ボクシング小説

浅野浩二

第1話

ボクシング小説


哲也は地元の青葉台高校に入った。

入学式の日、哲也が、青葉台高校の校門をくぐると、色々な部活の勧誘が行われていた。

哲也は、中学の時は、卓球部だった。

なので、高校でも、哲也は、卓球部に入ろうと思っていた。

哲也は、中学時代、全国中学校卓球大会で、かなりの、上位になったこともある。

卓球の腕前は、かなりのものだった。

哲也が卓球を選んだ理由は。

陸上部では、単調でつまらない。

卓球は、相手との、戦いである。

その点、が面白そうだと思ったからである。

哲也は、高校では勉強を第一に考えた。

将来は、出来たら国立の医学部になって、人を救う医者になろうと、思っていた。

なぜ、哲也が、中学の時、卓球部に入ったか、というと、中学校では、卓球部の部員が、少なくて、同じクラスにいた、佐川美津子、という女生徒に、

「哲也君。よかったら、卓球部に入らない」

と、誘われたからである。

哲也は、実は、佐川美津子、が好きだったのである。

初めて見た時から、ドキン、と心臓が高鳴っていた。

誘われた時、哲也は、「う、うん。いいよ」、と平静を、装って了解した。

しかし、本当は、哲也は、美津子のいる卓球部に入って、一緒に、卓球をしたかったのである。

哲也は、シャイだった。

しかし、美津子に、卓球を、教えてもらっているうちに、哲也も、卓球の技術が向上していった。

そして、だんだん、美津子とも、親しくなっていった。

ある金曜日のことである。

「哲也君。おしつける気はないけれど、よかったら、これ読んでみない」

そう言って、美津子は、哲也に、ある書物を渡した。

「あ、ありがとう」

そう言って哲也は、その本を、受け取った。

それは、新約聖書だった。

哲也にとっては、ちょっと、以外だった。

何か、美津子のお気に入りの、文学書を、美津子が勧めるのではないか、と思ったからである。

「あ、ありがとう。読みます」

哲也は、美津子がくれるものは、何でも嬉しかった。

「あ、あの。哲也君。私の父親は牧師なの」

美津子が照れくさそうに言った。

なるほど。卓球部への勧誘であると、同時に、宗教の勧誘でもあったのか。と哲也は思った。

哲也は、聖書は、読んだことがなかった。

クリスマスはイエス・キリストの誕生日で、イエス・キリストは、十字架にかけられて死んだ、ということくらいしか、知らなかった。

哲也は、家に帰ると、さっそく、美津子が渡してくれた、新約聖書を読んでみた。

哲也は、読みながら、ふーん、凄く立派な教えだな、と思った。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、の四福音書、のうち、マタイ伝、だけ、を、サー、と読んでみた。

哲也は、とてつもなく、理想の高い教えだな、と驚いた。

哲也の家庭は、特に、何かの宗教を信じているわけではなかったが、形式的に、一応、仏教の、浄土真宗を信奉していた。

土日の休みが明け、月曜になった。

学校に行った、哲也は、教室で、美津子と会った。

「おはよう。哲也君」

美津子が、いつものように、元気よく挨拶してきた。

「おはよう」

哲也も挨拶を返した。

美津子は、僕が聖書を読んだか、どうか、知りたがっているだろう。

それを美津子の方から言わせるのは、心苦しい。

なので、哲也の方から、美津子に話しかけた。

「あ、あの。美津子さん。聖書、読みました。最初のマタイ伝だけですけど」

明らかに、美津子の顔に喜びの感情が、出ているのが、見てとれた。

「そう。で、どうだった?」

美津子が聞いた。

「とても、理想の高い、博愛の教え、だと、びっくりしました。キリスト教は、博愛の宗教、であるということは知っていましたが。でも、何カ所か、わからないところもあります」

哲也が言った。

「私だって、その意味が、よくわからない所はあるわ。でも、お父さんに、聞いて、教えてもらって、まだ、十分はわかっていないけど、一応、納得している気になっているの」

美津子は微笑した。

哲也は、イエス・キリストの行った奇跡については、美津子に言わなかった。

きっと、美津子も、返答に困るのでないかと思って。

美津子が困ることは、したくなかった。

「哲也君。よかったら、今度、教会に行かない?」

美津子は、ニッコリ笑って聞いた。

「う、うん。行くよ」

哲也は、照れくさそうに、頭をかきながら言った。

こうして、哲也は、その週の日曜日に教会に行った。

もちろん、哲也は、美津子と並んで座った。

それは、嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。

讃美歌は、持っていなかったので、美津子が讃美歌を見せてくれた。

美津子の父の牧師の説教は、現代の社会問題、世界問題、について、キリスト教の、教え、とからめて述べたもので、時折、ユーモアも交えたことも言って、それなりに、面白く、ためにもなった。

献金袋が回ってきた時、哲也は、大枚、1000円、入れた。

集会は、1時間ほどで、終わった。

「哲也君。どうだった?」

美津子が、微笑して聞いた。

「う、うん。ためになったよ」

哲也が答えた。

「よかったら、また来てね。別に強制はしたくないし、哲也君も、日曜日には、やりたいことがあるでしょうから」

「う、うん」

こうして、哲也は、美津子と別れた。

その後、哲也は、時々、日曜日には、教会に行くようになった。

・・・・・・・・・・・

教会に行った後、美津子の家で、二人で勉強した。

「哲也君。高校はどこへ行くの?」

美津子が聞いた。

「青葉台高校」

「私もよ」

青葉台高校は、二人の住んでいる街から近く、県でも、レベルの高い進学校だった。

さすがに、灘高校ほどの、難関ではないが。

しかし、青葉台高校は、頑張れば、二人にとって、入れる高校だった。

そして、二人は、第一志望として、青葉台高校を受験し、二人とも合格した。

高校では、さすがに、卓球部では、男子と女子が別々なので、哲也は、どうしようか、と迷った。

哲也は、将来は、出来ることなら、医者になりたいと思っていたので、国立医学部に入るために、勉強に専念しようかとも、思った。

しかし、男子と女子が別々でも、同じ、卓球、をやっているのだから、時々は交流があるだろうから、卓球部に入ろうか、と思った。

ともかく、美津子は、当然、卓球部に、入るだろう。

なので、哲也も、男子卓球部に入ろうと思った。

美津子は卓球部に入った。

しかし、入学して早々、ある時、美津子が、哲也のところにやって来た。

「ねえ。哲也君。部活は何部に入るの?」

なぜか、美津子は浮かない表情だった。

「えっ。それは、卓球部に入ろうかと・・・」

「そう・・・・」

美津子は、なぜか、寂しそうだった。

「美津子さんも、女子卓球部に入るんでしょ?」

「いえ。私。卓球部には入りません」

「えっ。どうして。じゃあ、何部に入るの?」

「あ、あの。哲也君」

「はい」

「もし、よかったら、ボクシング部に入らない?」

哲也は耳を疑った。

「ええー。どうして、そんなこと言うの?」

哲也は声を大に言った。

「実はね、私、ボクシング部のマネージャーもやっているの」

「ふーん。そうなの」

「それで、部員が足りなくて・・・」

なるほど、部活の勧誘か、と哲也は納得した。

美津子が、無理強いしたくない態度は見てとれた。

哲也は返答に窮した。

いきなりそんなことを言われても。

心の中で、咄嗟に、起こった言葉を、哲也は口には出さず、自制した。

「無理強いはしないわ」

哲也の思いを先回りして、美津子が言った。

「ちょっと、考える時間をくれない?」

「ええ。もちろん、いいわよ。あせらなくて」

どこか、美津子は、しょんぼりしていた。

少し話して、二人は別れた。

どうして美津子は、ボクシング部のマネージャーになったのだろう?

