十三話
トルツ村に戻った二人だったが、そこはまだ騒がしく、村人達は先ほどよりも殺気立っているようだった。建物の陰に隠れ、スタリーは村人の集まっている状況を眺めた。
大勢が教会前の広場で怒声や罵声を上げていた。拳や武器を振り上げ、中には矢を射かけている者もいた。一体何事かと、そんな彼らの視線の先をたどれば、教会の三角屋根のさらに上、小ぶりな時計塔のてっぺん、金属製の尖った飾りに暴れる何かが引っ掛かっていた。そしてそのすぐ脇には、溜息を吐きたくなる姿も見えた。
「……時計塔の上にいるのは、イサークさんですよね。まさか、あそこにぶら下がってるのは、レネさん……?」
スタリーの脇から見上げたテクラは、何度もまばたきをして目を凝らすが、二つの人影はやはり、レネとイサークにしか見えなかった。
「あれが、あいつのこらしめ方か……」
額を押さえ、スタリーは辟易した表情で頭を振った。時計塔の先端に襟首を引っ掛けられぶら下がるレネは、青い顔をしながら必死に何やら叫び、暴れていた。そのすぐ横で膝を立てて座るイサークは、楽しげな笑いを浮かべてレネと、眼下に集まった村人達とを眺めていた。彼らの殺気立つ理由がその二人であることは間違いない。レネを助けようと皆が集まっているのだろう。そして犯人であるイサークに罵声を浴びせ、矢を放っているという状況のようだった。しかしその矢は刺さる前に、イサークの手でことごとく止められ、片っ端から折られていた。不意打ちでもない限り、吸血鬼に矢を放っても単なる無駄遣いにしかならないだろう。簡単には到達できない時計塔の上という状況に、村人達は苛立ちながら手をこまねくしかないようだった。
「スタリー様、どうしますか……?」
困惑するテクラに聞かれ、スタリーは思わず溜息を吐いた。
「……放っておきたい気分だが、そうもいかないな。まったく、面倒なことをしてくれるものだ」
するとスタリーはテクラに向き直った。
「私はあの騒ぎをどうにか収めてくるが、君は人目のない場所で待っているんだ。宿での一件で、もしかしたら顔や姿を知られているかもしれないからね」
「わかりました……お手伝いできることがあれば、すぐに言ってください」
スタリーは笑みを返すと、テクラに見送られ、黒い風となって時計塔へと向かっていった。
「化け物が! 俺をこんな目に遭わせて、後で、どうなるか、わかってるんだろうな!」
その時計塔の先端では、体をぶら下げられたレネが高さに恐怖しながら、隣に座るイサークに大声を上げ続けていた。
「まるで自分がこの後も無事でいられるような言い方だな」
イサークは不敵な笑みを見せながら、時折飛んでくる矢を止め、折りつつ、レネに返した。
「俺がお前なんかに、負けるもんか! 化け物に人間は屈しない!」
じたばたともがくレネは、横目でイサークを睨み付けた。
「何度も注意しているのに、聞こえていないのか? それ以上暴れると、服が破れて真っ逆さまだぞ」
「うるさい! お前の言うことなんか聞くも――」
手足をばたつかせた瞬間、ビリ、と布の裂ける嫌な音が聞こえ、レネは反射的に身動きと呼吸を止めた。
「ふふっ、お前が死ぬか生きるかは、その服次第だな」
「は、早く、下ろせ! 下ろせば、大目に見てやっても――」
「大目に見るかどうかは、こっちの判断するところだ。……そんな強気な口を叩くなんて、まだ余裕がありそうじゃないか。少し僕とおしゃべりでもしてみる?」
「化け物と話なんか、誰が……」
唾を吐き捨てるような言い方でレネはそっぽを向く。がイサークは構わず話しかけた。
「僕達吸血鬼に人間が勝てるわけないのに、どうして狩人なんて無謀なことをやろうと思ったんだ?」
ちらと視線を向けるが、レネは一切見ようとはせず、口も開こうとしない。その生意気な態度にイサークは手を伸ばすと、レネの足をつかみ、ぐぐっと下に引っ張った。すると再びビリ、と嫌な音が響いた。
「やっ、やめろ! 服が破れる!」
「僕が聞いているんだ。反抗的な態度は許さないよ」
「吸血鬼は、人間を殺すだろ。そんなこと見て見ぬふりはできない……」
冷や汗をかくレネをじっと見つめるイサークだったが、またしても不意に足を引っ張った。
「うああっ、答えただろが!」
「薄っぺらい嘘の正義感を見せて、僕が感心するとでも思ったの? 次に嘘をついたら、もっと強く引っ張ってあげるよ」
イサークはレネの足をつかむ手に力を入れた。
