後編

「それなら、みりあむ殿に従属の呪いを授けるのはいかがでしょうか」

 私の提案にみりあむ殿が振り向いた。

「どういうことよ」

「みりあむ殿は努力するのが嫌なのでしょう?なら、みりあむ殿が選んだ人間が富や名誉を得られる能力を授けましょう。そして、その相手をみりあむ殿に服従するよう従属の呪いをかけられるようにするのです」

 確か、過去に召喚された魔族が人間に従属の呪いをかけられるように請われて、やってみたらできたと言っていた。――ただし魔力を発動させるために生贄が必要ではあるが、魔王様の魔力を使えば小動物の命程度で済むはずだ。そのくらいは些末な問題だろう。

「なにそれ、そんなことできるの?じゃあ片っ端からその呪い?かけてったら人生楽勝じゃん!」

「いえ、魔王様の魔力を使っても人間界で発動できるのは一人が限界かと――」

「一人だけかぁ……うーん」

 みりあむ殿はしばらく考え込んだ。


「おい、バーブ。いいのか、そんな事言って」

 魔王様がすっかり毒気を抜かれて泣きそうな顔で私を見た。

 あんた一応魔界でも歴代最強の魔王だろうが……いや、みりあむ殿を前にしたら私もさすがに怯むけど。

「じゃあさ――」

 みりあむ殿が顔を輝かせて我々を見上げた。

「とりあえずその従属の呪いってやつをまおーたそにかけようよ!そんでウチが困ったらいつでも呼び出してぱぱーっと解決してもらうの!」

 あ、まおーたそが固まってる。


「みりあむ殿。よくお聞きください。魔王様は魔界でも類を見ない歴代最強の魔王様との呼び声も高く、その魔力は魔界中の魔族が結集しても勝てるかどうか……そのようなお方を――」

「えー!超すごいじゃん!人生楽勝じゃん!イケメンで万能な奴隷とか最強すぎる」

「そういう問題ではなくですね……みりあむ殿が使う従属の呪いは魔王様の魔力を使うのですよ。つまり自分に自分で呪いをかけると言う事になります。そうすると、魔王様が従属するのは魔王様と言う事になるんですよ」

 ――やった事ないからわからんけど、多分そうだろう。うん、きっとそうだ。そうであるとしよう。噓も方便だ。

 片や魔王様はすっかり意気消沈して固まっていらっしゃる。あんたが蒔いた種だろうが。

「俺……今まで生きてきてこんな人間初めて見た……人間怖い……」

 おいおい、あんた何言ってんだ。今から子作りするって言ってなかったか。

「そういうわけですので、みりあむ殿がこの人と決めた相手を下僕になさるのがよろしいかと。選ばれた下僕はみりあむ殿の為に死ぬ気で働き、富と名誉を得て、その全てをみりあむ殿の為に捧げるのですよ!楽して大儲けです」

「うーん……。それはそれでアリ……?――しゃーないかっ」

 みりあむ殿は少し考えて明るい顔で頷いた。やっと納得してくれたらしい。

 なら後はお子ができるまで魔王様に頑張ってもらうだけなのだが――


「バーブ!やっぱり俺お前がいい!ニホン人が夫に尽くすとか嘘じゃないか!むしろ夫が嫁に骨の髄までしゃぶり尽くされるパターンだろこれ!俺はこんな魔族よりもタチの悪い女は絶対嫌だぁ!」

 ここにきて魔王様が駄々をこねだした。概ね同意だがあんたが言うな、あんたが。

「ちょっとぉ、まおーたそ。流石にそれはひどいんじゃないの?」

 みりあむ殿もお怒りになってる。気持ちは少しわかる。

「だいたいあんた好きな人がいるのに、ウチに子供作ってくれって頼んできたクズじゃん!ちょっと顔がいいからって調子に乗ってんじゃないわよ」

「だって人間がこんなに怖いと思わなかったし!」

「それは私も賛成ですが、魔王様。根本的な問題が残っていますよ」

 人間界で魔族が召喚される時は人間と魔族の間に契約が結ばれる。つまり魔族は人間の願いを叶えない限り魔界に帰ることはできない。もっとも、召喚する際に「富と名誉を!」とか「あいつを殺したい!」とかはっきりした願いを言うことがルールなので、「魔法使いになりたい」とか自然の摂理に反した願いの時は魔族は応じなくていいため、召喚されたら願いを叶えてはいさよーならと言うのが大まかな流れだ。

 人間の召喚もまた同じで、一つ違うとすれば人間の同意が薄くていいというところにある。しかし、召喚の際に「我の妻となり子を成す事」と条件をしっかり魔法陣に描いちゃってるものだから、みりあむ殿は魔王様と結婚して子供を作らねば人間界に帰ることができないのだ。


「はい?聞いてないんですけど?」

 言ってないのかよ。

「クーリングオフとかないわけ?」

 くー……何?