それが、哲也の一番の疑問だった。

クラスメートの噂では、美津子は、可愛いので、ボクシング部の、キャプテンの町田鉄男に、熱烈に、マネージャーになって欲しい、と頼まれて、人から、何かを頼まれると、断れない美津子は、マネージャーを引き受けた、らしい。

町田鉄男は、どうか、マネージャーになって下さい、と、土下座までして、美津子に頼んだらしい。

なるほど、と、哲也は納得した。

美津子に、誘われたので、哲也は、体育館へ行ってみることにした。

ボクシング、なんてやる人は、気の荒い、気性の激しい人だろう、と、哲也は、おずおずと、入った。

「失礼します」

数人の人が、サンドバッグを叩いたり、縄跳びをしたり、リングで、ミット打ち、をしたりしていた。

彼らは、練習を一時やめて、哲也に視線を向けた。

「やあ。山野哲也君だね」

サンドバッグを叩いていた、3年生、で、キャプテンの、町田鉄男が、哲也に、近寄って来て、握手を求めた。

哲也は、「はじめまして」、と言って、町田鉄男と握手した。

「さっそくだけど、ボクシング部に入らない?」

町田鉄男は優しそうな顔つきで言った。

「・・・・・・・・」

哲也は返答に窮した。

ボクシング、などという、ハードな格闘技は、こわい、というイメージしか、頭になかった。

それを、察したかのように、町田鉄男は、

「ははは。ボクシング、は、そんなに、危険なスポーツじゃないよ。プロなら、ともかく、アマチュア、しかも、高校生レベルなら。試合をしたくないのなら、縄跳び、や、サンドバッグを叩いたり、ミット打ち、の練習だけでもいい。試合をするとしても、たかが、3ラウンドだし、しかも、ヘッドギアを、つけるし。しかも、グローブも8オンス程度だし。パンチドランカー、になるとか、鼻がつぶれる、とか、いうのは、世界ランキング選手のレベルだけだよ。それより、ボクシングは、有酸素運動の効果、瞬発力、敏捷性、を鍛える、などのメリットがあるから、健康にいいよ。世に、ボクササイズ、というのがあるだろう。あれをやっている人達は、もっぱら、健康のためにやっているんだ。それに、受験勉強で疲れた、ストレス解消にもなるからね。何かを思いきり叩く、というのは、ストレス解消に一番いいんだ。それに、ボクシングの技術を覚えておけば、社会人になっても、シャドーボクシングが出来る。そういう理由で、入部する人も、結構、いるんだ」

回りで、シャドーボクシングをしている人も、

「ああ。そうだよ。ボクシングのように、踵を浮かす、スポーツは、新陳代謝が良くなり、心肺機能が向上するからね。モハメドアリのアリシャフルも出来るようになる。僕だって、試合はしないと、割り切って、ボクシング部に入ったんだ」

