第2話 ギザミミ
なんでいつもこうなってしまうのだろう。確かに口下手で成績は思うようにあげられていないが、大勢の同僚の前で吊し上げるように怒鳴らなくたっていいじゃないか。そりゃ課長も中間管理職で大変なのはわかるが、俺だって朝から晩まで歩き通しで疲れてるんだし、たまにはねぎらいの言葉をかけてくれてもいいだろうに……
ん? こんなところに喫茶店なんてあったっけ? これが猫カフェってやつか。猫と戯れるだけで何が楽しいって言うんだ。まあ物は試しだ、休憩がてら入ってみるか。
中年にさしかかろうと言う男一人ではいるのは勇気がいったが、いざ飛び込んでみると猫模様のエプロンをした店員さんがにこやかに席を案内してくれたので座ることにする。
しばらくすると一匹の猫が近づいてきた。あまりきれいとは言えない姿だが、子供のころ実家で飼っていた雑種の猫と少し被る。なるほど保護猫とはこういうことか。
ペット事情には詳しくないので知らなかったが、昔は捨て猫と言われていて保健所に追われる立場だった猫を、こうして保護して世話をしていると店内の張り紙を見て知った。
「なんだお前、随分と人慣れしているんだな。
膝に乗ってくるなんて、そんな簡単に気を許していいのか?
ん? この耳はどうしたんだ? 喧嘩でもしたのか?
まさか俺みたいに一方的にやり込められたんじゃないだろうな?」
膝の上の猫は片方の耳が半分くらいに短くなっており痛々しい。会社で負け犬のように扱われている俺に相応しい猫なのかもしれない。
「なあ聞いてくれよ。
俺は朝から晩まで一生懸命働いているんだよ。
でも会社では認められず、かみさんとはすれ違いの毎日さ。
今や何のために頑張ってるのかわからなくなっちまった」
『おかえりなさい、随分と疲れてるのね。
たまには息抜きすることも必要よ?
だって頑張り過ぎて余裕が無いから頑張ってる理由を見失ってしまったのでしょ?』
「そうかもな、その通りかもしれない。
若い頃は自分のためだったけど、今は家族のために頑張ってるつもりだ。
でもそんなこと誰も認めてくれないんだよ」
『あなたは誰かに認めてほしいの?
それとも自分の力で誰かを幸せにしたいの?
頑張ってるんだから認めろと言うだけではただの押し付けになってしまわないかしら?』
「そりゃ哲学だよ。
認められることでさらに頑張れるってもんさ。
男は背中で語れって言うだろ?」
『あら、でもその語られた背中を見て誰でも理解できるのかしら?
少なくとも私にはわかりそうにないわ。
ちゃんと言葉で示すことも必要だと思うの』
「そんなもんかねえ。
娘はまだ小さいから無理だろうけどかみさんは同い年だし何年も一緒にいるんだ。
それくらいわかってくれてもいいだろ?」
『ではあなたは奥様のことをわかっているのかしら。
あなたが毎日すれ違いと言うってことは、奥様もすれ違っていると感じているはず。
小さいお子さんなんてなおさらよ』
「でも俺には仕事があるんだから……
そうそう早く帰ることなんてできないんだよ」
『仕事を頑張っているから?
それならほんの少し家庭に対して頑張ってみたらいいんじゃない?
ほんの少し仕事を削ってもなにも変わらないわ。
だって大きな枠組みの中ではあなたが絶対に必要なんてはずないもの。
あなたの頑張りは本当に必要な人たちへ向けるべきじゃなくて?』
「随分無理なことを言うんだなあ。
そんなことしたら課長にまたどやされるだけさ」
『うふふ、なにもサボって手を抜きなさいって言ってるわけじゃないわ。
もう少し肩の力を抜いてみたらどうかって言ってるの。
せめて明るい表情が作れる程度にね』
「俺の顔、そんなに怖いか? それとも暗いか?
確かにここ数年で猫背になった気がするよ」
『もう、猫背を悪いことのように言うのは失礼よ?
さ、私の背中を撫でているその手でお子さんを撫でてあげなさい。
早く帰ったらただいまって言うのも忘れずに』
「ただいま、か。
家では久しく口にしてない気がするよ。
こんな俺のことでも待っててくれる人がいるっていうのにな」
『それがわかればもう大丈夫。
奥様もお子さんもきっとあなたの帰りを待っているのよ。
その気持ちを、あなたがすれ違いなんて言葉で片付けなければね』
「俺はなにかに追い立てられ焦っていたのかもしれない。
これからは相手と向き合うことを心がけるよ。
それじゃまたな、ありがとう」
『どういたしまして』
気が付くとギザミミの猫は膝の上にはいなかった。どうやらうたた寝をしてしまった間に去っていったらしい。俺は店を出てから近くのケーキ屋へと立ち寄ることにした。
◇◇◇
二重扉をくぐると数匹の猫たちが一斉にこちらへ振り向いた。そしてその中にはあのギザミミ猫もいる。
「よう、また寄らせてもらったよ。
この間はありがとうな。
お前さえ良かったらうちの猫になるか?
娘もかみさんも賛成してくれたんだ」
『ニャア』
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