第24話「感知、不穏な空気」

黄泉の世界。不言色の空、渦巻き雲が揺蕩っている。が、その空模様は晴れやかなものではない。

ばしゃばしゃと水の音が響く。黄泉の世界には大雨が降っていて、商店街はどんよりとした空気が漂っている。

色とりどりの着物を着た蜘蛛女達が、番傘を刺しながら縁の下で話している。

「やだねぇ、黄泉の世界で雨なんてなかなか降らないってのに」

「何だか不吉じゃないかい?何かの予兆だったりして」

この状況を不吉だと思い、甲高い声を上げて怖がっている。

と、珊瑚珠色の着物を着た一人の蜘蛛女が、煙管を片手に呟いた。

「これは土蜘蛛様がお怒りなのかもしれないね、きっと」

蜘蛛女達は、あれやこれやと談笑を続けた。

黄泉の世界の空は、だんだんと暗くなっていった。


変わって人間界。

来導町は、心地の良い夏晴れ。青色の空に、大きな入道雲が出ている。

「わあ〜!服がまっしろだあ〜!ふへへ!」

界達の家では、物干し竿に洗濯物を干している真っ最中だった。

初は、初めて見る洗濯物に興味津々。吊るした真っ白な洗濯物を、触ったり手を入れてぱたぱたと仰いだりして楽しんでいる。

「初ッ!!!」

と、そこへ大きな野太い声が響いた。

「そんなに触ったらしわになるだろう!!もうよせ!!」

「か、篝丸さん.....ごめんなさあい.....」

怒鳴られた事に、初はしゅんとして目に涙を浮かべる。それを見た篝丸は焦りに焦った。

「ヌゥ!?す、すまぬ、泣くでない...!大声を上げた我が悪かった...!!ほ、ほれ、あっちに冷えた西瓜があるぞ!だから共に食おう...!」

篝丸は大きな体を精一杯縮めて、涙ぐむ初を必死に宥めた。

そんな二人を、ベランダで西瓜を食べていた海舟はニコニコとした笑顔で眺めていた。

「篝丸、初にはすっかり甘いお」

「なんや、ちょっと年下やからってす〜ぐ甘やかして...。わいには信じられへんくらい厳しいのに...」

と、界がしゃくしゃくと西瓜を頬張りながらやって来た。茹だる暑さの中、氷のように冷たい西瓜の甘い水分が体に染み渡る。

「でも篝丸の厳しさには愛があるお。海舟たちは篝丸に愛されてるお♪」

海舟が、隣に立っている界を見上げて笑う。その爽やかな笑顔は、太陽のように眩しかった。

「ま...それもそうやな」

界が優しい目で呟く。そこへ、篝丸が初の背中に手を添えながら歩いてきた。

「ム...?さっき何か話していたか?」

篝丸は不思議そうな顔をしながら界達に問いかけた。

界と海舟はじっと互いの顔を見合わせた。それから篝丸の方を見ると、悪戯を企む子供のように笑った。

「ヒミツやで♪」

「だお♪」

その発言に、篝丸はぽかんとしてから呆れ顔になった。

「ヌゥ、何だそれは...。まあ良い。ほれ、初。西瓜だぞ」

「わあっ、やったあ〜...!おいしそう!」

初の明るい声が、青空に響き渡る。

界達は初と共に、爽やかな夏を謳歌していた。

一方その頃。

「だ、か、ら...........千君?」

ピキピキと、善ノ介のこめかみに血管が浮き出る。

部屋の中、すう、と息を吸う音が響く。

それから。

「もう我慢の限界だ。この心が広いワタシをここまで怒らせるとはね、ある意味才能があるよ、素晴らしい、流石だ、おめでとう。それより一体何度言ったら分かるのかな?知与さんはワタシの、このワタシ天飛 善ノ介の彼女だよ?人の恋人に手を出して良いと思っているのかな?」