「やややめ……わ、わかったから! ……金の、ためだ。なかなか仕事に就けなくて、あっても少しの賃金で、いい稼ぎの仕事はないか探してたところに、吸血鬼を狩ってくれっていう話を聞いて……。俺の祖先は狩人だったから、物置にはその頃の手記や装備が残ってたんだ。報酬も高めだったし、ちょうどいいと思って……」
「金に目がくらんだってことか。安易だね。……スタリーはどう思う?」
「同感だ」
イサークが自分の背中越しに話しかけた先には、村人達からは見えない位置で身をかがめるスタリーがいた。
「え? あ、あんた、いつの間に……」
ぶら下げられて振り向けないレネは、背後の聞き覚えのある声に驚きを見せた。
「我々と人間の力量の差も知らず、狩人を名乗ることも安易だが、そんな者を人間達の前でさらすお前も安易だ」
じろりと睨まれたイサークは、意に介さず笑い続けていた。
「そ、その通りだ! 人間にこんなことして、ただで済むと思うなよ! ……なあ、あんた、早く俺を下ろしてくれ」
助けを求めるレネに、スタリーは冷めた視線を送った。
「君は、吸血鬼の助けはいらないんじゃなかったのか?」
うっと言葉に詰まったレネは引きつった表情を浮かべた。
「私の言う通りに狩人をやめ、この地を去っていれば、こんな目に遭うことはなかっただろう。……そうじゃないか?」
「……ああ、そうだよ。全部あんたの言う通りだった。認めるから、説教よりまずは俺を助けてくれ。もう服が持たないんだよ」
焦る声の通り、引っかけられた服の襟首部分は大きく裂け、紐状になった布で全体重を支えられているような状態だった。じっとしていても少しずつ裂け目は広がり、レネが落ちるのは時間の問題でもあった。
「君を助けるのは、これが最後だ」
真摯に話を聞いたかは怪しかったが、助けないわけにもいかず、スタリーはレネに近付こうとした。だが、それをイサークはさえぎった。
「ちょっと、困るなあ。こいつは僕が今こらしめている最中なんだよ」
「もう十分だ。解放してやれ」
「どこが十分なの? 相変わらず僕達のことは舐めているし、スタリーの話なんかまるで耳に届いてなさそうだけど?」
「お前は村人達の前で、この人間を殺すつもりなのか」
「だから殺さないよ。人間は僕達の下にいることを教えてやるだけだ」
「だったらこんな目立つ場所でやる必要はないだろう。他の人間に余計な反感を抱かせるな」
これにイサークは閉口した表情を浮かべた。
「どうしてこっちに住む仲間は皆そうなんだ? 平穏に暮らしたいからって、そこまで人間に気を遣うなんて……一体何に怯えているんだか」
「怯えているんじゃない。争いを好まないだけだ」
「そんなだから舐められるんだよ。何を言ったって平気だと人間に誤解されてもいいの? 拳で殴られても、まさか黙っているんじゃないだろうね。僕達吸血鬼は人間を支配する側なんだよ? それをわからせるためにも、この無知で間抜けな人間を見せしめにしておかないと」
にやりと笑い、イサークはレネを見つめた。
「あ、あんた、助けてくれるなら早くしてくれよ! 服が、もう、破れて……」
全身をこわばらせるレネは青ざめた顔で助けを求める。しかしスタリーはそちらではなく、自分の足下に手を伸ばした。そこにはイサークが折った矢が何本も散らばっており、スタリーはその中の一本を無造作に拾い上げた。
「お前は、この矢を見て、何も思わなかったのか?」
「……ああ、それね。銀だろう? でも当たらなければ何てことないものだ」
鈍く光る矢尻をいちべつし、イサークは言った。
「それだけか?」
「それ以外に何かある?」
スタリーは薄い笑みを浮かべるイサークを見据えた。
「銀は、我々が最大限に避けなければならない物であり、かつての人間との争いでは、こういった銀製の武器が我々を苦しめてきたことは知っているだろう」
「もちろん。大人達からよく聞かされたよ。銀の武器にはてこずったってね。でも今の人間達の武器にはあまり使われなくなったって聞いているけど?」
「確かにそうだが、なくなったわけじゃない。この矢が証拠だ。しかし人間にとっては銀よりも、他の金属や石などを使うほうが安価で量産しやすいという面がある。じゃあこの矢にはなぜ、わざわざ銀が使われていると思う?」
スタリーの問いに、イサークは面倒そうな表情を見せた。
