あやかし人生

界外煙

第1話「憧れ!人間界」

不言色(いわぬいろ)の空に、渦巻き雲が揺蕩っている。

ここは黄泉の世界。「あやかし」と呼ばれる妖怪達が、今日も楽しく愉快に暮らしている。

「あはははっ!そんなんじゃわいを捕まえられへんで〜!」

甲高い明るい声が響く。黒色のおかっぱ髪と狐の耳に尾を持った化け狐の少年が、人通りの多い商店街をたたたっ、と駆けて行く。

「待たぬか界!!この戯け者が!!」

と、界と呼ばれた少年の後ろから、低く野太い叫び声が聞こえる。

足を止めて界が振り返る。銀髪に浅黒い肌、額に黒い鬼のツノを一本生やし牙が口から飛び出た大柄の男が、文字の通り鬼のような形相でこちらへ向かってくる。が、大勢の妖怪達につっかえてなかなか前に進めない。

「界...!いい加減我の言う事を聞かぬか!」

妖怪達の波に揉まれながらも声を荒げる鬼の男。しかし界は焦る事も怯える事もなく、手をパンパンと叩いて小躍りしながら笑った。

「鬼さんこちら!手のなる方へ〜!」

界の煽りに、鬼の男はぴくりと眉を顰める。怒りで額に血管が浮き出る。

「ヌゥ...!!界!貴様ァ!!」

大声で怒鳴る鬼の男を無視して、界は楽しそうに逃げる。

「よっと、ほっ、と」

小柄な体格を活かし、混み合う妖怪達を身軽に避けて通る。閃光のように駆けて逃げ回る界を、誰も捕まえる事は出来ない。

「かんにんなぁお姉さんたち」

姿勢を低くし、談笑する蜘蛛女達の足元を軽々と抜けていく。その速さで風が起こり、女性達の着物がふわりと捲れる。

「きゃあっ」

蜘蛛女が裾を押さえながら黄色い声を上げる。

「ほんとう、相変わらず元気だねえあの子は」

「たまには遊びにいらっしゃいな、界ちゃん」

「また今度な!」

くるりと蜘蛛女達の方を振り返り、笑顔で返事をする界。そして再び前を向いて逃げ回る。

「なんや篝丸も大したことないなぁ。もっと早いかと思てたのに、あんな人混みでつまずくなんてなぁ」

先程追ってきてきた鬼の男を思い浮かべ、意地の悪い顔をして独りごちる。

「にひひっ。さーて、このままどこまで行けるか挑戦や!」

楽しそうに笑った、途端。

「おわっ」

むにゅ、と真正面から柔らかい感触を感じる。

目を開けるとそこには二つの柔らかい山があった。

「つかまえたおっ!主様!」

界が顔を上げると、水色の肌に浅葱色のショートヘアの海坊主の少女が立っていた。

「あちゃ〜海舟かぁ、つかまってもうたわ。しっかし柔らかいなぁ〜天国やわ〜」

二つの山に顔を埋めたまま界は笑う。そんな界の後ろにただならぬ気配を纏った影が。

「界........」

低い声で名前を呼び、勢いよく海舟の体から界を引き剥がす。

「勝手に何処かへ行くでない!!貴様はどうしてこういつもちょこまかと!!.....それに海舟の体になんて事をしておるのだ貴様は...!」

界に顔を近付けて怒鳴り散らかす篝丸。しかし界は楽しそうに笑っている。

「あはは、そないに怒らんでもええやん篝丸。ほんまもんの鬼とする鬼ごっこ、結構楽しかったで?」

「羨ましいお、海舟も鬼ごっこしたかったお〜」

「全く、鬼ごっこなどではないわ...」

呑気な界と海舟に、篝丸は呆れ溜息を一つつく。すると、ぐ〜、と界のお腹が鳴り出す。

「走ったらお腹空いたわ!なんか食べに行こうや」

界がにっこり笑い、一行は歩き出した。


黄泉の世界には人間の世界と同じように商店街があり、そこで店を営む者も客として立ち寄る者も数多く存在する。勿論住居もあり、妖怪と言えども暮らしの様は人間となんら変わらない。

そんな所で、界達一行が訪れたのは小さな甘味処。店自体は小さいが、提供される甘味が格別だと妖怪達の間で話題の店である。

「最近巷じゃ人間界の話題で持ちきりになっとるやん。ええなぁ、わいも行ってみたいわぁ」

蜜がたっぷりかかったみたらし団子を食べながら界が呟く。

「人間界?フン、全く以て下らぬな」

「でも海舟も人間界気になるお。どんな場所なんだお?」

興味が薄い篝丸に対して、色鮮やかな三色団子を頬張っていた海舟が食いつく。そこへ界が待ってましたと言わんばかりに説明を始める。

「生活はこことあんま変わらんらしいけど、文化とかいろんなのが全く違う世界なんやって!ここよりもたくさん店があったり、楽しいこともたくさんあるらしいで!ほんま羨ましいわぁ。...あ」

