ブラッド・ビースト

船越夕木

第一章 眠るは人間 身に纏うは厄災

第1話 掛け違い

 「父さん!母さん!」




 あたりに響き渡るのは幼い子供の叫び。自身の家族を呼ぶ叫び。


 だが、叫ぼうとする喉は、あたりに充満した煙と、熱気でむせ返ってしまう。




 地獄が存在するのならきっとこんな風景だろう。


 子供の周りは炎で包まれ、じりじりと肌を焦がしていく。ほんの数刻前までの楽しい日常は無残に燃やされた。




 「アラヤ!来ちゃダメ!」




 姿はちゃんと確認できない。でも、それは紛れもなく、愛しい母の声。


 二つの影が炎の奥で立っている。紛れもない、父親と母親の姿だ。


 炎が行く道を阻まなければ、今すぐその場へと駆け寄りたい。


 その気持ちは母の叫びによって阻止された。




 「どうしたの!?母さん、父さん!」


 「大丈夫だ!アラヤ!早く逃げなさい!」




 逃げろ。そういわれても、子供の足が不測の事態に正しく動くことはできないのは、両親が一番分かっていた。




 炎の奥。父親と母親のいる場所よりもさらに奥。そこから、大きな何かがゆったりと血数いてくるのが分かった。




 拙い知性であっても、この世界の住人であればわかる。




 血獣だった。




 災厄を振りまく恐怖の権化。血を喰らう化け物がそこにはいた。




 少年、香月アラヤの平穏はそこで終わりを告げる。




 気が付けば転がっていた母と父。


 もはや助かる見込みがないほどに大きく腹を裂かれた二人は、そっとアラヤを抱き寄せた。


 炎の中でより感じやすくなった、母と父の体温。今までになく冷たくなった二人。


 その二人は最後にこう言った。




 「アラヤ、大きくなるんだぞ。好き嫌いするな。元気でな


 早くこっちには来るなよ・・・」


 「元気でね。


 優しい子に育ってね。




 誰かを助けられる人間になりなさい。




 そうすれば、いつかそれがアラヤに帰ってくるから・・・


 大好きなアラヤ。私の、子・・・」




 大切なふたりはもういない。


 そこにあるのは二つの屍。




 香月アラヤはその光景を見たのを最後に意識を闇に沈ませた。






 ***






 少年が目を覚ます。


 不思議な場所に立っていた。


 しかしそんなことよりも。




 「わぁ」




 目を輝かせ、地面に転がる無数の綺麗な宝石たちに胸をときめかせる。




 少年の足元を中心に、円形に白い地面があった。そこに宝石が散らばっていて、輝いて見るものを魅了した。


 目を離すことも許されないほどの輝きがそこにはあって、現に少年は眼を逸らすことはなく、宝石を手に取って遊んだ。




 しかし、どれだけ綺麗な宝石であっても少年の好奇心は奪いきれない。


 少年は、辺りを不思議に思って見渡してみる。なにか他にはないものか、なにか新しいものはないのか。胸を躍らせるように辺りを見渡した。




 そして見つけた。


 離れたところには、少年がいる場所と同じように円形になっているところが存在して、そこにはたった一つ、綺麗な綺麗な宝石が置いてあった。




 「なんだろ」




 少年は、宝石を再び地面に転がして、少し離れた足場の下へ向かおうとする。




 しかし、その瞬間、足場が突然消え、浮遊感と恐怖と驚愕が入り混じった感情が襲う。




 少年は落ち続け・・・。












 「は・・・!」




 がさりと掛け布団が音をたてて波をを形作る。


 香月アラヤにとって最悪な目覚めであった。




 「ゆめ、か」




 背中にはびっしょりと脂汗をかいており、自分の恐怖度がうかがえる。たびたび見るその夢には一度も慣れたことはなかった。何せいつだってその夢を見る時、アラヤは無知で無垢な少年に戻ってしまうのだから。


 その夢を見るようになったのはかなり前だった。




「10年くらいになるか」




 呟きを聞くものは誰もいない。


 そっと視線を窓に向ける。藍色一色に染まったカーテンの向こうから気だるげな光が突き抜けようと試みている。


 アラヤは自身が寝ていたベッドの頭元に置いてある時計に目を向けた。電波時計がLEDの光によって表している時刻は午前5時半だった。アラヤがいつも起きる時間には少々早い。しかし、今からもう一度寝られるかと言われれば否と答えざるを得ないだろう。




