第3話 おじいちゃん
前話でも語ったように、幼き私には死の概念は
よくわかっていません。
何か哀しい事なのと 悪いことをすると
おとぎ話のように死においやられる
その様な 認識でしか
なく
いつも の ように おじいちゃんと 遊んで日々
を過ごしてました。
お父さんと、お母さんは、共働きで
いつも夕方か夜にならないと帰ってきませんし
小さい頃よく喧嘩をしていた。お姉ちゃんも
3歳年上で、幼稚園や小学校に通って
いましたし、夕方前までは家にいません。
それを寂しいなんて、当時の私は全然感じていませんでした。
何故なら、私には いつも 側におじいちゃんが
居てくれたからです。
おじいちゃんは、私の主観ですけど
お姉ちゃん以上に 私は 可愛がられていたと
今でも記憶しています。
さくらももこ先生の作品
チビまる子ちゃんで言う、まる子 と ともぞう
のような関係性ですね。
今日は、おじいちゃんと一緒にオセロ、
トランプ、花札、将棋、そんな昔のゲーム
や、一緒に畑へ出かけて、私だけ野原や、
原っぱを、駆け回ったり、冒険したり、
虫取りしたり、、、
大好き?だった?
私の背丈よりは少しだけ小さい
でも大きいスヌーピーのぬいぐるみを
紐で体に括り付けてもらって、背中に負ぶった
感じで 一緒に 冒険 ♪ 右手には 布団を叩く
為の道具、〝布団叩き〟を右手に携えて
1人 近くの田んぼや、畑を冒険していた記憶です。
なんだかんだ おじいちゃん共 1人でも
遊ぶことの楽しさを、感じていた私
「おじいちゃん それ ズルい!」
ゲームでは手加減してくれていたとして
ハンデはくれていても
私が勝つことは 運か 勝たさせて もらう以外は
当時は 少なかったことでしょう。
大人と子供の差
勿論 テレビなんかも あったので おじいちゃんと
コタツの中で 一緒に観たりもしていました。
当時はインターネットなど、なくて
テレビ番組は、私に刺激を与えてくれる
大切なアイテムでもあり、 TVの画面に
夢中に 釘付けにされ、追いやられ その場を
動くことすら ままならく 私の行動を制限し
奪い去り 停止させる そんな アイテムでもありま
した。
そんな コトから 私は当時 テレビっ子でも
ありました。
私が小学校などに上がれば 夜は お姉ちゃんと
チャンネル争いのケンカ お姉ちゃんは好きでも
ありライバル!
PM3時過ぎ〜夕方の時間は私とおじいちゃんが
リビング(居間)のテレビは大体占領 ♪
家には 私とおじいちゃん しか居ない ことが
日常 茶飯事なので
普段 お出かけする時も おじいちゃんと一緒
車で ブッ ブーッ お店にお菓子を買いに行ったり
近くの小さな お店だと
「おじいちゃん 100円ちょうだい」 にっこり
「よし わかった チョット 待って なぁ」
と私の為にカバンを取りに行って財布から
お金を取り出し、私にくれます。
いつから おじいちゃんから お金を貰うように
なったのかは 少し忘れましたが、2、3、4歳くらいで おじいちゃんが お菓子を買ってくれる時
お金を、使っているのを目撃したりして
お金で 物を購入できるコトを 覚えたのだと
思っています。
また テレビに戻りますけど、大体おじいちゃんとは、時代劇や、相撲 当時あまり好きでは ありませんでしたが、おじいちゃんが 見たいなら、私も
我慢して 一緒に観ることも 、あとは私が好きだったアニメ番組などの再放送とかも 座ったり 寝転んだり 膝の上だったり 日によって 見方は変わります
それと 別にテレビが
一台しか なかった訳では ありません。
何故なら、二階には お父さんとお母さんの部屋に
小さなテレビが 一台、おじいちゃんの住む部屋
主屋の少し横の離れの二階にも テレビは一台あったのです。
多分 誰かと一緒にテレビ観る時間が 好きだったのかそれと も リビングのテレビが 少し大きな画面
だったから? か なのかは 今では はっきりとした
当時の理由は、憶測でしか解らない部分もあったり
します。
おじいちゃん と 一緒に テレビを観ていた時間は
私が 誰よりも 1番 多いのです ♪
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