人間界を夢見ながら団子を口に運ぼうとして、目を見開いた。すると篝丸達を見て悪戯っ子のような顔で笑った。

「行ってみよか、今」

「...は?」

驚く篝丸ときょとんとする海舟。この時、界のこの言葉の意味を完全に飲み込めていなかった。


黄泉の世界の商店街を抜けて人通りの少ない所へ行くと、白く光り輝く人間界への階段がある。立ち入り禁止されてはいないが、近寄る者は誰一人いない。ただ、界達を除いて。

「ここを渡れば人間界に行けるって聞いたことあるで!ほな行ってみようや!」

「待て待て!本当に行く気か!?」

拳を上げて明るく言う界を、篝丸が制止する。

「人間界に行ったらどうなるか分からぬぞ!危険な目に遭うかもしれぬ...!そうだろう、海舟...」

「主様の要望なら、海舟は従うだけだお〜!」

界と同じくらい呑気な海舟の答えに、がっくり肩を落とす篝丸。だが、仲間のためにと思ってつい共に行動してしまうのもまた彼の性格。

三人で階段を登る。それほど長い階段ではないので、登っていればすぐ着いてしまう距離だ。

「もうすぐや!もうすぐで人間界に...!」

期待と興奮に進む足が止まらない。

頂点へ着いた途端眩しい光に包まれ、視界が真っ白になる。

目を開けると。

「あれーーーー!?」

人間界に来られたものの、界達はいつの間にか人魂になっていた。

「なんや!?わいら今どうなってん!?」

「人魂になった...!?どういう事だ!?」

側から見れば、街の中心で人魂が三つ浮かんでいるという何とも奇怪な現象。ざわめく界と篝丸を横に、海舟が口を開く。

「あ そういえば昔に聞いたことがあったお。妖怪達は人間界へ行くと決まって人魂になっちゃうって」

言い終えて、途端に青ざめる三人。何故なら無数の目が三人、いや、三つの人魂を見つめているからだ。

「と...とにかく一旦黄泉の世界へ戻るぞ!!」


なんやかんやあって黄泉の世界に戻ってきた三人。不安と焦りで冷や汗をかいている。

再び商店街を歩きながら界が残念そうに呟く。

「人間界に行けたとしても人魂の形じゃ何もできへんよなぁ...残念やわぁ」

「まさかああなるとは思いもしなかった...」

「みんなに見られて怖かったお...」

心なしかどんよりした空気になっている。

「あーあ、なんかええ方法あらへんかな!」

界が大声で独りごちる。

と、そこへ。

「お客さん、お客さん」

突然近くへ声がする。界達は辺りをきょろきょろと見回すと、薬屋から誰かが手招きをする。

「ちょっとこちらへ。良い商品、ありますよ?」

長い藤色の髪を一本に纏め、真っ黒な瞳で真っ直ぐ界達を見つめる、美しい若い薬屋だ。

「うっ...月代.....!」

篝丸がたじろぎ、反射的に界の後ろに隠れる。小柄な界を盾にしても、当たり前に大きな体は隠れずしっかり見えてしまう。

「なんや、なんで隠れるん?知り合いかいな?」

「いっ、いや、その...!」

「おや、篝丸さん。いらしていたのですね」

月代、と呼ばれた店員は黒い瞳を篝丸に向けて、顎に手を当てて笑う。

「何かお悩みでここに来たのでしょう?」

「うっ、うるさい!貴様に関係ないわ...!!」

にこやかに言う月代に、篝丸が怒鳴る。

「関係があるかないかはさておき...先程人間界のお話をされていませんでしたか?」

「!」

「何故それを...!」

月代の言葉にぴくりと反応する界と篝丸。

「私は耳が良いもので、偶然そのような話が聞こえまして」

耳に指を当て微笑する月代。それから再び顎に手を当てて語り出す。

「人間界というのは黄泉の世界とは全く異なる世界。気候も空気もこことは異なります。そのため黄泉の世界にいる我々妖怪が人間界へ行くと、体が人間界の空気に耐え切れず人魂の姿になってしまいます」

「じゃあどうやったら人間界におれるんや!?」

「おや、そんなに人間界に興味がおありですか」

必死に聞く界に、月代は目を細める。まるで界のその様子を楽しむように。

「当たり前や!みんな人間界が楽しいって噂しとるんや、わいも行きたい...わいも一回でええから、人間界で生活してみたいんや...!」

人間界を満喫する事を切実に願うも人魂になってしまい叶わなかった事。それを思い出し思わず辛そうな顔をする界。

「...一つ」

「え?」

「一つだけ、行ける方法がございます」

月代が人差し指を立てて静かに言う。すると、どこからともなく一つの薬瓶を取り出した。

「こちら、人間の体になれる薬「擬人薬」でございます」

「ぎじんやく...?」

界の言葉にこくりと頷き、説明を始める月代。

「この薬を飲めば人間と同じ体を手に入れる事が出来、人間界に行っても人魂の姿にならずに生活出来ます」

「おぉーー!そりゃすごいやん!」

「待て、怪しいぞ」

月代の説明に目を輝かせて嬉しそうに言う界の肩を掴み、怪しむ篝丸。

「この薬を飲んで人間界での生活を楽しんだ妖怪は数多くいます。皆口を揃えてこう言いました...「この薬は本物だ」と」

夢のようなその言葉に、界は目を見開く。

「ただし効き目が強く、すぐには元の姿に戻る事は出来ません。しかしその効果は抜群。あなた方のように人間界へ行きたいという願望を持つ方にとって、とてもふさわしいものだとは思いませんか?」

