第28話

 ポッチのご機嫌がようやく直り、騎士隊の駐屯所に出勤すると、ティン=クェンが来ていた。

「久しぶりだな」

 幼馴染の顔を見て、カインが嬉しそうに顔をほころばせると、ティン=クェンも嬉しそうに両手を広げてカインの抱擁を受け入れた。

「実は魔導士の捜査の件で来たんだ」

 騎士見習いが不器用な手つきで、茶をティン=クェンの前に置くのを微笑ましく見つめながら、ティン=クェンが話し出した。

 魔導士はおろか、国中の錬金術師までもを対象に捜査を行ったが、書き換えられた魔方陣と同じ魔力を持つ者は見つけられなかった。その為、おそらく国外の魔導士か、考えにくいが国に存在を知られていない魔導士か錬金術師ではないかという疑いが出てきているという。

「国の魔導士や錬金術師は、宮廷魔導士により野良から勤め人まで全て把握されている。――そうなれば残る可能性は一つ」

「隣国か――」

 

 隣国であるオシュクール公国は小さいながらも、国土の南北が海に面している。

 国土の北部に険しい山地が広がり、西側には大森林と呼ばれる、人の立ち入りを許さない危険な森があった。

 王国の1/3程度の公国は、常に魔獣の被害に苛まれ、貧しかった。

 その為、国土を広げようと、王国の国境にある領地に侵略を仕掛けた小競り合いが、はるか昔から度々繰り広げられていた。

 50年前に首都まで被害を被った戦争は、隣国の侵略によるものだったとカイン達は学んでいた。

 国境を守る、当時のアクタラ辺境領とオルフィアス伯爵領が奪われ、戦火は首都にまで及んだ。

 アバルト侯爵家とエスクード侯爵家が敵軍を退け、領土を奪回したことで隣国は戦力を失った。

 勢い隣国を制圧統治せよとの勢力が立ち上がったが、王家と貴族院は、隣国の西側に位置する大森林の危険性を鑑みて、それを否決した。

 大森林は古のアベル王子が命を落とした場所だと言い伝えがあり、この世のどの土地よりも魔力が濃い場所だった。

 植物も魔獣も、王国の比にならないほどの魔力を持つため、隙あらば人里を飲み込み、その領土を広げようとしている。

 大森林の侵食を防ぐ条件で、王国は隣国への支援を約束して、自治権を認めた上で属国となる和平条約を締結して、名をオシュクール公国と改めた。

 王国は公国に港と街道を整備し、魔道技術を支援して現在は貿易と大森林で獲れる魔獣の素材を中心とした産業を主な生業として安定しているはずではないのか。

 