「僕に人間の都合なんてわかるわけないだろう。ところであなたは僕に何を言いたいの? ここで人間社会の勉強をしたいとか頼んだ覚えはないけど」
「最後まで聞くんだ。……銀の矢の多くは、対吸血鬼のために作られたものだ。つまりこの矢を放った人間は、我々の弱点を知っているということだ」
「だから何だ? それを知ったところで、当てる腕がなければ銀の意味もないし、恐れる状況でもない」
「恐れるのは今じゃない。お前が人間の反感を煽り、それが各地に広がった時だ。そうなれば人間達はかつての争いを思い出し、銀の武器を手に大挙して我々を狩りに来るだろう。そうなった時、お前はその責任を取ることができるか」
真剣に話すスタリーに、イサークはふんっと鼻で笑った。
「心配性だなあ。僕には人間と争いを起こすつもりはないよ。ただ非力な立場をわからせてやるだけさ。それが間違って争いに発展したとしても、その時は僕が全部食料として収めてあげるよ。人間なんて所詮、それしか価値がないんだ。先手さえ打てば脅威にすらならないよ」
これにスタリーは諦めの表情と、わずかな憤りの眼差しを向けた。
「舐めているのは人間ではない。お前のほうだ。人間をあなどり、負けなどあり得ないと思い続ければ、その足は必ずすくわれることになるぞ」
「臆病風に吹かれたの? 人間はそこまで過剰評価する存在じゃないよ」
「我々と人間はまったく違う生き物だが、見た目が似ているように、その内面もまた似通っている。お前が言うように下等だと言うなら、我々も同じように下等なのだろう。人間と吸血鬼の内面はそれだけ近く、すなわち理解もできるということだ」
イサークはわざとらしく瞠目するとスタリーを見つめた。
「理解? 人間と同等になって仲良くしろって言うの? やめてくれ。冗談でもうなずけないよ。人間はどうあがいたって僕達とは並べない。そういう生き物なんだ。ほら、こいつを見てごらんよ。無能で浅ましくて、どう見たら僕達と同じだなんて思える?」
イサークはぶら下がるレネの脇腹をつんつんと突き揺らす。裂け続ける服が不気味な音を鳴らすたびに、レネの顔色はますます青ざめ、悲鳴も喉の奥で詰まった。
「では、人間は永遠に下等で、永遠にお前の脅威にはなり得ないと?」
「そうだよ。そう思うのは僕だけじゃないはずだ。あちらの世界の仲間なら皆そう思っているよ」
「……やはりお前の言動は、こちらでは相容れないものだ。その偏見を変える気がないのなら、今すぐ元の生活に戻るべきだ」
「どうするかは僕の自由だろう。あなたの指図は受けないよ。……でも、やっぱり僕にはこっちでの生活は向かないかもしれないな。どうせ帰るなら、もう少し血を味わってからにしようかな。せっかく来たことだしね」
イサークは不敵に笑い、スタリーを見た。
「そうすれば、満足して帰れるかもしれない」
だから見逃してくれるよね――そんな続きが聞こえてきそうな目がスタリーをじっと見つめてきた。こういう考え方をする吸血鬼は少なくはない。その多くは人間社会に何の関心、興味もなかったり、自身ひいては吸血鬼という種族に異常な誇りを持っていたりする。そんな者達がいる中で暮らせば、人間を見下す考え方になるのも仕方がないのかもしれない。だがイサークはこうして実際に人間社会へ来ておきながら、人間に対する考えを改めようとする気配を微塵も見せてはいない。人間は食料であり、理解してやる生き物ではない――そんな吸血鬼の世界での常識を持ち込まれたら、こちらに住む仲間達の平穏は壊され、人間と結んできた絆も瞬時に断たれるだろう。そうなればかつての争いを再び呼び込みかねない。人間と吸血鬼。その間を保つ平和はもろいものだ。小さないがみ合いでも、それが重なれば無視のできない重さがかかってくる。そしてイサークは今、まさにそれを行い、これからも続けようとしていた。じわじわとひびを入れるような愚行を……。
仲間だからと言って、もはや甘い対応をすることはできなかった。本人がどうだろうと、これ以上こちらに留まらせるのは危険でしかなかった。人間を理解する気がないのなら、今すぐ黙らせ、帰ってもらうしかない――スタリーは笑うイサークの視線を受け止めながら、胸の内でそう決めた。
「……血の味にしか興味のないお前にとって、人間が脅威でないのはわかった。だが、その他にも脅威は存在するんじゃないか?」
イサークは小首を傾げた。
「他に? 僕達に敵うやつなんていたかな」
「忘れるな。目の前にいるだろう」
