第22話「超求愛。私方と蜜」
私方の朝は遅い。
ベッドからゆっくりと裸体を起こすと、眠い意識のまま髪を掻き上げた。
「................ん...」
小さく声を漏らしながら、掻き上げた髪を元に戻す。逞しい裸体は、カーテンの隙間からうっすらと差し込む陽の光に照らされた。
と。
「んむ、ん」
私方の体にかかった布団から、何やらくぐもった声が聞こえる。
私方が布団を捲ると。
「私方、おはよ」
見ると、ぎゅっとその腹部に抱きつく姿がある。
にやりと悪戯っ子のように微笑んだ蜜だった。
「おはよう蜜」
私方は、そんな悪戯っ子を見て柔らかく挨拶をした。
私方はベッドの近くにあった棚の上に手を伸ばして、煙草の箱を手にして中から一本取り出した。再度棚に手を伸ばしてライターを取ると、カチッと音を立てて着火した。ジジジ、と先端に火の着いた煙草を吸い、ゆっくりと灰色の煙を吐いた。煙は歪な形をしながら部屋の中を揺蕩った。
蜜は被っていた布団を勢いよく捲ると、私方の体に馬乗りになった。蜜は大きくぶかぶかのTシャツを寝巻きとして身に纏っていて、素肌の太腿がちらりと覗く。
「前から吸ってた?それ」
蜜が、不思議そうに煙草と私方を見比べながら言う。
私方は「はは」と乾いた笑いを溢して、それから口を開いた。
「君が小さかった時は我慢してたんだよ、小さい子に煙草は毒でしょ」
そう言った私方を蜜はじっと見つめ、徐に傍らにあった煙草の箱から一本取り出して口に咥えてみせた。
「蜜も。どう?かわいいでしょ?」
蜜は挑発するような笑顔で聞く。私方は左手の太い人差し指と中指に挟んだ煙草を口へと運び、ゆっくりと煙草を吸った。
それから空いていた右手で蜜から煙草を奪い、煙草を持った左手をゆっくりと近付け、その太い小指で蜜の柔らかな唇に触れた。
「まだだめだよ」
蜜の胸はドキンと鳴った。それから何も言わずにぎゅっと私方に抱きついた。
私方は右手で、子猫のような蜜の小さな背中を抱き締めた。
「...さてと、そろそろ起きようか...」
私方はゆっくりと上体を起こして、ベッドから身を下ろした。
私方の朝は、一人から二人に変わった。
ハムエッグをがつがつと貪る蜜を、朝食を済ませた私方がじっと見つめる。口に沢山食べかすをつけて、口いっぱいに頬張って、無邪気な子供のようだ。
「人間界にはこんなにおいしいものがあるのね!蜜、私方が作ったこれ大好き!」
ふと、蜜が顔を上げてにっこりとした笑顔で言う。私方はそんな蜜を見て、ティッシュを用意しながら言った。
「ありがとう、嬉しいな」
そう言って口を拭かれる蜜は、くすぐったそうに片目を瞑りされるがままになった。
「ついてた?もう、早く言ってよね」
「ふふ、ごめん」
綺麗に口を拭かれた蜜は、そう言って舌を出した。私方は微笑ましそうに蜜を見つめて、それから柔らかく謝った。
「ねぇ、蜜おさんぽ行きたい。一緒にいこ?私方」
朝食後、蜜が私方を見上げながら言う。
今の姿に成長してからどこかへ行くのは初めてだ。私方は優しい目で蜜に問いかけた。
「いいよ。じゃ、どこに行こうか」
蜜は暫く考えて、それから笑って私方を見つめた。
「私方がいつも行ってるところ」
思わぬ発言に、私方は目を丸くした。いつも行っている場所。どこかあるだろうか。蜜を一緒に連れて行けそうな場所。
思考。
あ、そうだ。
「いいよ、行こうか」
私方は、とある場所を思いついた。
私方と蜜がやって来た場所。
それは、来導高等学校だった。
「ねぇ、ここどこ?」
蜜が、見慣れない建物を不思議そうに見つめる。
「"学校"って言ってね、みんながいろんな事を勉強する場所。僕はここで勉強を教える"先生"をやってるんだよ」
私方は蜜の隣にしゃがみ込み、軽く説明をする。蜜は興味ありげに頷きながら、それを聞いていた。
「今は学校の中には入れないけど...外側だけ、ちょっと見てみようか。おいで」
「うん」
優しく手を差し伸べる私方の大きな手を、蜜はきゅっと握ってついていく。
校舎。その中からちらりと見える教室。沢山の花が植えられた裏庭。そして、高くて見えない屋上。
「私方」
「ん」
「私方はここで先生やってるって言ったけど、それっていろんな人の相手してるってこと?知らない女とも、いっぱい話してるってこと?」
蜜が、突然立ち止まって疑問に思った事を話す。私方はその質問に、少し考えてから話し出す。
「そうだね。僕はいろんな人の相手をしてるし、女の子や男の子とも話す事があるよ。それも全部、勉強を教えるためでね...」
「...いや。そんなのやだ」
私方の答えを、突如蜜が遮った。嫌がるような、尖った声で。
「私方は蜜のもの、私方は蜜の飼い主なの。他の誰か知らないやつなんかに渡したくない」