「公国が王国を攻撃する理由なんてないはずだ」

「公国とて一枚岩じゃないだろう」

 カインの否定をティン=クェンが一蹴した。

 公国には王国派と独立派が存在している事は、カインも知っていた。

 だが、国民の多くは王国の庇護下にあることを望んでいる。それほどに昔の貧しさに戻るのを恐れているのだ。

「公国は否定しているがね。捜査にも協力すると言ってきたよ。ひと月もすれば公国中の魔導士と錬金術師を検査して報告すると申し出てきた」

「もちろん、王国の捜査官も出向くんだろうな」

 カインの問いかけにティン=クェンは首を横に振った。

「王国の手を煩わせることはしない、だとさ」

「馬鹿な」

「だが確たる証拠がない。公国はただ協力してくれているだけだ。要請を断ることだってできたんだと言うことはカインもわかるだろ」

 ティン=クェンの言うことはもっともだ。

「僕も流石に公国がなにか企んでるとは思いたくないさ」

 ティン=クェンは、子供の頃から変わらず癖毛をくしゃくしゃと掻きあげた。

 いっぱしの騎士になった今も、気弱そうだった少年の面影が残る顔が、カインを不思議と安心させた。

「東のフェルメ王国には既に調査隊を派遣してるよ。あちらは笑うくらい協力的で、逆に疑いたくなるね」

「フェルメ王国にまで調査隊を送ったのか?」

 カインが目を丸くさせると、ティン=クェンは幼さの残る顔をにやりとさせた。

「山脈と樹海で行き来が難しいけどね。ただ、あそこはここのところ大規模な灌漑工事を行ってると聞いてね」

 現在小麦の多くをアンドレア王国に依存しているフェルメ王国の灌漑工事が完成すれば、両国の食糧事情がひっくり返る。

 アンドレア王国の影響力に関わる問題だ。

 なるほど。その為の調査隊か。

 カインはティン=クェンの抜け目のなさに感心していた。


「そういえば最近君は夜会にも顔を出してないね」

 ティン=クェンは、調査隊の報告をまとめたものをカインに手渡しながら思い出したように言った。

「元々夜会は好きじゃない」

 カインは少しだけ不機嫌を顕にしたが、ティン=クェンは気にしていないようだった。

「おかげでジルダのエスコートはすっかりロメオの役目になってるよ」

 嫌味のつもりか?

 カインは眉間に皺を寄せたが、ロメオにエスコートを頼めと言ったのは自分だ。何を苛ついてるんだ。

「ジルダ様といえば、最近すっかりお綺麗になられましたね」

 会話を聞いていたラエル卿が、悪びれた様子もなく口を挟んだ。

「は――?」

 カインが気色ばんだのに気が付いていたのは、ティン=クェンだけだったようだ。

「まぁ、確かに子供の頃に比べるとすっきりしたけど――」

 カルマイ卿が言いかけて慌てて口をつぐんだが、遅かった。

 カインは、今度こそわかりやすくカルマイ卿を睨んでいた。

「確かにこの国じゃ珍しい造りだけど――北方の民族じゃダントツで美人ですよ」

 空気を読まない能力に関しては右に出る者がいないラエル卿は、カルマイ卿に笑いかけた。

「うちの妻の父が北方の民族だから、見慣れてるのもありますけどね。私はジルダ様はお綺麗だと思ってますよ」

 ラエル卿が自身ありげに言うと、カインは険しい顔のまま「ラエル卿――」と言った。

「人の婚約者の容姿よりも、首都周辺の街道の結界の再確認の報告を気にすべきじゃないのか?」

 できる限り感情を抑えて告げると、ラエル卿はしまったと姿勢を正した。

「派遣した魔導士からの報告を確認してきます」

 そう言って、逃げるように駐屯所を飛び出して行った。

「ジルダが褒められるのは嬉しいことじゃないか。そうカリカリすることはないだろ」

 ティン=クェンが声をかけたが、カインは不機嫌な顔を崩そうとはしなかった。


 ジルダが美人だと?――何を今更――今更?

 カインは自分の考えに困惑した。

 何を考えてる?僕は。

 ジルダなんてどうでもいいじゃないか。

 彼女はどうせ僕のことなんか見てもいない。

 いつも冷たくて、口を開けば貴族らしくしろだのなんだのと言ってくる。

 そうだ。あんな女――冷たくて――優しくて――温かい――いや違う。

 いつもの頭痛がカインを襲う。

 僕は何を考えてる。僕にはイレリアがいる。

 イレリアの事を考えると、嘘みたいに頭痛が消える。そうだ、僕には彼女が必要なんだ。

 彼女はそばにいると言っていた。

 僕が必要とする限り――小さい、柔らかい手で僕の手を握って――「カイン様が必要とする限り、私はずっとおそばにおりますわ」――違う。

 イレリアは僕を「カイン様」などと呼ばない。

 

「――カイン?カインどうした?」

 ティン=クェンが、カインの顔を覗き込むように声をかけると、カインははっと我に返った。

「僕は――?」

「なんだかぼうっとしていた。疲れてるんじゃないのか?」

 ティン=クェンは本気で心配しているようだった。

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