3.大口真神

「――悪いが一人にしてもらえるか」

 御門みかどは東堂ととおるに言うと、亨は頷いて東堂を連れて部屋を出て行った。

 二人が完全に姿が見えなくなったのを確認すると、鎧に向き直った。

「どうだ――?」

『間違いない』

 御門が小さく呟くと、御門の中からゆらりと狼が姿を現し、答えた。

 霊体ではあるが白い毛並みが神々しく、立ち上がると御門程はありそうな巨大な狼だ。

「祓うか?」

 御門の問いに、狼は首を振った。

『いや、奴は今ここにはいない。あるのは残滓だ』

 ――逃げたか。

 御門は舌打ちした。

『焦る事はない』

 狼は御門の中に戻りながら続けた。

付喪神ツクモガミが依り代から離れていられるのもせいぜい一昼夜――明日の夜には否が応でも戻る事になる』

「それまでのんびりと寝て待てってか」

 狼は答えなかった。

「御門さん、大変です」

 その代わりに部屋に飛び込んで来たのは亨だった。


 御門が16歳の時だった。

 自宅でくつろいでいると、突然目の前に現れた白い巨大な狼は左半身を失っていた。

 御門はこれまでいくつも霊や妖怪を見てきたが、ここまで神々しく恐ろしいのは初めてだった。

『お前が依り代か』

「え、話せるの?」

 御門は驚いた。これまで人型の霊や妖怪は人語を話すのは知っていたが、動物霊は感情が伝わるのみで明確な会話などできなかったからだ。

『我は日本武尊ヤマトタケルノミコトが眷属、大口真神オオグチマガミぞ。人語など容易いわ』

 半身を失った狼は御門の呟きに尊大な態度で答えた。

「すげー。俺話せる犬とか初めてだわ」

『……我は狼だ』

「おー!狼も初めてだぜ」

 御門は興奮して狼に近寄ろうとした、その時。狼は前足で御門の体を押し倒すと、鋭い牙が生え揃ったその口を鼻先に近付けた。

『その霊力――確かに我の依り代となるに相応しい』

「いてて……ってか足どけろよ重い。霊なのに重いとか意味わからん。あと、依り代ってなんだよ」

『そなたは我が主に選ばれたのだ。この我の依り代にな』

 大口真神と名乗る狼は、そう言うと御門の体に消えるように入り込んでいった。

「えっ、ちょっ……俺の意思はどこにあるんだよ」


 大口真神は500年に一度封印が解ける熊襲尊クマソタケルの怨念を封印する役目を、主神より仰せつかっていた。

 その年も500年目の役目を果たそうとしたが、2000年近く続く役目の中、ついうっかり油断した大口真神は封印の間際に熊襲尊に手痛い一撃を食らい、半身を失うほどのダメージを負ったのだ。

 このままでは神力が回復する前に消滅してしまうと言う時、主神より大和御門の存在を教えられた。

「いやいや、なんで俺なんだよ」

 大口真神の説明を受けて、御門は声を上げた。

 大口真神は一度御門の体に入ると、現れた時より小さい姿だが完全な狼の形となって再び現れた。

『そなたの名前が我が主と同じヤマトの性を持ち、霊力も人一倍高い。そしてその容貌だ。我が主の若い頃にそっくりだと喜んでおられた』

「え?そんな理由?そんな理由で俺の人生お前と同居なの?」

『たわけ。女性よりもさらに美しい我が主に似ているとは最高の誉れではないか。涙して歓喜して然るべきぞ』

「ヤマトタケルって、あれだっけ。女装して熊襲尊兄弟の寝室に入り込んで殺したんだよな」

 御門は日本史の授業で教師がヤマトタケルの物語を熱く語っていたのを思い出した。

『いかにも』

「でも熊襲尊ってヤマトタケルの男らしさに感動して、自分のタケルって名前をヤマトタケルにあげたんだよな?なんでそんな奴が怨念になってんだよ」

『呪いだ。熊襲尊は我が主に討たれた恨みを名に込め、主に名を渡し呪ったのだ』

 グルル……と歯を剥き出し、思い出して怒りを露わにする大口真神に、御門は首を傾げた。

「なぁ、もしかしてアレは実話な訳?――ヤマトタケルが女装してってーの」

『ああ。その頃はまだ我は眷属ではなかったがな……しかし主の美しさは想像に易い。熊襲めが色香に騙されるのも当然だ』

 大口真神が嬉しそうに目を細めるのを見て、御門は少し熊襲尊兄弟に同情した。

「あーね……確かに今からxxしちゃおっかなって時に、実は男でしたとか言って殺されたら恨んでも恨み切れねぇ。そりゃ呪うわ……」

『下世話な言い方はよせ』

 大口真神は御門の軽口を制すると、御門の正面にお座りの姿勢で座り込んだ。大型犬のサモエドよりも少し大きいくらいなので、犬がお座りしているようで、犬好きの御門は少し癒された。

『我の体は霊力が必要だ。このままではそなたから離れると幾年もせぬうちに我が体は失われるだろう。――そこでだ。お主に霊力を集めてもらいたいと、我が主は仰せられた』

 我が主――と言う時の大口真神は非常に誇らしげで、ついでに尻尾もぶんぶんと振っている。

 まんま犬じゃねーか。と、御門は思ったが問題はそこではなかった。

「だからなんで俺なんだよ。そもそも霊力を集めるとかどういうことだよ」

 大口真神はフンと鼻を鳴らすと、まるで虫を見るような目で御門を見下ろした。

『我が主に似ているのは顔だけか。――よいか。そなたを依り代とした瞬間から、我の能力をお前も使えるようになっている。もちろん機能限定版だがな。お主はその力で悪霊を食い、霊力を集めるのだ』

 犬のくせに無茶苦茶な要求をしやがる。御門はだんだん腹が立ってきた。

 なんで勝手にやってきて、俺の意思を無視して依り代とか言って取り憑いたくせに命令してんだよ。絶対やらねぇ。

 御門は決意を口に出そうとした。

『そなたが霊力を集めなんだら、そなたの霊力が我の贄になる。霊力がなくなれば命だな』

 大口真神の言葉で御門の運命は決まった。


 東雲裕一郎しののめゆういちろうがやってきたのは、その翌日だった。

 警察庁特殊捜査課と名乗るその男は、身分証を見せねば警察とは信じられないほど美形の優男だった。

 東雲は御門の顔を見ると、興味深そうにジロジロと全身を眺めてから、付喪神について話し出した。

「昨晩、僕の元に日本武尊と名乗る方が現れてね。君に付喪神狩をさせる手伝いをするよう仰せつかったよ」

 神主の血を引く東雲は、こうして神託を受けて御門の元にやってきた。

 御門は逃げ道を塞がれた形になり、その日以降奴隷――もとい付喪神狩として働くことになったのだ。

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