第29話

「疲れてなんか――いや、そうかもしれない」

 あのゴブリンの襲撃――いや、結界が破壊された、あの日から色々ありすぎた。

 「結界――ゴブリン――そうか」

 カインは何かに気が付いたかのように顔を上げた。

 街道の結界が破壊された事と、ゴブリンが街道の近くまで来ていた事は偶然の重なりではないのではないか――?

 もし街道の結界の異変に気付く者がおらず、発見が遅れていたら……

 ゴブリンたちは街道の結界から首都かオルフィアス領に侵入して、根付いていたかもしれない。

 ゴブリンそのものは、武器を使える程度の知能を有しているものの、子供程度の大きさしかなく力も弱いため、大した脅威とは言えない。

 しかし、ゴブリンの脅威はその繁殖力にあった。20日もあれば子供を産み、90日もあれば成体へと成長し、また増える。

 山や森ではゴブリンは食物連鎖の最下層だ。他の魔獣の食糧となるため繁殖能力の高さは種の絶滅を防ぐ程度の役割しか持たない。

 しかし、天敵のいない場所ではどうだろうか。

 知らぬ間に町の下水や物陰、人の居ない場所で繁殖していたら……

 戦いは何も外から攻撃するだけではない。

 内側から決壊させて弱めることもあるのだ。

「ティン=クエン!過去に同じように結界の破損した個所はなかったかもう一度調べなおしてくれ。そして――貧民街に奴らが巣を作っていないか調査を」

 あれから何日経っている――?

 不思議と頭がすっきりしている気がする。

 まるで、深い眠りから覚めた朝のように。

 自分がイレリアに入れあげている間に、何が起きていた。なぜ自分はこんな簡単な事にも気付かなかった――いや、考えようとしていなかったんだ。少し考えればわかるこんな簡単な謀を、自分は気付かず安穏と――

 

「カイン、落ち着け。貧民街の捜査は君が倒れた時にエスクード侯爵の指揮で終わっている。その後も定期的に首都の下水や貧民街を調査しているが奴らが入り込んだ形跡はない」

 ティン=クエンがカインを落ち着かせようと肩を掴んで怒鳴りつけた。

 目の前を黒い熱が遮ろうとしていたのを、ティン=クエンの声で引き戻されたのが分かった。

「父上が――」

「ああ」

「父上はそんな事一言もおっしゃらなかった」

 自分がしなければならなかった仕事だ。

 いつもの父なら、黙ってやったりしない。

「カイン――侯爵は君の身を案じていただけだ」

 カインはティン=クエンを見た。同情とも非難とも言えない目で自分を見ていた。――なるほど。

「父上は僕に失望しているんだな――女にうつつを抜かし、こんな単純な事にも今の今まで気付けずにいた僕を――」

 カインは、胸が黒い熱で熱くなるのを感じた。


 ティン=クエンは何も答えず、ただ「報告は以上だ」と言って駐屯所を後にした。

 カインは考えがまとまらないまま、時間となり従者が迎えに来たため、王宮の結界の間へと向かった。

「ご無沙汰しております。父上――街道の件ですが……」

 先に到着していたエスクード侯爵を見て、カインは頭を下げた。

 先程のティン=クェンとのやりとりが重しのようにカインの心を落ち込ませている。

「ティン=クエンから報告は受けている」

 侯爵は一言だけ言うと、カインに背を向け魔法陣に体を向けた。

 いつもは頼り甲斐があって大好きな背中なのに、今日はどこか他人のようなよそよそしさを感じる。

 いや

 それは自分が引け目を感じているからかも知れない。

 父上はいつも僕を守ってくれていた。きっと今回もティン=クェンの言う通り僕を案じての事だったんだ。

 そう思うものの、胸に引っかかった不安は拭えなかった。

 

 首都の結界の維持は、本来であれば魔導士の仕事だ。

 しかし、上位の魔導士が5人かかりで魔力を入れて、30日ほど維持できるこの結界は、魔導士の負担が非常に大きい。

 その為、30年前からエスクード侯爵が魔導士の負担を減らすため魔力の注入を手伝っていた。

 更に魔力量の多いカインであれば、一人で維持する事も可能ではないかと、王は考えた。

「今のように一気に魔力を入れるのではなく、数日おきに――そう、シトロン公女の魔力吸収の代わりに行えば、暴走の危機は無くなるのではないか?」

 その王の考えは、確かにそうだとエスクード侯爵は一瞬思ったが、すぐにそれを否定した。

 それではカインの負担が大きすぎる。その提案を受けると、カインは首都に縛り付けられることになり、自由はなぬなる。

 だが、それでは逆にジルダの人生をカインのために犠牲にすることになる。

「それであれば――」

 侯爵は悩み抜いた結論を王に伝えた。

 魔法陣の魔力を入れる役目は引き受けるが、それはあくまでこれまで通りの30日に1度、侯爵と共に行う。

 もし、ジルダに何かあれば――その時は結界の魔法陣をカインの魔力の逃し先として使う。

 その案に、王は満足していたようだった。


 カインは言葉を探しながら、気まずい気持ちでエスクード侯爵の並ぶと、天井まである大きな魔法陣を見上げた。

 街道の魔法陣とは比べ物にならない、息を呑むほどの大きさだ。

 古のアベル王子が残したと言われるこの魔法陣は、魔導士により何度も修復をされているが、魔法陣はそのものが壊れると復元は不可能と言われている。

 実際に何百年もの間、数多の魔導士がこの魔法陣を複製し再現しようとしたが、作動に至らなかったからだ。

 ――もし壊されたのがこの魔法陣だったら。

 カインは自分の考えに背中が冷たくなるのを感じた。

「ここの警備はアバルト侯爵家が担っている。問題はない」

 カインの考えを察知したのかエスクード侯爵は前を向いたまま静かに言った。

「はい。ただ――」

「その不安は大切だ。絶対の安心などない。だから騎士隊が必要だし、危機に対する備えも必要だ」

 侯爵は静かに、しかし威厳に満ちた声でカインを遮った。

 今は落ち込むべき時ではないということは、カインにもわかっていた。

 それでも、自分の不甲斐なさに落ち込まざるを得ないでいると、その背中をエスクード侯爵の手がそっと押した。

 力強く、心地よい温かさがじわりとカインの心を溶かすようだ。

「早く帰ってお前とゆっくりしたいことだ――とっととやって終わらせよう」

 侯爵はカインに顔を向けると、いつもの優しい父親の笑顔がそこにあった。

 そうだ。今は仕事に集中するのだ。

 カインは歯を食いしばると、侯爵と並んで魔法陣に向き合った。

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