と言った。

町田鉄男、や、部員の話を聞いているうちに、哲也も、何となく、ボクシング部に入ってみようか、という気持ちになってきた。

「パンチングボールを叩いてみないかい?」

町田鉄男が言った。

「は、はい」

哲也は、しどろもどろに答えると、町田鉄男は、リングから降りてきた。

そして、哲也の手に、バンテージを巻いてやった。

「さあ。叩いてごらん」

町田鉄男に言われて、哲也は、パンチングボールを叩いてみた。

中学の時、卓球をやっていたので、それが、哲也の運動神経、反射神経、を鍛えていた。

哲也は、かなり、上手く、パンチングボールを打つことが出来た。

「上手い。上手い」

町田鉄男が褒めた。

哲也は、ボクシング、って、結構、面白いものだな、と思った。

次に、町田鉄男は、

「じゃあ、今度は、サンドバッグを叩いてみない?」

と言った。

「は、はい」

哲也は、サンドバッグを叩いてみたくなった。

哲也は、練習用の、グローブをはめて、サンドバッグを叩いてみた。

町田鉄男は、スマートフォンを、取り出して、音楽を流した。

それは、ボクシング漫画の金字塔の、「あしたのジョー」の、オープニングだった。

サンドバッグにー、浮かんでー、消えるー♪

哲也は、サンドバッグを叩いているうちに、何だか、自分が、「あしたのジョー」の矢吹丈になったような、気分になってきた。

哲也は、サンドバッグを思いきり叩いた。

「上手い。上手い」

町田鉄男は、また、褒めた。

「君はかなり、運動神経がいいね。じゃあ、今度は、ミット打ち、をしてみる?」

町田鉄男は、誘った。

「は、はい」

「じゃあ、リングに上がって」

言われて、哲也は、リングに上がった。

町田鉄男が、グローブを外し、ミットを手にはめた。

「じゃあ、1ラウンドだけやってみよう。ゴングを鳴らして」

町田鉄男が言った。

リングの外で、シャドーボクシングをしていた、生徒が、ゴングを鳴らした。

カーン。

「さあ。打ってごらん」

言われて、哲也は、町田鉄男が構えたミットを打ち出した。

相手が初心者なので、町田鉄男は、哲也が、打ちやすいように、あまり、動かさなかった。

ミットを打っているうちに、だんだん、ミット打ち、が面白くなってきた。

しかし、同時に、息が切れてきた。

カーン。

1ラウンドを終える、ゴングの音が鳴った。

ハアハアハア。

たった3分間、ミットを打っただけで、こんなにも、疲れるものかと、哲也は、自分の、スタミナ、持久力の無さを痛感した。

哲也は、高校では、勉強を第一にしようと、思っていたが、勉強を、続けるには、体力もなくてはならない。

「どうだった?」

町田鉄男が聞いた。

「自分の体力の無さ、を感じました。そして、ボクシング、って、面白いな、って思いました」

それは、ウソではなかった。

「じゃあ、ボクシング部に入ってみない?」

町田鉄男が聞いた。

「は、はい」

こうして、哲也は、ボクシング部に入ることになった。

部室を出ると、美津子が、駆け寄ってきた。

「ゴメンね。哲也君。無理に誘っちゃったみたいで・・・」

美津子は申し訳なさそうな、顔つきで言った。

「いや。いいんだよ。僕も、体力の無さを痛感したんだ。タフな体力は何事をやるにしても、大切だからね」

「ありがとう。入部してくれて」

美津子は礼を言った。

哲也は、勉強に、そして、部活に励んだ。

縄跳び、や、ランニング、メディシングボール、による、腹筋、などを、しているうちに、哲也は、だんだん、基礎体力が、ついてきた。

一カ月もすると、サンドバッグを叩いたり、ミット打ち、の練習をするようになった。

哲也は、努力家なので、ボクシングの技術は、めきめきと向上していった。

一学期が過ぎ、夏休みになり、二学期が始まった。

哲也は夏休みも、ボクシングの練習もした。

もちろん勉強もおろそかにしなかったが。

二学期が始まって、間もないある日のこと。

美津子が、学校に来なくなった。

最初は、風邪でもひいて、数日が、長くても一週間程度で、登校してくるだろうと思った。

しかし、一週間、経っても、美津子は、登校して来ない。

哲也は、心配になってきて、日曜日に、美津子の家に行ってみた。

玄関でチャイムを押した。

ピンポーン。

だが、インターホンからは何も返事は来なかった。

「・・・・どなたでしょうか?」

少しして、インターホンから声が来た。

聞き覚えのある、美津子の母親の声である。

「・・・・あ、あの。山野哲也です」

すると、少しして、カチャリ、と戸が開いた。

「あっ。山野さん。ようこそ、おいで下さいました。どうぞお入りください」

美津子の母親が出てきた。

哲也は、以前、何回か、美津子の家に行って、一緒に勉強したことがあったので、美津子の母親は知っていた。

「失礼します」

哲也は、美津子の家に入っていった。

「どうぞ、お座り下さい」

美津子の母親に勧められて、哲也は、リビングルームの、ソファーに座った。

「どうぞ」

母親は、哲也に、苺ケーキ、と麦茶を差し出した。

「ありがとうございます」

哲也は、母親の好意にあまんじて、苺ケーキ、を食べてから麦茶を飲んだ。

哲也は、美津子は、どうしているのか、知りたくて、ちょっと見に来ただけなのに、どこか、母親も、憔悴した表情なので、聞こうか、聞くまいかと、少し迷ったが、やはり、これは何かありそうだな、と思った。

「あの。最近、美津子さんが、学校に来なくなりましたが、何かあったんですか。病気でもしているんですか?」

哲也は、聞いてみた。

「・・・・・そ、それは・・・・」

母親は、困惑している様子だった。

「実は、私にも、その理由がわからないんです。理由を聞いても、答えてくれませんし、人と会うのを、避けているような感じなのです」

「そうですか」

「ちょっと、待っていて下さい、美津子は、自分の部屋にいますので、ちょっと、聞いてきます」

そう言って、母親は、パタパタと、二階に上がっていった。

そして、また、すぐに、パタパタと戻ってきた。

「哲也君が心配して、来てくれたけど会う?と聞いたら、うん、と美津子は言ったので、どうか会ってやって下さい」

哲也は、美津子が、自分には心を、開いてくれていることを、嬉しく思った。

哲也は、二階に上がった。

トントン。

部屋の戸をノックした。

しばしして。

「どうぞ」

部屋の中から、美津子の声がして、戸が開かれた。

美津子が、そー、と、顔を出した。

美津子は、明らかに、血色が悪く、元気もなく、憔悴している、といった感じだった。

「美津子さん。久しぶり」

哲也は、ニコッと笑顔を作って、挨拶は、その言葉だけにとどめた。

意味内容のある、挨拶は、美津子の心に、負担をかける、と配慮したのである。

「哲也君。久しぶり。どうぞ。入って」

その言葉にも、憔悴した感情が入っていた。

ともかく、言われて、哲也は、美津子の部屋に入った。

そして、座った。

哲也は、美津子の方から、何か、言ってくるのを、しばし、待ったが、美津子は黙って、しょんぼりして、俯いている。

なので、仕方なく、哲也の方から言葉をかけた。

「美津子さん。最近、学校に来なくなりましたが、何か、病気でもしたんですか?」

どうしたんですか、と聞かないところに、哲也の優しさがあるのである。

美津子は、しばし黙っていたが、しばしして、

「いえ。病気はしていません」

と、ボソリと、元気のない、声で言った。

要らぬ心配をさせたくない、という、思いが、美津子に働いたのだろう。

「何か、言いたくない事があるんだね。無理には聞かないよ。ただ、病気ではない、ということが、わかって、安心したよ」

哲也は、微笑した。

哲也の思いやりに、触発されたのだろう、美津子は、ポロポロと涙を流した。

「やはり何か、あるんだね。無理には聞かないけれど、食事は、食べてるの。学校の授業の、ノートのコピーを持ってきたから、よかったら、使って。それほど、丁寧には書いてないけれど・・・」

そう言って、哲也は、ノートのコピーを、カバンから、取り出した。

美津子が、わーん、と泣き出した。

哲也は、何も言わず、そっと美津子の手を握った。

「泣きたい時は、うんと泣いて。それが、一番、いいことだから」

哲也は、美津子の手をギュッ、っと握りしめた。

「哲也君。ありがとう。わざわざ、私を心配して来てくれて。哲也君になら、心を開けるわ」

そう言って、美津子は、話し出した。

「私、本当は、ボクシング部のマネージャーになりたいとは思ってなかったの。でも町田鉄男さんが、熱烈に、ぜひとも、マネージャーになって欲しい、と土下座までして頼むから、仕方なくなったの。私、マネージャーというものをやったことがないので。でも、やりはじめて、だんだん、マネージャーというものも、面白いなって思うようになってきたの。町田鉄男さんも優しいし。でもある日、私が用具の後片づけをしていたら、町田鉄男さんが、忍び足で入って来たの。そして、いきなり、背後から私に抱きついてきたの。私は、やめて下さい、と言いました。でも、町田鉄男さんは、いいじゃないか、と笑って、私をマットの上に押し倒したの。私は、やめて下さい、と抵抗を続けたけれど、とても町田鉄男さんの力には、敵いません。私は散々、弄ばれました。その後、私は、虚ろな気持ちで、泣き続けました」

美津子は語って、涙を流した。

しばらく哲也は黙って聞いていた。

ややあって。

「ありがとう。話してくれて。これは、強姦、傷害罪、だから警察に訴えた方がいいと僕は思う・・・・」

哲也は、ポツリとつぶやいた。

「できません。そんなこと。傷口を余計、広げるだけです。学校にも荒波が立ちます。警察が学校に入って来て、色々と、事情聴取するでしょう。テレビ、や、新聞、や、ネットなど、で、話題になるでしょう。私、そんなこと、耐えられません」

美津子は即座に、哲也の意見を否定した。

「ごめん。ごめん。無神経なこと言っちゃって」

哲也も即座に、自分の発言を取り消した。

哲也としては、ごく自然な、当たり前のことを、聞いたつもりだったのだが、美津子の即座の反発によって、自分に、デリカシーがなかった、ことを反省した。

美津子の思いは、もっともだ、と哲也は、思った。

なので、哲也は、次に何を話しかけたらいいか、わからなかった。

思いやりに、何か、適切な言葉などいらない。

ただ、黙って一緒に居て、一緒に悩めば、それだけでいいのである。

哲也は、そういうことを、以前、牧師である、美津子の父親の説諭で聞いていて、なるほど、その通りだな、と思った経験があるのである。

なので黙っていた。

すると、今度は逆に美津子が、哲也の気持ちを察したのだろう。

重い口を開いた。

「ごめんね。哲也君。怒鳴っちゃったりして。せっかく、哲也君が私のことを、心配してくれて、来てくれたのに・・・」

美津子は、もう泣いていなかった。

「ありがとう。美津子さん。でも、町田鉄男さん、が、そんなこと、するなんて、ちょっと信じられないな」

哲也が、さりげなく言った。

哲也は、美津子の言ったことは、完全に信じていたが、町田鉄男、の、イメージから、どうしても、その二つのことが、結びつかなくて、ちょっと美津子に、さぐり、を入れる目的もあって、さりげなく、ひとりごとのように、つぶやいてみた。

