3 記

 ぼくが人工衛星落下の現場にいたのは、ぼくが雑誌記者だったからで、東京近郊にも存在する田舎風の郷里を訪ねる雑誌の企画でその日人造湖である宮ケ瀬湖まで足を伸ばしていたからで、それ以外の理由があるとは思えない。その取材にぼくは後輩の山下理緒菜を伴っていたが、それは雑誌編集長村上卓からの命令であって、ぼく自身が何か画策したということではない。村上編集長は東京大学理科三類の出身者でありながら親の意向で国家試験を受けて外務省に入省したという一風変わった経歴の持ち主だ。入省した当時は特に波乱もなく大人しく勤めを果たしていたらしいが、約一年経ってから頭の中で電波に呼び掛けられて心を決め、野に降りて雑誌編者になったと吹聴してまわるような変わり者だ。変わり者だが頭は切れて、しかも本郷系のネットワークを持っていて、それを活用できる才覚もある。本郷系のネットワークを持っているということは、多くの上場企業や各省庁の官僚たちの中にいる、どちらかといえば上層部の人間たちと関連があるということで、場合によっては日本中を震撼させかねない重大情報を担当大臣たちより早く手に入れることも可能ということだ。よって村上編集長は早速掴んだアメリカ人工衛星の宮ケ瀬湖近傍落下情報を手持ちの駒であるぼくに伝え、ぼくと山下理緒菜は焦眉の急と必死になって駆け着けるまでもなくすぐさま現場付近に到着する。陸上自衛隊やアメリカ軍よりも先の到着だ。他にも観光客たちが十数名いたが、人工衛星の実際の落下を現場付近から実際に目撃できたのは、結果的にぼくたち二人を含めてその十数名の宮ケ瀬ダム見学者と自衛隊員およびアメリカ軍兵士だけとなる。近隣の住民についてはわからない。さらにその外延の近隣住民についてもわからない。人工衛星落下の報を受けて後から墜落予想現場に駆けつけようとしたテレビや雑誌の記者たちはひとり残らず警察と消防隊員たちに押し返される。電車もバスも一次運行中止を余儀なくされて、その他の野次馬たちも遥か山の麓から世紀の天空ショーを眺めやることしか出来なくなる。とにかく刻限が迫り、時刻が到来し、彼方に人工衛星と思しい物体が発光状態で現れる。それは不思議にもゆったりとしたスピードで落下してきて、自身をどんどんと燃え尽かせていく。その過程を一瞬でも目にすれば、人工衛星の燃え残りがわずかでも地表に到達できるとは思えなくなる。そう感じさせるくらいに激しい勢いで発火が続く。自衛隊員からもアメリカ軍人からも落下の取材を拒否されなかったので、山下理緒菜は高性能のデジタルカメラで人工衛星の落下映像を録画している。ぼくはぼくで広角レンズを付けたいまどきの一眼レフカメラで対象を追いかけながら何故か違和を感じている。最初ぼくはその違和感を比率の違和感だろうと思っている。比較対照がなければ火の玉の大きさはわからないというような違和感だ。だがその違和感に答えが出る前に早々に火の玉が爆音を轟かせながら四散して、すべてが燃え尽きて無に戻って行く。まさに無に戻って行くとしか表現できない光景だったが、その後にズウンと地響きが鳴る。何も落ちたものは見えなかったにも関わらず、その後にズウンと地響きが鳴る。けれどもその振動は伝わらない。けれどもその衝撃は伝わらない。そこに巻き上がる炎も煙も観測されない。落下場所から唯一伝わってきたのは胸の悪さ。いまにもえずきたくなりそうな胸の悪さ。胃の内容物を辺り構わずすべてぶちまけてしまいたくなるくらいの胸の悪さだ。そして、その胸の悪さを感じていたのはぼくばかりでない。山下理緒菜も蒼白な顔をしながら右手で心臓の上を押さえている。ダムの観光客も自衛隊員もアメリカ軍兵士も程度の差はあれ皆一様に胸の不調を訴えている。ぼくのまわりがそんな表情で囲まれる。ぼくがそんな表情をした一団の一群に加わっている。