その瞬間、スタリーは握った銀の矢で、イサークの胸の中央を素早く突き刺した。
「え――」
不意のことに、イサークはきょとんとした顔で自分にされたことを見下ろした。胸の中央――心臓の真上には、銀製の矢が深々と刺さっている。その痛みは当然心臓まで達し、それがどういう意味なのか、イサークは遠退きそうな意識で考えた。
「油断したな……。僕を〝眠らす〟のか……すごく、苦しいんだけど……」
表情を歪めたイサークは全身をふらつかせると、次には力が抜け、がくっと倒れ込んだ。時計塔の屋根から転がり落ちようとするところを、スタリーはすかさずつかみ、肩に担いだ。
「あっちへ帰るまでの辛抱だ。悪いな」
手足をだらりと下げ、すでに意識のないイサークにスタリーは小さく詫びた。
そんな時計塔の上に新たに現れた人影に、教会の前から見上げる村人達はざわめき始めた。犯人を捕まえてくれたのか、それとも犯人の仲間なのか、下から見るだけではそこまでの詳細は読み取れず、皆どう対応するべきかに迷いを見せていた。
「お、おい、何したんだ。その吸血鬼、殺したのか? いや、そ、そんなことはいいか。手が空いたんなら俺を助けてくれ! 早く! 急げ!」
落ちそうな恐怖で動けないレネは、横目で見ながらスタリーに助けを乞う。だがその時だった。
「きゃああああ――」
遠くから女性の悲鳴が聞こえ、村人達は一斉に背後へ振り返った。声は村の奥、民家の並ぶほうから響いてきたようだった。
「一体何だ……?」
「吸血鬼かもしれない」
「見に行かないと……武器のある者は一緒に来てくれ」
「駄目だ……行ってはいけない」
村の男性が人を集める様子を見下ろしながら、スタリーはそう呟いた。行ってはいけない気配を、すでにスタリーは察知していた。
「こんな時に、テオドールが現れるとは……」
悲鳴が聞こえたと同時に、スタリーは仲間の気配を感じ取っていた。この辺りにはイサークとテオドールの二人の吸血鬼しかいないはずで、そのイサークは現在、スタリーの肩に担がれている。となると現れた気配は十中八九、テオドールのものに違いなかった。しかしスタリーはすぐに追うことができなかった。まずレネを助け、次に担いだイサークの身もどこかに置かなければならない。そして様子を見に行こうとする村人達を説得し、安全な場所へ誘導する必要もあるだろう。状況を考えると、見ず知らずの男がそんなことをしても、おそらく怪しまれて終わるだけに思えた。そんなことが頭を一瞬かすめ、スタリーの行動をわずかに逡巡させる。
「今、テオドールって言ったか? 近くにいるのか? やつを狩るのは俺だからな。狩って報酬を――」
主張するレネが身じろぎした瞬間だった。とうとう重さに耐えられなくなった服は、バリッとこれまでにない音を立てて裂けると、襟首から分裂し、レネの体を落下させた。
「! ――」
声を発することも、息を呑む暇もなく、レネは重力に引かれ地面へと落ちていく。だが何の暇もなかったのはスタリーも同じだった。死なせてはいけない――その本能のような思いだけで、スタリーの足はためらうことなく反射的に動き、イサークを担いだまま時計塔の下へと飛び降りていった。
一方、身を隠して騒ぎが収まるのを待っていたテクラにも、女性の悲鳴ははっきりと聞こえていた。
「……今のは、どこから……」
人が出払った建物の裏手にいたテクラは、不穏なものを感じながらも、その悲鳴の聞こえてきたほうへと様子を見に行ってみた。騒ぎのおかげで村人の姿はどこにもなく、あまり人目を気にせず歩くことはできたが、誰もいない静まり返った状況は、かえって緊張感や不安を増幅させるようだった。
村の外れまで来たところで、テクラの足は止まった。何かを感じる――そう思った直後、それは現れた。
「……!」
視界の端から端を横切るように、人影がものすごい速さで走り、消えていった。人間の目ならその姿形をとらえることは難しいかもしれないが、吸血鬼であるテクラの目には、その横顔が鮮明に見えていた。
「兄さん……!」
顔付きも雰囲気も大分変わってしまっていたが、それでも同じ家で育ち、暮らしてきた兄妹を見間違えるわけがなかった。やっと見つけた兄の姿に、テクラは鼓動を激しく打ち鳴らしながら、無意識に駆け出すのだった。
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