「だってまおーたそがヤダって言ってんじゃん。でも子供作れないと帰れないわけじゃん。それでウチが人間界に帰れないとかマジ卍なんですけどぉ?」

「まん……何?」

「ウチ明日は彼ぴとデートだし、来週はこないだナンパされたイケメンDJとデートの約束あったし、元カレの家にも行く約束もしてたんだから!そりゃつぶやいったーでまおーたそに『魔界に来て俺と子作りしないか』って誘われた時は、ちょっと頭おかしいイケメンだけど、ノリ的にナシじゃないかなーって思ったけどさ!でも帰れないとか聞いてない!聞いてたら絶対来てないし!」

 予定が全部男じゃねーか。人間界の倫理どうなってんだ。魔族が心配するのもおかしな話だが。

「いや、い……一応人間界に帰る時には召喚された時間と場所そのままに送り返すことはできます。しかし、帰還の魔法陣は魔王様の願いを叶えなければ開くことはできませんので……」

 気が付くと魔王様は私の陰に隠れて小さくなっている。隠れてませんから。あんたでかいんだから。

「例えばよ?ここで十年くらいまおーたそがやだやだ言ってた場合とかさ、ウチの年とかどうなるわけ?その時間と場所に帰れてもウチだけババァとか笑えないんですけどぉ?」

 みりあむ殿が真面目な顔で私の顔を覗き込む。目がマジで怖い。

「これまでの妃の召喚例をみても、帰還するタイミングで全て元通りになります。お望みであれば魔界での記憶も消去できます」

 これまでの妃の中でも、魔王様と添い遂げて本来の寿命を全うされてから人間界に帰った方も大勢いらした記録がある。もちろん、こちらで寿命を全うしたと言っても人間界と魔界では摂理が異なるため魔界での時間は人間界には反映されることはない。

 なので、みりあむ殿がここで何十年過ごそうが、帰る頃には来た時と同じ姿形であることは保証できる。多分。


「ふーん……じゃぁおけまる?」

 おけ……はい?

 さっきまでの剣幕が嘘のようにみりあむ殿の表情が穏やかになり、私の背中を冷たい汗が流れるのが分かった。

「まおーたそが死んだ場合はどうなるの?」

「その場合は契約自体が消滅し、みりあむ殿は人間界に強制送還されます。みりあむ殿が天命を全うされた場合も同じです」

「まおーたそが死ぬかウチが死ねば帰れるってこと?」

「平たく言うとそうです」

「ご褒美は?」

 がめついな、おい。

「お役目を果たさず契約が解除されるため、報酬のほうは……」

「はぁ?」

 ピンクの髪が逆立った気がした。やだこの人本当に人間なの?

「ほ……報酬ではありませんが、お詫びの形に何か送らせていただきたいと思います。しかし、魔王様の魔力量を考えるとあと数千年は生きられるかと」

「そんなの関係ないじゃん。人生何が起きるかわかんないし!明日死んじゃうかもでしょ?――よし!どっちにしても帰れるんだったらいいや。ウチここで暮らす」

 え。

「だってまおーたそがその気にならないと結婚も子供も無理じゃん」

「そ……そうだが、まさかみりあむたそ、俺を殺す気じゃ……」

 私の後ろから顔を出した魔王様が青ざめてみりあむ殿を見上げると、みりあむ殿はニヤリと黒い笑みで魔王様を見下ろした。

 あ、これヤル気だわ……

「とりあえずさ、ウチを呼んだ責任とかもあるわけだし、衣食住は面倒見るのは当然じゃね」

 え……そうっすかね。

「まおーたその気が変わってウチと結婚してって言うかもしれないし」

 魔王様が私の後ろですごい勢いで首を振ってる。横に。

「そうじゃなくてもまおーたそが死んじゃったらウチ帰れるわけだし」

 ご自分の命が先に終わることはないのですね。わかります。とても分かります。ヤル気満々ですものね。

「んじゃ、とりあえずウチの生活の面倒はよろしくね。だ・ん・な・さ・ま」

 みりあむ殿がさらに黒い笑みを浮かべると、魔王様は青くなってまた私の後ろに引っ込んだ。


 実は一つだけ契約を解除する方法がある。

 魔王様が誰か別の方と結婚して子を成す事。

 それができるのはおそらく魔界では人間の妃から生まれて魔力をほぼ持たない私一人だけなのだが、なんとなく腹が立つのでしばらく黙っておこうと思う。

 この百年苦労させられた仕返しだ。少しは苦労すればいい。

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