どうして彼女がここにいるんだろう?

「ふむ、それは災難だったな」

「遅れてしまい、誠に申し訳ありません」


 侍従長からの話を聞いて顎をさする皇帝に、僕はひざまずいて深々と頭を下げ、許しを乞う。

 いくらロビン達のせいだとはいえ、遅れてしまったことも事実。ここは下手な言い訳をせずに、謝罪に徹するのが一番だ。


 それよりも。


「ウフフ……陛下、こんなの・・・・放っておいて、私とお茶をしませんこと?」


 ……どうしてここに、母親がいるんだよ。

 実の息子を捕まえて『こんなの』呼ばわりはいいとして、十四歳の息子の前で卑猥ひわいな格好をさらしながら、何を恥ずかしげもなく、猫撫で声で皇帝に媚びを売りまくっているんだよ。気持ち悪い。


「まあ待て、“ベアトリス”。ルドルフの話を聞いたら、すぐに相手をしてやるから」


 まるで猫をなだめるかのように、皇帝は苦笑して母の白銀の髪を優しく撫でると、母は口を尖らせるも、大人しく引っ込んだ。

 やはり皇帝の愛妾あいしょうだけあって、引き際というものを心得ているらしい。


 見ている僕は、気持ち悪くて吐きそうなんだけど。


「それで、お主の報告というのは、ファールクランツ家の令嬢との婚約の件ということでよいのだな?」

「はい。皇帝陛下のお心遣いにより、この度リズベット嬢との婚約と相成りました。誠に、ありがとうございます」

「うむ、よいよい。これからは、そのリズベットとやらを大切にしてやるのだぞ? この、余のようにな」

「まあ!」


 皇帝に腰を抱かれ、嬉しそうに飛びつく母。

 知ったことではないけど、これ以上この女の姿を見ていたくない。


「では、失礼いたします」

「うむ」


 うやうやしく一礼し、僕は部屋を後にする。

 背中越しに聞こえる、実の母の嬌声きょうせいを聞きながら……って。


「マーヤ? それに……リズベット殿!?」

「ルドルフ殿下、失礼いたします」

「え!? ちょ!?」


 何故か部屋の前でマーヤと一緒に待ち構えていたリズベットが詰め寄ってきて、僕の顔をペタペタと触る。

 いやいやいやいや!? なんでリズベットが、皇宮にいるの!?


「ルドルフ殿下、急ぎお部屋へ戻りましょう。まずは傷の手当てをいたしませんと」

「わっ!?」


 強引に腕を引っ張られ、僕はリズベットに引きずられるように自分の部屋へと戻った。


 ◇


「いてて……そ、それで、どうして君がここにいるのですか……?」


 天蝎てんかつ宮の自分の部屋に戻ってリズベットの手当てを受ける中、僕はおずおずと尋ねる。


「決まっております。婚約者であらせられる、ルドルフ殿下にお逢いするためです。それよりも、お聞きしたいのは私のほうです。どうして殿下は、このように怪我をなさっているのですか?」

「え、えーと……」


 真っ直ぐな答えと核心を突く問いかけに、僕は言い淀んでしまう。

 ロビンの取り巻きに暴行されたと説明するのは簡単だし、それを話せば僕に幻滅して、ひょっとしたら婚約破棄できるかも……って、さすがにそれは無理か。


 皇帝とファールクランツ家同士が正式に婚約を認めたんだ。いわば、これは国と貴族家の契約行為。

 それをくだらない理由で婚約破棄ということになれば、互いの威信にかかわる。おいそれと簡単にできるものじゃないんだ。


 何より……第四皇子ともあろうものが、たかだか従者に暴行を受けたなんて、それこそ威厳も何もあったものじゃない。

 要は、僕の中にあるちっぽけな誇りがそれを許さないんだよ。


 ましてや、それが婚約者で、将来僕を暗殺する予定のであればなおさらだ。


「……分かりました。お答えできないということであれば、これ以上はお聞きしません」

「あ……」


 表情を変えず、冷たいまなざしで僕を見つめるリズベット。

 でも……そのアクアマリンの瞳は、どこか怒っているようで、悲しそうで……。


「はい、これでおしまいです」

「あ、ありがとうございます」


 手当てをしてくれたリズベットに、僕は素直にお礼を言った。

 それにしても、やけに手際がよかったなあ。


「このようなことを聞いて失礼かもしれませんが、その……リズベット殿は、怪我の手当てに慣れているのですか?」

「はい。ご存じだと思いますが、ファールクランツ家はバルディック帝国における武の象徴。訓練で怪我をすることも日常茶飯事ですので」

「え、ええと……それは、リズベット殿も、ですか……?」

「もちろんです。私も五歳の頃から、槍術をたしなんでおります」

「そ、そうですか……」


 ううむ……さすがは僕を暗殺する予定の”氷の令嬢”。荒事には慣れているってことか。

 これは、ますます敵わないぞ? どうしよう。


「ですが、このようにルドルフ殿下が怪我をなさっていては、婚約者である私も心配で気が気ではありません。これからは、毎日・・ご様子をおうかがいしにまいります」

「ええ!?」


 ちょ、ちょっと待って!?

 どうしてそういうことになるの!?


「い、いえ! 今回のことはたまたま・・・・ですから! なあ! マーヤ!」


 僕はそばに控えるマーヤに同意を求める。

 頼む! お願いだから、僕と口裏を合わせて!


「今回はたまたま・・・・かもしれませんけど、いつ同じような目に遭うとも限りません。専属侍女の私としては、心配です……」

「マーヤ!?」


 おのれマーヤ、ここでも裏切ったか。


「そうですね。もし同じようなことがあっても、私がいればルドルフ殿下においそれと手を出せないはず。やはり、これからは毎日お伺いして、できる限りご一緒にいる時間を作ろうと思います」

「い、いや! さすがにそれは申し訳ないですよ!」

「何をおっしゃいますか。ルドルフ殿下の身の安全以上に、大事なことなどありません」


 胸に手を当て、冷たい瞳で見つめるリズベット。

 将来僕を暗殺するくせに、何を言っているんだと突っ込んでやりたいけど、どうやら僕には選択権はないらしい。


「どうかよろしくお願いします……」

「お任せください」


 凛々しい表情で優雅にカーテシーをするリズベットとは対照的に、僕は乾いた笑みを浮かべるのが精一杯だった。

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