 「朝飯作るか」




 大人しく体をベッドから下ろし、自分の足で床に立つ。


 学生が住むには広いワンルームのアパートの中は窓から差し込むぼんやりとした朝の光りに照らされて薄暗かった。


 電気もつけずに部屋を歩く。目的は台所だった。


 コップを取り出して、蛇口を捻って水を満たす。それを一気にあおって寝ぼけていた目をカっと開く。とはいえ、思考は起きた段階で既にはっきりしていた。なので、これはアラヤが行う一種のルーティンといえよう。




 コップを適当な場所に置いて、続いて冷蔵庫を覗き込む。何を作るか前日に決めるのを忘れていたために出来合いになりそうな予感を孕みながら物色を続ける。




「うーん、卵焼き、味噌汁、あと、適当なおかずかな」




 アラヤはそう呟くと鍋に水を張り、火にかけ始める。


 普段は面倒くささと時間の兼ね合いで朝食を適当に済ませるアラヤだが、早く起きてしまったついでに、いつもより少し手をかけて作ろうという魂胆である。




 「さて、初めに」




 食材を取り出し、適当な大きさに切るため包丁を台所の下の棚から取り出す。


 包丁は気をつけなければならない。それは誰しも共通の認識である。それは包丁を使い慣れたアラヤも例に漏れない。


 しかし、アラヤは今日どうしても気になることがあった。


 10年前の出来事だった。


 片時も忘れたことのないその出来事は、強烈なトラウマをアラヤに植え付け、さらに大切なものを奪った。


 トントンと子気味良い音をさせ、食材たちが一定の形に切られて行く。慣れた手つきで行う作業でも刃物を扱っているため、注意は払っている、つもりではあった。




 しかしその思考の中にはやはり過去の光景が鮮明に映し出されていた。




 肌を焦がす灼熱。両親の死体。赤く染まっている床。絶え間なく流れてやまぬ、生きていたものの血液。


逃げ場のない絶望。


 真っ赤に染まった体躯をゆったりと揺らしながら此方へと一歩ずつ悠々と向かってくるケモノの姿。


 死がすぐそこまで来ている恐怖。死神が確かにその場にいるのだという感覚がアラヤを襲う。


 あの時ほど生を渇望したことは無いだろう。


 諦めを知らぬ少年はその恐怖を一身に受けることしかできず、それでいて生きる希望に伸ばすことさえさせてくれない。そんな絶望を肌で感じ、心が砕けた。


 そして何より、大切な父と母が目の前で切り裂かれ、血が飛び、身体が横に裂ける光景。血がアラヤに飛び散り、血液特有の生臭く、鉄くさいにおいが鼻腔をつく。二人のものだと容易に分かるとともに、二人はもう助からないと理解せざるを得ない状況。




 もう二度と見たくない光景はふとした時に必ず顔を出しては心を傷つける。




 「いたっ」




 突如として指の先が痛みを訴える。見ると、包丁の先がアラヤの指を深めに切り裂いて いた。


 過去の光景を脳裏で無理やり再生させられたアラヤの注意力は最大限希釈されていた。そんな中で刃物を触ればケガを招くことはわかり切っていたことだ。だからと言って回想を半ばで振り切ることなど、アラヤには出来なかった。それほど鮮烈に焼き付いた光景だったのだ。


 とはいえ、痛みがあってすぐに現実に引き戻されたことは幸運だったのかもしれない。


 しかし、指からはとくとくと血があふれ出した。




 「ああ、ち、血だ」




 自身から血があふれ出るのを見て、アラヤは恐怖し、慄く。冷静さは遥か遠くに消え去り、感情は恐怖に支配される。


 血から連想される光景が、陽人の奥深くからあふれ出てとまらない。恐怖に支配され、思い出す光景は、アラヤにとっては普段脳裏に浮かべる程度のものとは恐怖度合いが天と地ほどの差があった。




 「あ、えぅ、ああ」




 すぐに血を止めなければという、身体が覚えている動作だけで動き始める。その動きもとても通常ではないのが目に見えて分かるほどの焦り様だ。


 とりあえずたどたどしくも蛇口をひねり、おもむろに流水に手を突っこむ。チクリと突きささるような痛みが走るが、顔を顰めるだけで気にはしない。とにかく血を洗い流し、止めることが先決だった。




 この様子で分かる通り、香月アラヤは血液恐怖症である。




 原因は言わずもがな、十年前の出来事で間違いはない。


 アラヤが体験したあの経験は、大切なものを奪い、大きな傷をつけた上にそこに絶望の種を植えこんだのだった。


 




