地獄の番犬は飼い主の夢を見る⑥

「……なるほどねぇ。この飼い主さんもツキが無かったね~」


 ラビが飼い主の記した日記を読み終えると、ニーナが「あちゃ〜」と言いたげに痛そうな顔をしてそう言った。


 これには、俺も同情するしかなかった。不幸に遭う日に限って、お守りを持ち歩いていなかったようなものだ。黒犬の飼い主は、偶然起こってしまった不運によって、黒犬のご利益を賜ることなく、一人孤独に命を落としてしまったのである。


 この時、俺はふと、かつて転生する前、ブラック企業に勤めて徹夜を続けた挙句、疲労困憊でホームに倒れ、電車に轢かれた当時の自分のことを思い返した。境遇を同じくした俺とこの黒犬の飼い主は、案外似た者同士なのかもしれない。飼い主もどこか別の世界へ転生して、幸せにやってくれていればありがたいのだが……


『まぁでも、この世界で死んでしまったからには、きちんととむらってやらなきゃな』

「はい師匠」


 俺の言葉にラビも荘厳な面持ちで同意し、骨の入った袋をギュッと握り締めた。


 それから、ラビとニーナは廃墟と化した炭鉱の町中に小さな墓を立ててやり、そこへ飼い主の骨を埋めてやった。


 ラビは近くで取って来た青い花を一輪、木の枝で十字を組んだ粗末な墓の前に添え、祈るように両手を組む。


「でもまぁ、死んだ後とはいえ陽の当たる地上に埋葬されて、飼い主も天国で喜んでるんじゃない?」


 墓の前で両手を腰に回し肩をすくめるニーナに、ラビは小さく頷いてみせる。それから彼女は、まるで飼い主の魂と語らうように、墓に向かってささやいた。


「暗い洞窟にずっと一人ぼっちで、寂しかったでしょう? ――でも、あなたはもう一人じゃありません。今はどんな不幸もはねのけるが、あなたの傍に居てくれるのですから」


 ふとラビは顔を上げ、墓の周りを元気に駆け回っている黒犬の姿を見た。



 祈りを終えた俺たちは船に戻ったが、黒犬はもう俺たちの後を付いて来ることはなかった。黒犬は走り回って疲れたのか、飼い主の墓の前にべたりと腹を付けてうずくまったまま、俺たちの方をじっと見つめていた。


「あのワンちゃん、飼い主が亡くなっていること、気付いているのでしょうか?」


 ラビが俺にそう尋ねてくる。


『……いいや、あの様子じゃ多分気付いてないだろうな。主人の気配はすれど姿は見えなくて、アイツも戸惑っているのかもしれない。俺たちが連れて行って、第二の飼い主を探してやるのも手だとは思うが……』

「――でも、あの子はきっとあそこから離れないでしょうね」


 ラビは船縁に立ち、墓の隣で休む黒犬を悲しい目で見ながらそう答えた。


『まぁ、アイツの好きなようにさせるしかないさ』

「はい。………あの、師匠」

『ん?』

「………またいつか、ここへ来てもいいですか?」


 寂しい色をたたえた瞳を俺に向けて、ラビがそう尋ねてくる。俺は少し考えた後、『何言ってんだよ』と軽いノリで答えた。


『いちいち聞かずとも、この船の船長はお前で、俺はお前の船だ。ラビがその気になれば、いつでも戻って来てやるさ』


 ラビの表情は少し明るくなり、「はい! ありがとうございます、師匠」と安堵の笑みを浮かべた。


「ラビっち~、出航するよー!」


 操舵に就いたニーナの掛け声で、俺の体は宙へと浮き上がり、ドックを離れてゆく。


「………さようなら。また近いうちに、会えるといいね」


 離れてゆく廃れた街並みを背に、俺はフーリンを後にした。



 廃墟の中、残された黒犬は、遠ざかってゆく船影をじっと見つめ続けていた。そして船影が山並みの向こうへ消えて見えなくなってしまうと、再び立ち上がって町中を駆け回り始めた。


 体は小さく、けれども勇猛果敢で有能な「地獄の番犬」とも呼ばれた黒犬。彼は、もう二度と現れることのない最愛の飼い主を、今もずっと、ここで待ち続けている――


(終)








~旅の道中出会った、名も無き一匹の黒犬に捧ぐ~

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