それが美津子の心を動かした。

「哲也君。はじめは、私も、町田鉄男さんは、いい人だと思っていました。それだから、ボクシング部のマネージャーも引き受けることにしたんです。でも、だんだん、町田鉄男さんの、態度が変わってきました。噂によると、町田鉄男さんは、最初に、いい人を装って、友達を作りますが、付き合うようになると、居丈高になって、友達にした人達を子分にして、小遣いを巻き上げたり、万引きを命じたり、と、不良グループのリーダーになって、やりたい放題のことをしているのです。私は、町田鉄男さんに、子分にされて、泣かされている人たちから、その事を直接、聞きました。でも、町田鉄男さん、は、ボクシング、や、喧嘩に圧倒的に強いので、子分にされた、下級生たちは、町田鉄男さん、に逆らえないんです」

美津子は、しんみりと語った。

「そうだったんですか。実は、僕も、町田鉄男さん、が、お金に困っていて、必ず返すから、5000円、貸してもらえない、と頼まれて、貸しているんです。催促がましいことは、言いたくないので、言っていませんが、貸してから、もう、一カ月も経っているのに、全くそのことに関して、何も言ってこないので、どうしてなのかな、と疑問に思っていたんです」

と、哲也が言った。

「ともかく、たとえ上級生とはいえ、間違ったことは、間違ったこととして、はっきりと言おうと思います」

哲也がキッパリと言った。

「哲也君は勇気があるのね」

美津子は、あらためて哲也を見直した、という顔つきをしていた。

「でも、美津子さんに、そう言われても、僕は、まだ、町田鉄男さん、が、そんなに悪い人とは思えないんです。哲也さんの子分にされて、いじめられている、という人達を教えて下さい。僕も直接、その人達に聞いてみたい。何事も、又聞き、から誤解が生じますからね」

哲也は、美津子には、悪いと思いつつも、キッパリと言った。

何かのスポーツ、や、芸事に一途に励んで、一流になった人は人格も立派なはずである。

哲也は、そう思っていたのである。

「わかったわ。私もそうすべきだと思います」

美津子は、1年生の、誰々君、誰々君、と町田鉄男に、子分にされている生徒の名前を挙げた。

「美津子さん。教えてくれてありがとう。僕は、その人達に、聞いてみます」

哲也は、物事を直視する目と心を持っていた。

「哲也君。強いのね。ありがとう。私も哲也君に、見習って、明日から、学校へ行こうと決めました。私も強くならなきゃいけないわ」

それを聞いて、哲也は、今日、美津子の家に来て、よかったと、つくづく思った。

「僕が美津子さんを守るよ。だから、美津子さんも、町田鉄男さんに、言うべきことは、キッパリと言った方が、いいと思います」

「はい。哲也君に勇気づけられて、私も勇気が湧いてきました。町田鉄男さんに会って、言うべきことは、しっかり言おうと思います」

こうして、哲也が来てくれたおかげで、美津子は泣き寝入りする弱い女から、何事にも物怖じしない強い女に変わっていた。

その後、哲也は、美津子が休んでいる間に、行われた授業のノートを取り出して、美津子に教えてやった。

やはり、ノートだけ、置いて帰ってしまっても、ノートは、哲也が自分用に、まとめた雑なものであり、説明が必要だと思ったからである。

美津子は、休んでいる間、勉強も手につかず、自習もしていなかったが、哲也が、わかりやすく教えると、美津子は、飲み込みが早いので、すぐに理解した。

「ありがとう。哲也君」

「いや。お礼なんて、いらないよ」

「私。来週の月曜から学校に登校するわ。そして、町田鉄男さんにも、言うべきことは、はっきり言うわ」

もう美津子の目に涙は無かった。

こうして哲也は、美津子の家を出た。

・・・・・・・・・・・

月曜日になった。

美津子は学校に登校した。

10日程度の、休みだったので、クラスの友達は、美津子は風邪でも、ひいて、近くまた、登校してくるだろう、と思っていたので、別に仰々しい話題にはなっていなかった。

「おはよう。美津子」

「おはよう。美津子。風邪でもひいていたの?」

という、ありきたりな挨拶をする生徒がほとんどだった。

「ありがとう。まあ、そんな程度のことだわ。心配させちゃってゴメンね」

と、美津子は、笑顔で、当たり障りのない返事をした。

昼休みになった。

哲也は、昨日、美津子が、言った、町田鉄男の子分にされて、悪事をさせられている、という生徒たちを、集めて、校舎の屋上に連れて行き、彼らの話を聞いてみた。

すると、美津子の言う通りだった。

彼らの話によると、町田鉄男は、初めは、いい人を装って、接近してくるが、それは、友達になろうと称して、本当の目的は、自分の子分にするためであって、町田鉄男は、一旦、子分にした後は、小遣いを巻き上げて、返さなかったり、万引きをするよう、命じたりするので、心底、困っている。先生に言うと、タレコミした生徒は、ヤキを入れられるので言えない。そもそも、町田鉄男は、ボクシング、や、ケンカ、が圧倒的に強いので、こわくて、嫌々ながら従っている、と口をそろえて言った。

彼らは、みな、町田鉄男におびえていた。

哲也は、美津子の言ったことは、本当だと確実な証拠を握った、と思った。

ジリジリジリー。

昼休みが終わるベルが、鳴ったので、それぞれ、自分の教室にもどった。

・・・・・・・・・・・

その日の午後の授業が終わった。

放課後になった。

哲也は、体育館の中の、ボクシング部の部屋に行った。

哲也にとっては、相当に勇気の要ることだった。

「美津子さん。あなたも、一緒に来て下さい」

哲也は美津子を誘った。

「はい」

美津子は、ボクシング部のマネージャーである。

だから、美津子がボクシング部へ行くのは、至極、当たり前のことである。

美津子が、マネージャーを、これからも、続けるのか、それとも、やめるのか、それは、わからない。

しかし哲也としては、美津子に、町田鉄男に対して、泣き寝入りして欲しくなく、言うべきことは、きっぱりと、言って欲しい、という意図で誘ったのである。

「哲也君。私、ここで、ちょっと待っているわ。まだ町田鉄男さんが、こわくて、入る勇気がないの」

そう言って、美津子は、部室の戸の横の壁に、竦んでしまった。

「ああ。いいよ。僕が、ちょっと、先に入って、町田鉄男さんと、話してくるから」

そう言って、哲也は、ボクシング部の戸のドアノブを回して、戸を開いた。

そして、部室に入った。

ボクシング部の部室に入ると。

部員達は、サンドバッグを叩いたり、パンチングボール、を叩いたり、縄跳びをしたり、メディシングボール、で、腹筋を鍛えたりしていた。

リング上では、町田鉄男が、シャドーボクシングをしていた。

「やあ。哲也。おそかったな。スパーリングの相手になってやるから、リングに上がれ」

町田鉄男は、哲也を見ると、そう言った。

「・・・・・・・」

しかし、哲也は、返事をしなかった。

「町田鉄男さん以外の、部員のみなさん。申し訳ありませんが、部室から、ちょっと出て頂けないでしょうか」

哲也は、語気を強めて言った。

みなの視線が哲也に向いた。

「どうして?」

部員たち、は、疑問に思って、哲也に聞いた。

「ちょっと、町田鉄男さんと、二人きりで、話したいことがあるからです」

哲也は臆することなく、堂々と言った。

部員たちは、哲也の、こんな強気の発言を聞くのは、はじめてだった。

只事ではなさそうな異様な雰囲気に、部員たちは、ゾロゾロ、部室を出ていった。

部室には、町田鉄男、と、哲也、美津子、の三人だけとなった。

「何だ。哲也。話って?」

町田鉄男は、リングのロープに寄りかかりながら聞いた。

「先輩。一カ月前に、5000円、貸しましたよね。その時は、一週間後に返すと言いましたよね。返して下さい」

哲也が言った。

「ああ。あれか。もうちょっと待ってくれ。今、金がなくて困っているんだ」

町田鉄男は、哲也を見もしないで、シャドーボクシングをしながら、聞き流すように言った。

哲也の心に怒りの火がついた。

「金銭の貸し借りは、ちゃんと、けじめ、をつけるべきだと思います。町田鉄男先輩。先輩は、そうやって、下級生から、小遣いを巻き上げたり、万引きさせたりしているんですね?」