そう言って蜜は、私方にぎゅっと抱きついた。私方は、そんな蜜をじっと見つめている。
「ねぇ、蜜だけを見てて。私方は蜜のものだから。蜜は私方の飼い猫、蜜は私方の好きなようにされたいの。私方のすることならどんな目にでも遭いたい。だから、ねぇ、蜜だけを好きでいて?ずっと、おねがい」
蜜はそう言うと、上目遣いに私方を見つめて甘えるように胸に擦り寄った。
私方は目を細めた。小さな蜜が、自分を必要としている。得体の知れないぞくりとした感覚が、体の中を這い回った。
それからゆっくりと、蜜の背中に手を回した。
「はいはい...わかった。じゃ、蜜だけを見てるね。僕は蜜のものだよ。ずっと、ずっと」
その優しい声に、蜜は幸せそうに目を細めた。
「あっは、私方だぁいすき」
そう言って、二人は暫く抱き合った。
青く広い空に、カラスが二羽飛んでいた。
ふと。
「そう...ちょっといい所を知ってるんだ、見たいかい?」
私方がゆっくりと体を離し、小首を傾げて提案した。蜜はその顔を見つめて、ぱあっと明るい表情をして笑ってみせた。
「いいところ...見たい!私方が行くとこなら、どこでも!」
二人が向かったのは、学校のグラウンドの近くの山だった。
夏休み中、練習試合をしているサッカー部が遠目から見える。山の上から見れば、沢山の豆粒達がさらに豆粒サイズの玉を蹴っているように見える。それが何とも面白い。
「ほら、学校の人たちはああいう事をしてる。興味出てきた?」
「へぇ〜、あんなちっちゃい人間たちが遊んでるんだぁ...」
山に座って蜜を見る私方に、隣に座っている蜜は興味津々でグラウンドを眺める。
と。
「ねぇ、私方も人間なの?」
蜜が、急に私方の方を向いて聞いた。
突然の質問。
人間か、どうか。
私方はその言葉を聞き、少し黙った。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「...いいや、妖怪だよ。人を喰べる蛇人間、って言ったら、わかりやすいかな」
そよ風が吹く。私方は、不意に手を地面に近付けて囁いた。
「おいで、黒蛇」
すると、何匹もの黒い蛇が私方と蜜の周りに集まった。蛇達はうねるように動き、シュルシュルと舌をちらつかせている。
「ヘビ...こんなにいっぱい...みんな私方が呼んだの?」
蜜が目を丸くしながら、私方を見る。
私方は左手に一匹の蛇を乗せ、その指に巻きつく蛇の顎を撫でた。
「そう。正確には、僕は人間の姿を手に入れた"元"妖怪。だけど今でも妖怪だった頃の力は残ってるし、なろうと思えば少しの間蛇人間の姿にもなれる。一度悪い妖怪になりかけたけど、僕の教え子が助けてくれてね...」
私方は遠くを見つめながら、懐かしむように呟く。あの頃、"彼"がいなければ、自分はどうなっていた事か。考えるだけで恐ろしい。
「...なんて、僕が妖怪って知って怖がらせちゃったかな...ごめんね」
と、私方は苦笑しながら、隣の蜜を見る。
すると蜜は、にっこりとした笑顔で私方を見た。
「蜜と一緒!蜜も妖怪なんだぁ」
蜜の言葉に私方は一瞬反応したが、すぐに優しい笑みを溢して言った。
「...やっぱりそうかい。何となくそんな気がしてたんだ。僕と一緒だね」
その言葉に、蜜は嬉しそうに笑う。
蛇達は、いつの間に姿を消していた。
が、私方がふと疑問に思った事を問う。
「ところで、どうして蜜は空から落ちてきたのかな。お父さんやお母さん、いるのかい?」
蜜はそう言われると、膝を抱えて下を向いた。どこか不思議そうな顔をしていた。
「お父さんのこと、うまく思い出せないの。気づいたら空から落ちて、私方に拾われた。お父さんってどんな人か、蜜わかんない...」
その深刻な表情に、私方は動揺した。聞いてはいけない事を聞いてしまったか。その背中を摩ろうと、咄嗟に手を伸ばした。
途端。
蜜は、私方の首に手を回して抱きついた。
「でも蜜は今が幸せ。私方に会えて、拾われて。蜜はずっと私方と一緒にいたい」
柔らかで、温かく小さな体。私方は、包み込むように蜜を抱き締めた。
「ありがとう」
すると。
「あ、おったわ!おーい!私方せんせーい!!」
後ろから、聞き慣れた声が聞こえた。
「...ん、九尾くん達。久しぶりだね」
私方が振り返ると、そこには界達三人、善ノ介と知与、そして初と千が立っていた。
「蜜ちゃあん...!いたあ〜!」
「よう!探したぜ、蜜」
初と千は、再会出来た喜びに笑顔で名前を呼んだ。初の目は、感動でうるうると涙ぐんでいる。
が。
「........あ?」
蜜の目は、鋭く攻撃的な色に輝いていた。
赤く、燃えるように。
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