「何なんでしょう、この胸の気持ち悪さは?」と山下理緒菜がぼくに問う。

「理論的じゃないけど、答えはあそこにあると思うな」とぼくが何かが落ちた十キロメートルほど先の落下地点を指差して言う。

「それって、上原先輩の直感ですか?」と重ねて山下理緒菜がぼくに問う。

「いや、直感ではなくて確信だ。もちろん証拠も確証もないけどね」とぼくは山下理緒菜に答えている。ぼくの口がぼくの意思に逆らって勝手に応えた感覚がしたが、ぼくはその感覚を山下理緒菜には伝えない。ただ現場の状況だけを口にする。

「さて、アメリカ軍が動き出したようだな。無理だとは思うけど切り札を使ってみよう」

 そういって、ぼくは自衛隊員の制止行動に緩やかに逆らいながらアメリカ軍兵士の集団の方に近づいて行って英語で叫ぶ。

「あなた方の中にかつて東京大学で勉強した留学生はいないか? 村上卓を知っているものはいないか?」

 正直いってそんな呪文に効果があるとは思えなかったが、村上編集長はどうやら既に手を打っていたようだ。

「おまえが村上のところの上原か?」

 ぼくの言葉にアメリカ軍小隊の隊長らしい男が応えて、そう尋ねる。

「そうだ」と、ぼくが答えると、

「わかった。同行を許可する。ただし写真撮影は一切禁止だ」

 ここで逆らっても仕方がないので首肯きながらぼくは言う。

「仲間がいるんだが……」

「わかった。早く連れてこい!」

 すると、それまでぼくたちの遣り取りに呆気に取られて目を身開いていた自衛隊員が急に正気に戻ってぼくたちの間に割って入る。

「おい、ちょっと待て!」

 それに応えてぼくが言う。「あなた方の仕事は人工衛星の回収ではないでしょう。それにこれは軍事ミッションではありません。ぼくたちは民間の雑誌記者でアメリカ軍担当者から取材を許可されています」

 すると自衛隊員は一旦引き下がってこの地に来ていた中では一番階級が上らしい小隊長を連れて来て、ひと言ぼくを詰ると去ってゆく。ぼくは自衛隊の小隊長に同じ説明を繰り返す。アメリカ軍の小隊長はじりじりしながら待っている。じりじりしながら、その様子を見つめている。人工衛星が落下しているときには飛行を取り止めていたアメリカ軍の軍用ヘリコプターのローターが宮ケ瀬ダムの駐車場内でのろのろと回転をはじめている。軍用ヘリコプターのローターがのろのろと回転をはじめて辺りに風が吹き上がる。結局、自衛隊の小隊長は上層部の――すなわち村上卓の仲間のひとりの――人間に連絡をとって渋々ぼくたちを自由にする。それからダムの観光客に向かって、「避難を開始します!」と憂さを晴らすように大声で叫ぶ。ぼくは山下理緒菜を手招きして二人でアメリカ軍小隊長の後に付いて行く。小隊長は早足だが、ぼくたち二人は駆け足だ。軍用ヘリコプターに乗り込んでから日本語で小隊長にぼくは訊く。

「あなたはウチの村上に何の秘密を握られているんです?」

 するとピート・ジェンキンズと名乗った小隊長がにこやかな笑みを浮かべて呟く。

「若い頃に無茶をするのは万国共通ではありませんかな?」

 そんな小隊長の答えにぼくと山下理緒菜が顔を見合わせる。

 そして先ほど人工衛星の落下を観察していたときにはチラともぼくたちの視界の中には現れなかったが、そのときにはもう早紀と真紀の乗った飛行機は電子機器を狂わされていたはずだ。そしてパイロットたちの必死の努力にも関わらず姿勢制御を失って北アルプスの一般人は誰もその名を知らない山の頂上目掛けて死の墜落飛行を開始していたはずだ。だが、ぼくがそれを知るのは数日も後のことになる。

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