町田鉄男のシャドーボクシングが、ピタリと止まった。

そして、真顔で哲也を、鋭い目で見た。

「誰がそんなことを言った?」

町田鉄男は、目を細め、疑問と、不快感、が浮かび上がっている顔で哲也をにらみつけた。

「別に、誰だっていいじゃないですか。何で、そんなことを知りたがるんですか?」

哲也は強きの口調で言った。

町田鉄男は、今までと態度の変わった哲也を黙って、にらみつけている。

「誰が、チクッったかを、調べて、そいつに、ヤキを入れるためですか?」

哲也も、町田鉄男を、にらみつけた。

宣戦布告である。

このイヤミに、町田鉄男は怒った。

「町田鉄男先輩。僕は、何人もの生徒から、あなたに、小遣いを巻き上げたり、万引きさせたりしていると聞きました。本当なんですか?」

哲也は、臆することなく、堂々と聞いた。

「フン。そんなこと、どうでもいいじゃないか」

町田鉄男は、鼻でせせら笑った。

その時、美津子が、おそるおそる部室へ入ってきた。

「なんだ。美津子。10日も学校を休んで。何かあったのか?」

町田鉄男が、シャドーボクシングをしながら言った。

町田鉄男の、この発言に哲也は、烈火のごとく激怒した。

美津子も同じだった。

美津子は、ヒッシ、と哲也の手を握った。

「先輩。そんな言い草は、酷いんじゃないでしょうか。僕は、美津子さんから、あなたが、美津子さんにしたことを聞きました」

哲也は、声を大に言った。

「オレが美津子に何をした、って言うんだ?」

町田鉄男は、あくまで、白を切るつもりらしい。

哲也は、美津子に悪いと思いながらも、勇気を出して言おうと決めた。

「先輩は、一人で、部室を掃除している、美津子さんに乱暴したじゃないですか。美津子さんが、学校に来れなくなったのも、そのためじゃないですか」

哲也は、拳をギュッ、と握りしめながら言った。

「ああ。そうだったの。オレは、美津子に優しくしてやっただけだけど・・・」

町田鉄男は、空とぼけた口調で言った。

さすがに、この発言に美津子も怒った。

「町田鉄男先輩。あなたにとっては、あれが、女に優しくする、っていう行為なんですか?」

美津子が、町田鉄男に、激しい口調で訴えた。

その目には涙が光っていた。

「男と女の、付き合いには、よく誤解が生じるからね。正確なことは、その場面を録画した動画を再生しないと、わからないんじゃないの?」

町田鉄男は、あくまで、空とぼけるつもりらしい。

哲也は、町田鉄男が、ここまで、悪い生徒だとは、思ってもいなかった。

哲也は、町田鉄男の、偽善者の仮面の裏の正体を、まざまざと見た。

「町田鉄男先輩。美津子さんに謝って下さい」

哲也が鼻息を荒くして言った。

「何でオレが謝らなきゃならないの。何も悪い事してないのに」

町田鉄男は、哲也を見て、せせら笑った。

「先生に言いつけますよ」

哲也が激高して言った。

「ああ。どうぞ」

町田鉄男の口調は、完全に哲也をなめきっていた。

教師に言っても、教師も、町田鉄男を、おそれているし、そもそも、教師は、ことなかれ主義のサラリーマンばかりだから、自分は、安全だ、と、町田鉄男は高を括っているのだ、と、哲也は、直感で理解した。

実際、この学校の教師は、そういう人ばかりだった。

そして、教師たちも、学科の試験でも、部活でも、成績優秀者至上主義で、成績の優秀な生徒を褒めるだけだった。

「それより、美津子。今度、オレとデートしないか?」

町田鉄男が言った。

この無神経な発言は、美津子を、即座に怒らせた。

「嫌です。私は、あなたと、付き合う気はありません」

美津子は、キッパリと言った。

「ふん。そんなら、それでいいよ。別にお前でなくても、オレに惚れている女は、たくさん、いるからな」

町田鉄男は、無神経きわまりないことを、平気で言った。

町田鉄男は、ボクシングの技術が高く、インターハイでも、優勝して、校長はじめ、教師たちにとって、町田鉄男は、学校の誇りだったのである。

家には、優勝トロフィーが、所狭しと、たくさん、飾ってある。

「町田鉄男君。よく頑張ったね。君の努力の賜物だよ。君は、我が校の誇りだ」

町田鉄男が、高校の、大きな大会で勝った時の、教師たちの、言葉は、みな、決まって、こういう賛辞ばかりだった。

「美津子。お前も、やがて、オレに惚れるようになるさ」

町田鉄男は、リング上で、モハメドアリの、華麗なアリシャフルのステップを得意げにしながら、せせら笑いながら、美津子に、そんなことを言った。

この発言に、美津子は激高した。

町田鉄男に乱暴されて、落ち込んで、完全に、心が空虚になっていた美津子は、もういなかった。

人間としての倫理観が欠けている町田鉄男に対する、許しがたい憤りが、美津子の心に充満していた。

人間の心は、一つの激しい感情で満たされると、それ以外の感情は、押しのけられるように、吹き飛ばされてしまうのである。

憤りと、正義感を求める強い思いだけが、美津子の心を完全に独占し、町田鉄男に乱暴されて、空虚になっていた美津子の心は、許しがたい憤りと、正義感を求める強い気持ちで、はち切れんばかりになっていた。

「あなたが、下級生をいじめたり、悪い事をする限り、私はあなたと、付き合う気はありません」

美津子は、キッパリと言い切った。

町田鉄男は、「強い者、人気者は、何をしてもいいんだ」、と思っていたので、美津子に注意されても、「チッ。バカバカしい」、と、鼻でせせら笑うだけだった。

美津子は、ボクシングの技術は、はるか下でも、思いやりのある、哲也に好意を持っていたので、哲也の目を見つめ、

「哲也君。人間の価値は、技術、や、強さ、ではなく、その人の人格だわ。だから、私は、町田鉄男さんより、あなたの方が好きだわ」

とキッパリと言った。

それは、哲也に対する告白であると同時に、町田鉄男に対する、意志表示でもあった。

「ありがとう。美津子さん。僕も、あなたが好きです」

と哲也も言い返した。

こうして、二人の仲は、今までより、一層、強まり、二人で勉強を教え合ったり、将来の事を真剣に語り合うようになった。

それが、町田鉄男には、気に食わなかった。

なので、もう、町田鉄男は、哲也のミット打ちの相手もしなくなった。

町田鉄男は、てっきり、哲也はボクシング部をやめるだろうと思っていた。

しかし哲也はボクシング部をやめなかった。

それどころか、哲也は、一層、熱心にボクシングの練習をするようになった。

縄跳び、一万回、腹筋1000回、毎日、10kmのランニング、を欠かさなかった。

それに、哲也は、何事にも熱心で、一途で、一度、やろうと決めたことは、途中で投げ出したりするようなことは絶対にしない不屈の根性のある男なので、ボクシング部に入部してからは、他の部員が、たじたじとするほど熱心に練習してきたので、ボクシングの技術も、かなり身についていた。