善ノ介は相変わらずの一息で、千の額に自分の額がくっつく程の距離で捲し立てる。

対して千は相変わらずのメンタルの弱さで、善ノ介の圧のある一言一言に圧倒されていた。

「ヒッ......ごめんなさい、もうしないって誓うからぁ......」

怯えて蹲ってしまった千に、善ノ介は微塵も容赦しない。縮こまった千に合わせてしゃがみ込み、冷たい目で見下ろして言い放った。

「ああ、誓ってくれたまえ、是非とも、早急に。「もう二度と知与さんに求愛しません」とね。さあ、復唱して。さん、はい」

その淡々とした声に、千はますます怯えて縮こまる。

「ごめんなさいごめんなさい.....もう二度と知与に求愛しませんん......」

「まあまあ、それくらいにしてさ」

と、知与が二人を止めに入る。

「千くんもわかってくれたみたいだし、善ノ介くんももう大丈夫だよ。ね?」

「知与さん...すまないね」

優しく微笑む知与を見て、善ノ介は立ち上がり、申し訳無さそうに首の後ろを掻く。

「ううん、全然。それに.....」

言いかけて、知与が前髪を触り始める。

「善ノ介くんがどれだけあたしのこと好きでいてくれてるのか、何となくわかったから...」

恥じらいながらそう呟く知与を、善ノ介はただそれを見つめていた。そして愛おしさに眉を八の字にして、柔らかく微笑んだ。

「本当、知与さんには敵わないな」

そう言われて知与は、さらに顔を赤くする。

愛に溢れた雰囲気で満ちている二人。その下で、蹲っていた千が顔だけを上に上げて一人思っていた。

「これが本当の恋人か」、と。


またしても一方。

「ねぇ私方、あそぼうよぉ」

ベッドの側。裸体にTシャツを着る私方の腹部に、ベッドの上の蜜が後ろから抱きつく。私方は後ろを振り返って、細い目を向けながら蜜に言う。

「蜜、服着れないよ」

「服なんて着なくていいからさぁ、ほら」

が、蜜は言う事を聞こうとしない。力の少ない腕力でぎゅうっと抱き締めて、私方が服を着るのを阻止しようとする。

私方は、抱き締められながら服を着る手を止めた。

そして徐に蜜の脇を抱えたかと思えば、二人整えられていないぐしゃぐしゃのベッドに倒れ込んだ。

蜜の胸はドキンと高鳴った。

「だめな子だな蜜は、僕今着替えてたでしょ。言う事聞けないなら...」

「あっは♪お仕置きでしょ?」

私方の垂れた前髪が、蜜の頬にかかる。それを嬉しそうにして笑う蜜は、上目遣いになって私方を見つめた。

「...してもいいよ?蜜のこと、私方の好きなようにしていいから」

と、細い腕を目一杯伸ばして私方の首に回す。それだけに飽き足らず、脚も伸ばして私方の体に絡める。

蜜のふくらはぎは、Tシャツが捲れて露わになった私方の素肌の背中にみっちりと密着した。

「ねぇ、あそぶ気になった?」

蜜は意地悪そうな笑みで、誘惑するように小首を傾げた。

「参ったな...」

私方の低い声が、蜜の耳に吹きかかるように届いた。私方はやれやれと困惑したような様子だった。

ベッドに体重が掛かってきし、と軋む音がした。


その日の夜中。もう、明け方が迫っていた頃。

界達の家は、静まり返っていた。それぞれが、自身の部屋で眠っている。すやすやと静かな寝息、いびき、寝言。それらが部屋にこだまして、あとは穏やかな眠りに包まれている。

「んん〜...にひひ...そこくすぐったいわ...」

眠っている界が、幸せそうに身をよじる。傍らには、界に抱きついて同じベッドで寝ている初がいる。界はもう大人だが小柄なので、まるで仲良く眠る兄弟のようだ。

が、突如。

ドンッという大きな音が響き、地面が大きく揺れた。

「おわっ!?」

界と初は飛び起きた。

それから地響きがして、暫くしてようやく治まった頃、界達は様子を見るために外に出ていた。

空は不気味な紫檀色で、星一つなかった。

まるで、人間界の空ではないみたいに。

「なんや、今の!?」

「大きな音と揺れだったな...一体何なのだ」

界は驚き、篝丸は恐怖に身を震わせている海舟の肩を抱いて不思議そうに呟く。

「九尾くん!」

と、近くで声が聞こえた。

見ると、知与と善ノ介、そして千が駆けて来るのであった。

「あ、おにいちゃん!無事でよかったあ〜...!」

「おう、初もな」

初が千に駆け寄って抱きつく。駆けて来た知与と善ノ介は、安堵した様子で界達の側へ寄る。

「よかった、みんな何ともなくて...」

「知与〜!知与も何ともなくてよかったお!」

海舟が知与に勢いよく抱きつく。海舟の朗らかな空気と明るい声で、知与の心はほんの少し癒されていた。

「真っ先にキミ達が無事か気になってね。急いで家を飛び出して来たのさ。しかし...」

善ノ介が周りを見渡しながら、眼鏡のブリッジに中指を当てる。

「これは只事では無さそうだね」

くい、とブリッジを上げて苦々しく呟く。辺りに被害はないものの、地震と地響きが起こるなんてなかなかない事だ。

と。

「確かにこれはただ事じゃないね...きっと何かあるよ」

「私方先生!よかった、先生も無事やったんやな!」

なんと、いつの間に私方と蜜が立っていた。

全員が集合した事に、界は嬉しそうな表情を浮かべる。

「蜜!お前来てくれたんだな!嬉しいぜ!」

「ふん、私方が外に出ようって言ったから出ただけだから」

笑顔で駆け寄ってくる千を相手に、蜜は相変わらず冷たい態度で接する。

それも束の間。

「どうした。逃げ惑わぬのか、妖怪」

突然、どこからか声が聞こえた。

「なんや、誰の声や!?」

界がきょろきょろと辺りを見回すも、人の姿は見当たらない。諦めて前を向いても、誰もいなかった。

その時。

「ここだ」

界達の真後ろから声がした。焦り顔のまま振り返ると、そこには一人の人影が。

長い藤色の髪の上側のみを一つにまとめて結い、残りの髪はそのまま垂れさせている。

色白な肌に黒い袖なしの服を身に纏い、腰に巻いた帯は風神の風袋の如く、ふわりと腕に通している。

端正な顔立ちに闇の底のような真っ黒な瞳は、界達をただじっと見つめていた。

「おまえ、何もんや?」

界が真剣な顔で問う。

その人物は何も答えず、初、千、蜜を目で捉えた。と、表情を一切変えずに切れ長の目で界達を見た。

そして口を開いた。

「妖怪、私の子供を返してもらうぞ」

子供。

その言葉。

その意味を、界達は理解出来なかった。

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