 「はあ・・・」




 とりあえず落ち着きをなんとか取り戻し、ため息をついた。しかし、その視線の先には悲惨なこととなった台所が広がっていた。


 焦って血を止めようとしたところ、様々なものにぶつかり、さらには熱湯をこぼすという事態も引き起こした。


 その惨状を見て、さらにため息を吐く。




 「あー、マジで、なんで治んねえんだろ」




 そうぼやくものの、心に強く根を張ったトラウマはそう簡単に消えることは無いと理解していた。


 そう考えてまたため息を吐く。




 「あー、適当に飯食って学校行こ」




 朝からげんなりとした表情を作りつつ、立ち上がり、置いてあった食パンの袋を開けて中から一枚だけ取り出して、袋の口を括っておく。そして、適当にジャムを塗って完成。


 先ほどまでの朝食を作ろうという気概は全く失せ、さらには食欲も失せたので、適当に食パン一枚だけに済ませることにしたのだ。


 家具を元の位置に直したら、キッチンの前、部屋の真ん中に置いてある低いテーブルにパンを乗せた皿を乗せて、テーブルの前に座る。




 「テレビでも見るかぁ」




 リモコンの右斜め上にあるボタンを力なく押す。


 今の時間なら、朝の情報番組を放送している時間帯だった。時間があるときはアラヤ


もニュースくらいならみている。最近の流行りや時勢を少しでも把握して周りとなじもうとしてるからである。




 僅かな無の時間をおいて、液晶に明かりがつく。


 丁度ニュースキャスターがニュースを読み上げるところだった。




 『きょう未明、血獣による被害で女性一人、男性一人が亡くなりました』




 ずきり。


 胸の奥が痛む。


 幸い血獣そのものが映ったわけではなかったので、トラウマを掘り起こすことはなかった。しかし、呼び覚まされた心の傷を掘り返すには十分なニュースでもあった。




 「はぁ。人を助けられる人間に、か。俺じゃあ無理だよ、母さん・・・」




 ここ最近、ため息が多くなったとアラヤは感じていた。それでいて、さらにため息を吐くことのなんと悲しげなことか。


 さらに、自虐的に笑っても見せた。そして、目を背けるように、テレビを見つめる。


 トラウマが多少なりとも掘り起こさるとはいえ、血獣に関してのニュースをアラヤは気にかけていた。ついつい目に入ると、そのニュースや情報を聞いてしまうのだった。




 『血獣』とは。


 名の通り、体組成の多くを血液成分が占める生物である。血獣の生態として、特に注目すべきな点がある。それは、血獣は他の生物の血液を取り込み、自身のエネルギーに変換する点だ。


 特に人間の血を好む傾向があり、血獣が度々人を襲う理由はこれだ。


 血獣は、突如としてあらわれる。


 それまで何もなかった土地に突如としてあらわれ、人々を襲うのだ。


 その存在が現れ始めたのが、およそ100年前。血獣に関してはわからないことが多く研究が続けられているのが現状だ。




 血獣の存在は明確に人類の繁栄を阻害するものであった。


 凶悪な血獣に対して、100年前の人類では太刀打ちすることが容易ではなく、徐々にその生活圏を侵される事態となった。




 ついには人類およそ五分の一が血獣による被害および、その二次災害で死滅することとなった。




 対応策が生み出され、血獣の対策がなされた現在でもその被害はいまもなお増え続けている。




 そして、生活圏を小さくすることを余儀なくされた人類は、国家同士が合併し、それぞれの国で様々な対応が行われた。




 アラヤたちの国、日本では生存圏コロニーが十の都市に分けられ、それぞれが血獣の被害から逃れるように大きな天蓋を持った壁の中で暮らしている。




 それがこの世界の平穏なのだ。




 血獣に関してのニュースは終わり、次のニュースへと切り替わる。




 「さてと」




 そっと静かにテレビの電源を切り、もう食べ終わったパンの皿を片付ける。 そろそろ支度をして家をでなければいけない時間帯になってきたからだ。


 皿をシンクに置き、スポンジを使って綺麗に汚れを取って水ですすぐ。指に巻いた絆創膏に水がかかるが気には止めずに洗って、乾燥させるために立てかける。その際に皿を落としそうになり、焦ったというのは内緒の話である。