もちろん町田鉄男には、とてもかなわないが。

しかし、町田鉄男には、そういう哲也の心はわからなかった。

なので、町田鉄男は、どうして、哲也が、ボクシング部をやめないのか、どうしても、わからなかった。

しかし、哲也にとって幸いなことに、1年生で、一緒に、ボクシング部に入った、五十嵐健二は、哲也と相性がよく、哲也のミット打ち、や、スパーリングをしてくれた。

美津子も、ボクシング部のマネージャーをやめなかった。

ある時。

町田鉄男は哲也を校舎の裏に呼び出した。

「おい。お前、美津子と付き合うのを、やめろ」

「どうしてですか?」

「オレが美津子を好きだからだ」

「でも、美津子さんは、町田鉄男先輩を好きなんでしょうか?美津子さんは、あなたを嫌っていますよ」

哲也は、勇気があるので、言うべきことは、たとえ、実力では、とても、かなわない町田鉄男にも、自分の信念は、堂々と言った。

しかし、町田鉄男は、カチンときた。

「ナマ言うんじゃねえよ。美津子だって、きっと、実力のある、オレに惚れるようになるさ」

と言った。

「・・・・・・・・」

哲也は黙っていた。

「オレは、実力のない、お前が美津子と、付き合っているのが、気に食わないんだ。お前は、美津子と別れろ」

哲也は、ムッとした。

「先輩。たとえ、先輩でも、そんなことを言われる筋合いはありません。し、先輩もそんなことを言う権利はありません」

哲也は堂々と言った。

町田鉄男は、ムッ、と、哲也をにらみつけたが、何か、あることを、思いついたらしく、ニヤリと笑った。

「おい。哲也。オレと、試合をしてケリをつけようじゃねえか。3ラウンドだ。お前とでは、はなしにならないから、ハンデをつけてやる。オレは、ヘッドギアをしない。グローブも、練習用の12オンスで、いい。しかし、お前は、ヘッドギアをしていいし、試合用の、8オンスのグローブでいい。もし、万一、お前が勝ったら、オレは美津子をあきらめる。お前と、美津子の、付き合いも、認めてやる。そして、お前らが言うように、下級生の、カツアゲもやめるよ。どうだ。オレと戦う勇気があるか?」

町田鉄男は、余裕しゃくしゃく、の顔で言った。

「はい。わかりました。やります」

「ほー。見上げた度胸だ。じゃあ、2週間後に勝負だ」

「わかりました。先輩と戦います。その代わり、もし、僕が勝ったら、今、言った、約束は、守って下さい。それと、ハンデはいりません。僕もヘッドギアなしで戦います。そして、先輩もグローブは、同じ重さの、8オンスのグローブで戦って下さい」

哲也は毅然とした態度で言った。

あまりにも、町田鉄男が傲慢なので、哲也は、つい、とんでもないことを言ってしまった。

しかし、実力差は明らかで、哲也に、勝つ自信など、全くなく、ボコボコに、やられて、負けるのは、わかりきっていた。

しかし、傲慢な人間に対する怒り、が、ボコボコに、叩きのめされる不安を上回ってしまったのである。

哲也には、そういう、向こう見ずな所があった。

しかし、いったん、約束してしまった以上、もう、あとには、ひけなかった。

しかし、哲也は、町田鉄男に勝てる自信は全くなかった。

その噂は、学校中に広まった。

「おい。哲也が町田鉄男と試合をするそうだぞ」

生徒たちは、口々に言い合った。

美津子がやって来た。

「哲也君。あんなこと、言って大丈夫?町田鉄男さんに、試合はやめにするよう頼んだ方がいいんじゃないの?」

美津子が言った。

哲也は、カチンときた。

好きな、美津子の助言とはいえ、女に憐れまれるのが、哲也には、我慢ならなかった。

美津子の助言は、哲也の闘争心を、かえって、燃え盛らせた。

「いや。僕は、町田先輩と戦うよ。まず、勝つ可能性など、なく、僕が、ボコボコに、叩きのめされて、町田先輩、や、全生徒に笑いものにされるだろうけどね」

いつになく、強気の口調に、美津子は、驚いた。

その日から、哲也は猛練習を開始した。

毎日、10kmの、ランニングをし、縄跳びを、1時間し、サンドバッグを叩いた。

そんな、ムキになっている、哲也を見た町田鉄男は、あははは、と、せせら笑った。

しかし、美津子だけは違った。

「哲也君。頑張ってね。私、応援するわ」

哲也の、ひたむきさ、に、美津子も、心を動かされ、無謀な試合を応援するようになった。

哲也は、街のボクシングジムに行って、日本チャンピオン、や、世界ランカーの、現役選手に、テクニックの教えを乞うた。

事情を話すと、日本チャンピオン、や、世界ランカーの、現役選手たちは、哲也に、色々とアドバイスしてくれた。

その噂がつたわって、村田涼太、井岡一翔、井上尚弥、などのトップレベルの選手たちも、親身になって、アドバイス、してくれた。

那須川天心も、アドバイスしてくれた。

那須川天心は、キックボクサーだが、2022年の4月から、ボクサーに転向する方針なので、あるボクシングジムに行った時、たまたま、那須川天心が来ていて、出会ったのである。

哲也は、那須川天心を尊敬していた。

というのは、那須川天心は、軽量級のキックボクサーだが、プロデビュー以来、40戦40勝、という驚異的な記録で、「神童」とか「キックボクシング史上最高の天才」とか呼ばれた、凄い男である。

しかし、那須川天心は、2018年の12月31日に、大晦日恒例の、RIZINで、これまた、プロデビュー以来、50戦50勝、という驚異的な成績で、史上初めて無敗のまま5階級制覇を達成した、超人的な反応速度を持つ、天才ボクサーの、フロイド・メイウェザー、に、ボクシングのルールでの戦いを挑んだ、勇気のある男であるからである。

もちろん、試合結果は、1ラウンドで、3回、ダウンし、那須川天心の、一方的なK.O.負け、という惨めな結果だった。

それは、那須川天心もわかっていただろう。

しかし、ぶざまに負けるとわかっていても、挑戦する、その根性が哲也は好きだった。

那須川天心は、哲也に、色々とボクシングの高度な技術を丁寧に教えてくれた。

さて。

2週間して、試合の日になった。

学校中の多くの生徒が、ボクシング部の部室に集まってきた。

本格的な、正式の試合、ということで、町田鉄男と、哲也は、お互い、別の控え室で、試合が来るのを待った。

その時、ボクシング部員の、五十嵐健二、がやって来た。

「おい。哲也。那須川天心、が、お前に渡してくれ、と言って、封筒をオレに渡したんだ。なんでもボクシング必勝法の本らしい」

そう言って、五十嵐健二は、封筒を、哲也に渡した。

封筒を渡すと、五十嵐健二は、一言、「頑張れよ。僕がセコンドにつくから」、と言って、控え室を出ていった。

「ありがとう」

哲也は礼を言って、いそいで封筒を開けてみた。

すると。

封筒の中には、ボクシングの本ではなく、新約聖書が入っていた。

(あっ。那須川さん。入れ間違えたな。きっと、あせって、こんなボクシングと関係のない本を入れてしまったんだろう)