にこやかに話し終えた月代。疑心暗鬼な篝丸が界に残念そうに言葉をかける。

「界、これは...」

「...わかった」

界が静かに言って俯く。暫く黙り込んで、それから口を開いた。

「買うわ!!」

界の言葉に篝丸が思わずズッコケる。

「貴様ッこんな胡散臭いものを!!」

「だってこれまでに試したやつらはみーんな本当に人間界に行けたんやろ?ほならわいらもやろうや!その薬くーださい!」

界に近付き怒鳴る篝丸を気にせず嬉しそうに言う界に、月代が微笑む。

「ありがとうございます、ただ少々値が張りますが...」

そう言って月代が紙にさらさらと値段を書く。それ見た篝丸は思わず仰天した。

「たッッかい!!こんなもの買えるわけが...」

ふいっと月代に背を向けて界を見る篝丸。すると界と海舟が瞳を潤ませて言う。

「わいお金持ってないねん...頼むわぁ篝丸...」

「海舟からもお願いだお、篝丸...」

「......!!」

自分が今頼りにされていると実感する。今にも泣きそうな二人を見て、歯を食いしばりぷるぷる震える篝丸。震える手で懐から財布を取り出した。

「毎度ありがとうございます」

篝丸が渋々金を払い、擬人薬が手に入った。

「やったー!これで人間界に行けるでー!」

「わーい!やったやったー!」

「全く、はしゃぎすぎるでないぞ...!」

はしゃぐ二人に篝丸が呆れながらも注意する。わくわくしながら歩く二人の後をついて行こうとすると。

「篝丸さん」

後ろから声がする。振り返ると月代が手を振っていた。

「またお待ちしておりますよ、篝丸さん」

篝丸が少し頬を赤らめてそっぽを向く。

「っ...!待っておらんで良いわ!」

そう吐き捨てて歩く界と海舟を追って行った。


再び商店街を抜け、先程来たばかりの人間界に繋がる階段へ。

「さーてっ、早速いこか!」

「待て、本当に良いのか?もし失敗して行けなくなったら...」

薬が手に入った喜びで、先程よりも明るく言う界だが、またしても不安がる篝丸。すると界は篝丸の肩をぽんぽんと叩いて笑った。

「やってみないとわからんこともある。せやろ?」

篝丸がはっとする。界に自信がついた事を実感し、少し安心したように微笑む。

「さっ、いくでー!」

瓶から薬を出して三人同時に薬を飲む。そして階段をどんどん登り進めていく。

階段の頂点に辿り着いた時、白い光が身を包む。

「...!」

自分達を包んでいた白い光が無くなり、ゆっくりと目を開ける。

自分を見ると、もう人魂になどなっていなかった。手も足もある。耳を触ってみると、獣の耳ではない柔らかい人間の耳となっていた。

「人間になれたー!!」

界が嬉しそうに叫ぶ。嬉しさで何度もその場を飛び跳ねた。

「おわ〜!これが人間の姿!すごいお!篝丸もツノなくなってるお〜!」

「海舟も肌が水色でなくなっている...本当に人間の姿になれたのか...!?」

自らの外見を確認し合う海舟と篝丸。妖怪のそれとは違う、新しい外見に互いに興奮している様子だ。

「にひっ」

界が良い事を思いついたように笑う。

「んじゃーやっぱりやることはアレやな!」


海沿いに設立された学校、来導高等学校(らいどうこうとうがっこう)。

8月中旬、海風が心地良く吹く。澄んだ青い空、海の匂い、爽やかな朝にホームルームのチャイムが鳴る。

ざわざわとするクラスに、担任の声が響く。

「はーい静かに、席着いてね」

マスクを直しながら言う担任。左耳に付けたピアスがチャリ、と音を立てて揺れる。

「転校生を紹介します」

担任が言うと、黒板の前の三人が姿勢を正す。

「九尾界くん、青途海舟さん、鬼羅篝丸くんの三人です」

そう言われてから、界が真っ先に自分をアピールし始める。

「どもー!界でっす!覚えやすいやろ?」

「よろしくだお〜!」

「(どうしてこんな事に...!!)」

笑う界にキラキラした目で手を振る海舟、そして焦りと怒りと冷や汗でいっぱいの篝丸。


界達の人間ライフが、今幕を開けた。

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