロイドは人間の為に働くように出来ています。それで新しい持ち主を探していたところに、そのニュースを目にしました」

「そういうことね」

凪はとりあえず頷いた。律が現れた理由については理解してくれたらしい。

「あなたとしても、代わりのアンドロイドが必要じゃありませんか」

律の言葉に、凪は「そうだねえ」と熟考する様子を見せた。

「まあそれなら新しいのを探す手間もお金も掛からないしね。いいよ。うちで働いてくれ」

そして彼は観察するような目を向けた。

「君、名前はあるの?」

それを受けて律は頷いた。

「前の持ち主からは、「律」と呼ばれていました。旋律の律です。」

「じゃあそのまま俺もそう呼ぶよ」

「私は何とお呼びしたら」

「凪でいいよ。本名だから」

「凪様ですね」

律がそう答えると凪は苦笑した。

「様はなんか嫌だから、凪さんとかで頼むよ」

そして凪は頬杖をついていた手を律に向かって伸ばした。律もその手を握り返した。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」



 律はアンドロイドらしくよく働いた。家の掃除、洗濯、炊事、凪の服のアイロンがけに至るまで、様々な家事をおこなった。

凪については、世間には「凪」という情報しか知らされていなかったが、生活しているうちに様々なことが分かった。


神田凪。26歳。風貌は茶色の短髪に細身の体型といかにもロックスターらしい。

自宅は都心からやや離れた場所にあり、楽曲制作やレコーディングを行うスタジオまでいつも車で2時間近くかけて通っていた。有名になって仕事が増えてからは、その移動時間も相まって家のことに手が回らなくなり、先代のアンドロイドを購入したとのことだった。


「都会って嫌いなんだよね。人が多過ぎて、ザワザワしてて。煩わしいんだ」

スタジオの近くに住むつもりはないのかと聞いてみたら、そのような答えが返ってきた。プライベートでは静寂を好む人間のようだった。

「家事手伝いにしてもさ、アンドロイドを買うより人間を雇った方が安いんだけど、知らない人間は信用ならないじゃん?ほんとアンドロイドが出来て良かったよ」

「そのようなものですか」

律はそう返答するしかなかった。



 凪のタイムスケジュールはまちまちで、勤め人のような時間に出掛けて帰って来ることもあれば、昼過ぎに出て翌朝に帰宅することもあった。いずれの場合も律は出掛ける凪を見送り、帰宅した彼を出迎えた。



 ある日律は凪が仕事に行っている間、家の門から玄関へと続く小道の手入れをしていた。

家の辺りは静かではあるが、田舎らしい寂しさはあまり無く、自然が好きな人間が住む一帯という印象だった。


凪の家の敷地にもよく緑が繁茂はんもしていた為、その手入れをするのも律の仕事だった。

見た目の良くない雑草を抜き、残す草に水やりをしていると、敷地の中に一羽の小鳥が飛んできた。律が試しに手を伸ばしてみると、意外にもその小鳥は逃げる素振りを見せなかった。

そして律はエプロンのポケットにパンが入っていたことを思い出すと、細かく何個かに分けてちぎった。アンドロイドは肌や髪等に人間と同じ成分を使用しているので、いくらかの食事を摂る必要があった。


小さくなったパンの欠片を試しに地面に落としてみると、小鳥はそれを残さずついばんだ。

玄関先の段差に座り、日差しが降り注ぐもとで小鳥を眺めていた律は気づくと微笑んでいた。

穏やかな空の下、風が吹き抜けて、彼女の茶色くて長い髪を掬った。



 小鳥が去った後律が腰を上げて玄関に入ろうとすると、駐車場の方から凪がやって来た。

「お帰りなさい。今日は早かったですね」

車の鍵を手で弄びながら凪は苦笑いに似たような笑いをした。

「朝があんなに早ければ、さすがにね」

「今コーヒーを淹れます」

そう言って台所に向かおうとする律を凪は引き止めた。

「いや、たまには自分でやるよ。ずっと働いてて大変でしょ」

「いえ・・・?アンドロイドは常に働いているものですから」

疑問に思いつつも無表情で応答すると、凪は再度首を振った。

「いいからいいから。少しは家のことも自分でやらないと、何も出来なくなっちゃいそうだし。君の分もついでに淹れるから、二人で休憩としよう」

そして凪は二人分のコーヒーを淹れてくれた。それを律は罪悪感を胸の内に感じながらちびちびとすすっていた。



 律が神田家に来てから三週間が過ぎようとしていた。その日凪は休日で、昼になると律は昼食を用意した。その日はシーフードのドリアを作り、お待たせしました、と凪に声を掛けるとそれぞれの席にドリアを置いた。

いつものように向かい合ってそれを食べる。よく晴れた日だったので、窓から入った光が食卓を照らしていた。

「相変わらず豪華な食事作るね。家でドリアとか、冷凍食品でしか食べた事無いよ」

凪がスプーンでチーズを伸ばしながら言った。

「持ち主に健康的な食生活をして頂くのもアンドロイドの仕事ですから」

俯きがちに律が答えた。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

食卓が静まり返った。律はドリアをひたすらほぐしていた

しかしそんな静寂が続くかのように思えた頃、律が口を開いた。

「・・・凪さん、聞いていただきたいことが、あります」

同じようにドリアを弄んでいた凪が手を止めて彼女を一瞥した。

「うん」

律は深呼吸するように一度スッと息を吸った。

「三週間も・・・黙っていてすみませんでした」

押し殺したような声で言葉を続ける。そんな彼女を凪は落ち着いて見つめていた。

そして律はうつむいたまま声を絞り出した。


「私は・・・、本当は、アンドロイドではないのです」

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