と、哲也は、残念に思った。

哲也は、美津子の誘いで、中学の時に、聖書を渡されて、新約聖書は読んでいた。

新約聖書が、ボクシングに勝つことを教えているとは、とうてい思えない。

しかし、試合前の緊張を、解いて、精神をリラックスさせる効果はあるのではないか、と思った。

ボクシングではないが、昔、アメリカで流行った、マーシャルアーツ(全米プロ空手)の、無敵のベニー・ユキーデも、試合前は、聖書を胸の上に置いて、黙想して、精神を落ち着かせていた、ということを、哲也は知っていた。

それで、聖書を開いて見た。

聖書の、どこのカ所も、哲也は知っていた。

「汝の敵を愛せ」

「右の頬を打たれたら左の頬をも差し出せ」

のカ所に、哲也は思わず、あはは、と笑ってしまった。

こんなことを、ボクシングの試合でしたら、間違いなく、1ラウンドで、K.O.されるな。

やがて試合開始の時間が迫ってきた。

「おい。哲也。試合だ。出ろ」

五十嵐健二が、控え室に入って来て言った。

「おう。わかった。いくぜ」

哲也は立ち上がった。

そして、リングのある練習場に出た。

リングでは、町田鉄男が、さっそうと、シャドーボクシングをしていた。

さすが、自他ともにみとめる実力者で、町田鉄男のシャドーボクシングは、格好よかった。

町田鉄男は、哲也を見ると、ふふふ、と嘲笑し、

「ふふふ。怖気づいて逃げるかと思っていたぜ。お前の、向こう見ずな度胸だけは、認めてやる」

町田鉄男は、そんな、哲也を侮辱する言葉を、投げかけた。

リングには、レフリーが立っていた。

レフリーは、ボクシング部の顧問をしている体育の先生だった。

「それでは、両者、リングに上がって」

レフリーに言われて、哲也は、リングに上がった。

学校の生徒たちも、たくさん、駆けつけていた。

「町田鉄男さんなら、1ラウンド、K.O.間違いなしだな」

「しかし、哲也のヤツも度胸だけはあるな」

「町田鉄男さーん。頑張ってください」

生徒たちは、みな、町田鉄男の強さを崇拝していたので、みな町田鉄男を応援していた。

哲也を応援する生徒は一人もいなかった。

いや、たった一人いた。

美津子である。

美津子も、哲也の応援のために、見に来ていた。

「哲也君。頑張って」

美津子は、リングサイドから哲也に声をかけた。

「両者。リングの中央へ」

レフリーに言われて、哲也と町田鉄男は、リングの中央に歩み寄った。

「グローブはしっかり握って打つように。サミング、ローブロー、ラビットパンチ、キドニーパンチ、バッティング、には、くれぐれも気をつけて。故意とみなしたら減点します。フェアープレーの健闘を祈る」