 台所を出て、ベッドのそばに置いてあるハンガーラックに手を伸ばす。制服に袖を通し、ボタンを一つ一つ閉めていく。




「あー、そろそろセーター出そうかなー」




 気だるげに呟く。


 そう言っているうちにも時間は過ぎてゆく。


 アラヤはベッドの頭元で充電していた携帯型端末を手に取り、廊下を歩く。


 向かうは洗面所。歯を磨いて、顔を洗うためだった。


 明かりをつけるとその姿があらわになる。小さめの洗面所ではあるものの、ユニットバスではなく、ちゃんと風呂と洗面所が仕切られているタイプだ。


 多少の狭さは感じるものの、一人暮らしにとっては十分な広さだ。


 携帯を操作しながら歯を磨いた。歯を磨き終わり、携帯を置いてコップに入れておいた水で口をゆすぐ。


 そのまま手で水をすくって顔にかけた。


 冷たい水がアラヤの肌を濡らし、意識を無理やり切り替えさせる。




 「ふぅ。あ」




 濡れた顔をタオルで拭いて、鏡の中を見る。


 アラヤの視線は自身の顔ではなく、その下に注がれている。




 「ボタン掛け違ってんじゃん」




 第一ボタンから、それ以降がずれていた。


 いそいそとその掛け違いを直していく。




 「よし」




 今度こそきちんと身だしなみをお整えて満足げに呟く。




 これで朝の準備は終わりだ。


 アラヤはカバンを片手に家を出たのだった。




 アラヤが家を出た時間は、いつも出る時間よりも、十分だけ遅れていた。






 ***






 アラヤは息を切らしながら走った。


 朝の出来事のせいで、いつもより出る時間が遅れたことに気が付かず、街の大型モニターに映る時間を見た瞬間に焦りを覚えた。


 しかし、運動がそれほど得意でないアラヤにとって今の状況は大変宜しくない。


 横腹に突き刺さるような痛みを感じて顔を顰める。少しでも運動をしていたら良かったと後悔をするが、考えている暇が惜しい。とにかく足を前へ前へと突き出して走った。








 「疲れた」




 結果として、遅刻した。チャイムが鳴り終わってほんの少しでアラヤが教室に入った。そして言い渡されたのが遅刻の判定だった。


 今は朝のホームルームが終わり、次の授業が始まるまでの少しの休み時間である。




 「くそぉ〜」




 もう秋口だと言うのに体全身に汗をかいているアラヤの姿は教室の中でも異質だった。




 「どうしたのさ、珍しく」




 そんなアラヤの様子を面白そうに見て、声をかけた人物が1人。アラヤの目の前の席に座っているニンゲンだった。


 多喜ハルトはアラヤの親友である。




 「まぁ、人は時には失敗もあるって事よ」


 「失敗した側があんまり言う言葉じゃないね」


 「俺は挫けないのさ」


 「はいはい、で、ほんとに何があったの」




 くだらない言葉を苦笑いしつつ流す手つきはさすが長年の付き合いといったところだろう。




 「まあ、寝坊」


 「そっか」




 ハルトはそれ以上詮索はしなかった。彼はアラヤの事情をもちろんながら知っている。何より、獣災にあったときに一番傍でアラヤのことを支え続けたのはハルトであったのだ。それを踏まえて、普段慎重に生きているアラヤが遅刻をするということは何かあったということだとハルトは察したのだ。


 それ以降、ハルトのことは心の底から信頼できる友達であると、アラヤは思っている。




 「まあ、気を付けなよ」


 「ああ」


 「体調は大丈夫?」


 「目の前に超絶イケメン完璧超人がいなけりゃ最高だった」


 「そっか、じゃあ僕は早退しようかな?」


 「自分で言える自信がすげぇよ」




 なにを隠そう、多喜ハルトはアラヤが言った通り、完璧なまでになんでもできる超人でもあり、さらにはイケメンという非の打ち所のない人間だ。


 手入れをしていないにも関わらず、しているかのようなさらさらで綺麗な髪。人形のような大きな碧色の眼。白い肌には一切のシミはなく、透き通っている。中性的な顔つきをしており、さわやかなイケメンだ。


 もちろん女子からの人気はものすごく、なれが隣にいることでアラヤには多くの妬みや憎しみを込めた視線が突き刺さっている。


 そんなことはアラヤも慣れている。少々むけられる視線を気にはするが、基本的にはスルーである。




 「あー、今日に限って俺だけ先生の手伝いとか~」




 アラヤが遅刻したことによって最も弊害を受けたのが、遅刻したバツとして担任である大森先生の手伝いを放課後に行うということだった。


 幸い今日はバイトのシフトが入っていなかったために帰る理由も見つからず、先生の手伝いを了承せざるを得なかった。



 「どんまい。頑張って」


 「あーなんか腹立つー」


 「理不尽だね」


 「世界はなんて不条理なんだ」


 「不条理に感じるのは自分の所為でしょー」



 ウソ泣きの表情を作り冗談を交わす。


 家族のいないアラヤにとってこの瞬間が好きだった。寂しさを紛らわせるように一言づつかみしめるように言葉を交わしていった。


 そんな時間が過ぎて、授業が始まる。すこしの寂しさを覚えながらも、授業に集中するのだった。





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