過去編―棚橋亨―

5.はじまり

 繁華街にある骨董品屋を覗いた帰り、真神まがみ御門みかどの中から話しかけた。

 『近くにいるぞ』

 御門は言葉を返さず、頷いてその気配のする方向に向かった。

 付喪神つくもかみだ――それも新しい気配だ。最近生まれたのか。

 御門は気配のより強く漂う場所に辿り着くと、高級感の漂う料亭の前にパトカーが数台止まっていた。

「ここで間違いなさそうだな」

 御門は真神に話しかけたが、真神から返事はなかった。

 入口には警察官が立ち塞がっていて、御門は「遅かったか」と唇を噛んだ。

 警察が来ていると言う事は、付喪神が人を傷つけたのだろう。生まれてすぐに人を襲うとは、中々せっかちな奴だ。御門は警察官の肩越しに中の様子を伺おうとしたが、警察官に阻止された。

 東雲しののめに連絡をする方が早いか――と携帯電話を取り出したその時だった。

 中から乾いた火薬音が鳴り響いた。誰かが発砲したのだ。

「真神!出てこい!」

 御門は真神を呼んだが、真神は相変わらず返事をしなかった。

 ――おい、仕事しろよ!出てこい!

 御門がいくら呼び掛けても真神は返事をしない。

 ――どうなってんだ。

 御門は苛立って携帯電話を取り出すと、東雲に電話を掛けた。


 本庁で懲戒審査会が行われている隣の部屋に御門は東雲と椅子に腰かけていた。

棚橋亨たなはしとおる――25歳か。奴は見えているのか」

 手元の資料を捲りながら、御門は目線だけを東雲に向けて尋ねた。

「ああ。間違いない。料理人の腕から耳元にかけて、おぞましい姿形をしたものが貼り付いていて、自分を見ていたと言っていた」

 東雲は手元の缶コーヒーを口に運ぶと一口飲んで顔をしかめた。

「ブラック苦手なら飲むなよ」

 御門は呆れた顔で東雲に言うと、東雲は仕方がないと肩をすくめた。

「太ったりハゲたりしたら離婚だと妻に言われてるんでね。砂糖はなるべく避けたいんだ」

「あんた見てると結婚が幸せなのか懐疑的になるね」

 御門は資料を机に置くと、手を頭の後ろで組み、長い足を会議卓の上に放り投げた。

「幸せだぞ。家に帰ったら最愛の妻と子供達が待ってるんだ。あいつらの為なら例え深夜まで残業続きだろうが、小遣いが月3万しか貰えなかろうが、頑張ろうって思えるんだ」

 東雲の言葉に、御門は辟易した溜息をつくと、隣の部屋へと続く扉を見つめた。

「ここからでも感じるわ。霊力――いや、むしろ神力だな、これは」

「真神様は?」

 東雲は御門の放り出された足を机からそっと払い落とすと尋ねた。

 御門は首を横に振り、東雲を見た。

「現場でもそうだったが、ここでもだ。――あいつの力が真神を抑え込んでるようだ」

 御門は嬉しそうにニヤリと笑ってみせた。真神が静かなのは非常にありがたい事だ。

 どういう理屈かはわからないが、棚橋亨がそばにいると真神が出てこれないようだ。


 料亭では発砲音が聞こえた後、しばらくして救急車と追加のパトカーがやってきて料理人と亨を連れて行った。

 亨を乗せたパトカーが遠ざかると、漸く真神が姿を見せて『あんな人間がいるとは――』と呟いて後ろ足で耳の後ろを掻く仕草をしてみせた。

「どういうことだ」

『――何でもない。それより東雲はまだか』

 真神は言いたくなさそうに顔をしかめると、話題を変えた。

 しばらくして東雲が現場に到着すると、警察官から状況の報告を受けた後、さりげなく御門に近寄ると目線を合わせないまま口を開いた。

「付喪神の仕業で間違いないだろう。対象は包丁――明治時代に作られた名工の一本らしい」

「そいつはどこに?」

 御門もまた、東雲に視線を合わせる事無く小声で尋ねた。

「鑑識が署に持ち帰った。後でまた連絡をしよう」

「わかった。――それと」

 御門は先程の事象を説明した。誰かのせいで真神の動きが封じられたと。


 東雲の手引きで、審議会で聴聞中の亨を扉越しに確認している御門は、東雲を見つめると軽く頷いて席を立った。

 東雲は納得したように目を臥せると、立ち上がり、審議会が行われている扉と反対側の扉を開けて、御門を出口まで案内した。

「――どのくらいかかる?」

 本庁の出口から出て、御門は東雲に尋ねた。

 東雲は御門がポケットからタバコを取り出すと、いつの間に用意していたのかライターを出して、火をつけた。

「霊力をコントロールするだけなら三か月もあれば。だが、術を覚えるかどうかは本人の適正にもよるしな――一年ってところか」

「一年で使い物になるなら十分才能アリって事だろ」

 御門はゆっくりとタバコの煙を吐き出しながら言った。

「――ま、使い物になりそうなら寄越してよ。……俺としちゃ、使い物にならなくても真神クソイヌを黙らせられるなら全然OKだけどな」

 上機嫌でタバコを咥えながら御門が言うと、東雲は黙って頷いて御門に別れを告げて建物に入って行った。

 亨が御門の元に来たのはそれから半年後の事だった。


 審議会の結果、正当防衛であると判断されて、亨は懲戒処分を免れた。

 ――そんな馬鹿な。確かに自分は無抵抗の犯人を射殺したのに。あれは殺人以外の何物でもない。

 それでも、審議会では何故か刃物を持って襲い掛かってきた犯人から身を守るためにやむなく発砲したのだと言う同僚の証言迄揃っていた。

 亨は狐につままれたような感覚だった。

 審議会で処分なしを言い渡された後、通された部屋にいたのは東雲裕一郎だった。

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