レフリーが、ありきたりの試合前の注意をした。

町田鉄男は、哲也をせせら笑うような目で見て、

「ふふふ。身の程知らずめ。1ラウンド、どころか、1分で、K.O.してやるぜ」

と言った。

哲也は黙って、町田鉄男の目を無言のうちにも、鋭い眼差しで見た。

「両者、コーナーにもどって」

言われて、哲也と町田鉄男は、コーナーにもどった。

カーン。

試合開始のゴングが鳴った。

「ファイト」

レフリーが言った。

哲也と町田鉄男の二人は、クラウチングスタイルのファイティングポーズをとって、接近した。

町田鉄男は、ジャブで牽制する、などということはせず、最初から、ストレートパンチ、アッパーカット、ボディーブロー、などの、猛ラッシュの攻撃をしかけてきた。

哲也は、しっかりと、ガードを固め、フットワークを使って、何とか、町田鉄男の攻撃を防ごうとした。

しかし、町田鉄男のハードパンチは、哲也のガードを崩した。

そして、ガードのあいた、哲也を、滅多打ちした。

町田鉄男のパンチは、全て、有効打で、哲也にダメージを与えた。

哲也は、早くも、足にきて、ヨロヨロとよろめいて、ダウンした。

「1・2・3・4・5・・・・」

レフリーがカウントをとった。

哲也は、何とか、カウント5で、ヨロヨロと立ち上がった。

「ファイト」

レフリーが言った。

また、町田鉄男は、哲也に、猛ラッシュの攻撃をした。

哲也は、また、倒れた。

「1・2・3・4・5・・・・」

レフリーがカウントをとった。

哲也は、何とか、カウント5で、立ち上がった。

「ファイト」

レフリーが言った。

「しぶといヤツめ」

町田鉄男は、憎々しそうに、言って、哲也に、猛ラッシュの攻撃をした。

哲也は、フラフラになって、また、倒れそうになった。

今度、倒れたら、K.O.負け、というまさにその時。

カーン。

1ラウンドを終了するゴングが鳴った。

レフリーが、町田鉄男の攻撃を、「ストップ」と言って、やめさせた。

二人は、コーナーに戻った。

といっても、町田鉄男は、ピンピンしているが、哲也は、フラフラである。

哲也のセコンド役の、五十嵐健二は、マウスピースを外し、うがいをさせた。

哲也の口の中は、かなり切れていた。

「よく、1ラウンド頑張ったな」

五十嵐健二が哲也の勇気を讃えた。

レフリーが哲也の方にやって来た。

「もう、これ以上やるのは危険だ。TKO負け、としようと思うが、いいね?」

レフリーが聞いた。

「いや。僕はまだ、戦います。戦えます。たった、3ラウンドの試合ですよ」

と、哲也は、TKO負けを拒否した。

「じゃあ、勝手にしろ」

レフリーは怒って、リングの中央にもどった。

カーン。

第2ラウンドのゴングが鳴った。

哲也と町田鉄男の二人は、また、立ち上がって、歩み寄った。

町田鉄男は、一気に決着をつけてやろうと哲也に、猛ラッシュの攻撃をした。

ガードをしっかり固めても、ガードの上から、打ってくる町田のパンチは、哲也に、ダメージを与えていた。

哲也は、フラフラになって、また、倒れそうになった。

意識は朦朧としていた。

その時、朦朧とした意識の中で、哲也の頭に、さっき、読んだ、聖書の「汝の敵を愛せ」、の言葉が浮かんだ。

もう戦法がなく、その言葉に盲目的に従うように、哲也は、ほとんど、無意識のうちに、町田鉄男に抱きついた。

町田鉄男は、攻撃を封じられて、たじろいだ。

「おおっ。見事なクリンチだ」

思わず、見ていた生徒たちは言った。

「ブレーク。ブレーク。離れて」

レフリーは、哲也の、クリンチを離した。

しかし、哲也は、意識が朦朧としていたので、立っているのが、やっとだった。

「ちくしょう。とどめを刺してやる」

町田鉄男は、フラフラの哲也に、渾身の右ストレートを打った。

それは、哲也の右頬に当たった。

哲也のガードが、丸開きになった。

しかし哲也は、ガードをとる気力もなかった。

哲也の頭に、朦朧とした意識の中で、さっき読んだ、聖書の、

「右の頬を打たれたら左の頬をも差し出せ」

の言葉がよぎった。

哲也は、それに朦朧とした意識の中で従って、町田鉄男に、左の頬を差し出していた。

「しめた。これで、とどめだ」

そう言って、町田鉄男は、哲也の左の頬に、渾身のストレートを打ってきた。

朦朧とした意識の中で、哲也はパンチが来るのを感じとった。

哲也は、ガードするのではなく、那須川天心に教わった、戦法が、反射的に出て、町田鉄男のパンチに合わせて、自分も、パンチを打ち出していた。

バーン。

哲也の放ったパンチが、町田鉄男の顔面を、もろに、とらえていた。

クロスカウンターである。

カウンターパンチは、ただでさえ、一発で、ノックアウトさせる威力がある。

それを、さらに、相手が、渾身の力で打ってきた、パンチに合わせると、その威力は、倍増する。

「おお。すごい。哲也のヤツ。やるじゃないか。見事なクロスカウンターだ」

生徒たちは、思わず、息を呑んだ。

しばし、二人は、リングの上で静止していた。

しかし、やがて、ズルズルと、町田鉄男がマットの上に倒れ伏した。

「ニュートラルコーナーへ」

レフリーに言われて、哲也は、ニュートラルコーナーへ、息も絶え絶えに行った。

レフリーは、倒れている、町田鉄男の、カウントを数えだした。

「1・2・3・4・5・6・7・8・9・10」

レフリーが、10カウント、とっても、町田鉄男は、ピクリとも動かなかった。

「2ラウンド、山野哲也の、K.O.勝ち」

そう言って、レフリーは、哲也の腕をつかんで、高々と上げた。

パチパチパチ。

生徒たちは、拍手した。

「すげーな。まさか、哲也が町田鉄男に勝つとは」

「町田鉄男は、1年の時から、インターハイで優勝し続け、ダウンさせられたことも、一度もないのにな」

「そうだな。町田鉄男は、部活いがいでも、ボクシングジムに通っていて、プロボクサーの、日本ランキング上位の選手と、スパーリングパートナーとして、戦っているけど、ダウンさせられたことが、一度も、ないほどなのにな。プロボクサーとも対等に戦えるほどなのにな」

みなが、感心する中、哲也は、フラフラと、おぼつかない足取りで、自分のコーナーにもどった。

「哲也。やったな。まさか、お前が勝つとは。今でも、信じられないよ。まさに奇跡だ」

五十嵐健二が哲也の肩をポンと叩いた。

その時、朦朧としていた哲也の意識がもどった。

「えっ。五十嵐健二。オレ。勝ったのか?」

哲也が聞いた。

「なんだ。お前。意識を失って戦っていたのか?見事なお前の、K.O.勝ちだよ」

五十嵐健二が言った。

「あ、ああ。覚えていなんだ。2ラウンドが始まって、町田鉄男の猛ラッシュを受けてから、半覚醒の状態だったんだ」

哲也が言った。

「哲也君。やったわね。おめでとう」

リングの外で、哲也を見守っていた、美津子が、哲也に近寄って来た。

町田鉄男は、まだ、リングの中で倒れたまま、動こうとしない。

みな、町田鉄男は、哲也なんかに負けたショックで、口惜しくて、立つ気が起こらないんだろう、と思った。

しかし、いつまで経っても、町田鉄男は、ビクとも動かない。

レフリーが、リングの上に、うつ伏せに倒れている、町田鉄男に声をかけた。

「おい。町田鉄男。もう試合は終わったんだ。そろそろ立て」

そう言っても、町田鉄男は立たない。

レフリーは、不信に思って、町田鉄男を仰向けにし、「おい。町田鉄男」と呼びかけながら、頬をピシャピシャと叩いた。

町田鉄男は白目をむいて、だらしなく口を開いている。

「脳振盪をおこしている。誰か保健室へ行って、先生を呼んで来い」

レフリーが言った。

「はい」

すぐに、哲也のセコンドをしていた、五十嵐健二が、医務室へ向かった。

すぐに、保健の先生がやって来た。

先生は、町田鉄男の、対光反射を調べたり、血圧を測ったり、脈を測ったりした。

「軽い脳振盪だ。救急車を呼ぶほどの必要はない。しばらく医務室のベッドに寝かしておけば、意識がもどるだろう」

先生の指示で、町田鉄男は、担架で保健室に運ばれた。

試合が終わったので、生徒たちは、ゾロゾロと帰っていった。

・・・・・・・・・・

翌日、町田鉄男は登校してきた。

校門の前で、哲也と会うと、町田鉄男は気まずい顔つきになった。

「おい。哲也。話がある。昼休み、体育館へ来てくれ。美津子も誘って連れて来てくれ」

そう言って、町田鉄男は校舎の中へ入って行った。

・・・・・・・・・

午前中の授業が終わり、哲也は、町田鉄男に言われたように、体育館へ行った。

美津子を連れて。

ボクシング部の部室へ入ると、町田鉄男がベンチの上に座っていた。

「おい。哲也。お前も座れ」

言われて、哲也も、ベンチに座った。

「哲也。オレの負けだ。まさか、あんなに、足にきていたのに、クリンチワークをしてきたり、オレの、とどめの、パンチに対して、あんな見事な、クロスカウンターを打ってくるとは・・・・。オレも男だ。約束は守る。もう下級生いじめ、や、カツアゲ、はやめる。美津子は、あきらめた。お前と美津子の仲は認めるから、仲良くやりな」

性格の悪い町田鉄男も、ボクシングの実力では絶対の自信を持っていた。

そのボクシングで負けたことが、ショックだったのだろう。

町田鉄男は往生際がよかった。

「ありがとうございます。先輩」

哲也は頭を下げた。

そして、町田鉄男は、次に美津子に視線を向けた。

「美津子さん。すまなかった。オレは傲慢だった。君には、とんでない事をしてしまった。オレは警察に自首しようと思う」

町田鉄男は美津子に土下座して謝った。

「いいんです。町田鉄男さん。今のあなたの言葉に私は感動しています」

美津子は涙を流していた。

その後、町田鉄男は、威張らなくなり、下級生のいじめ、や、カツアゲは、やらなくなった。

哲也は、晴れて、美津子と、勉強を一緒にしたり、一緒に登下校したりと、親交を深めた。

しかし、哲也は硬派だったので、女と付き合って、勉強や部活動を疎かにすることはしなかった。

町田鉄男との試合も、まぐれ勝ち、と言われるのが嫌だったので、いつ町田鉄男に再戦を挑まれても負けないように、ボクシングの練習にも、一層、身を入れるようになった。

年が明け、町田鉄男は卒業した。

町田鉄男は、ボクシングの推薦入学で、日体大に進学した。

哲也は、医者になろうと思っていたため、第一志望は、国立医学部だった。

なので、ボクシングの練習とともに、受験勉強の猛勉強を開始した。

そして、哲也は、高校を卒業すると、現役で、横浜市立大学医学部に合格した。




2021年6月27日(日)擱筆

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ボクシング小説 浅野浩二 @daitou8

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