シェフのきまぐれ短編セット(続編)

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一振り

 とある剣術道場に60代の男性3人が同時に入門してきた。


「剣の経験は?」

「いえ、我々素人なんで一からよろしくお願いします!」


 定年退職した男性が余生を楽しむために習う剣術、最近では珍しくない。


 見た目だけは達人みたいなのにずぶの素人。


 いつもどおり適当に優しく教える。


 直ぐにやめるかと思ったが、この3人は毎週欠かさず練習に訪れるし、稽古後も熱心に指導を仰ぎに来る。


「みなさん、剣がお好きなんですね?」

「いえ、早く真剣を握れるように上手くなりたいんです……」

「真剣もそのうち試し切りで握らせてあげますよ」


 男性たちは真剣を握らせると言うと、笑顔になり再び稽古に打ち込む。


 彼らが通い始めて2年が経った。


 3人とも初段までは取得していたので、真剣を握らせてやることにした。


「今日の稽古は3人だけなので、特別に真剣を握らせてあげます」

「本当ですか? 本物の真剣ですか?」


 さすがに3人ともテンションが上がっている。


「いいですか、テーブルの上に牛乳パックを並べるので、それを叩き切ってみてください」


 3人は交代しながら試し切りを行っていく。


「刀は軽く握って、斬る瞬間に絞りを強くするんです!」


 何度も失敗する3人に俺は少し熱く指導する。


 そして、何度か指導するうちに3人ともテーブルに置いた牛乳パックをスパッと綺麗に袈裟斬りできるようになった。


「先生、こんな細い刀で人も本当に斬れるのですか?」

「当たり前じゃないですか! 私も過去に……」


 俺はふと言ってはならないことをこの3人に話しそうになる。


 江戸時代の剣豪にもいたらしいが、俺は時折本当に人を斬りたくなる衝動が起きる。


 過去に模擬刀と真剣を間違えたと偽り、稽古生を斬ったことがある。


 その時はうまく誤魔化せ、事故として処理された。

 しばらくは武道の世界から追放されたが、俺は名前を変え、連盟に属していない道場の師範から再び剣を習い、自分の道場を開いた。


 既に20年前の話である。


「相澤さん、コイツで間違いない!」


 3人のうちの一人が真剣を持っている男に語りかける。


「相澤……」


 その名前にピンときた。


 俺が事故と偽り斬った稽古生の一人である。


 俺がそれに気づいた時には既に意識が遠のき床に倒れていた。


「お前が事故と偽り息子を斬った男であったことは知っていたよ。この20年、どれだけお前を探したことか。お前の道場を見つけて3人で習いに来て、この一振りのために必死に稽古した。これは事故にさせてもらうよ、先生……」


 俺を覗き込む3人、よく見れば俺が殺した稽古生たちによく似ている。


 自分の教えた剣で自分が斬られるとは……。


 そして俺は完全に目の前が真っ暗になった……。


「どうしました? 何があったんですか?」


 道場を管理する会社の社員が異変に気づき、稽古部屋に飛び込む。


 3人の男性は涙を流し、真剣と模擬刀を先生が間違って渡した事故であることを説明する。


 警察も訪れるが、3人の説明に食い違いはなく、事故として処理されることとなった。


 3人の男性は警察が帰った後も道場で泣き続ける。


 その涙は師が死んだことへの悲しみではなく、息子たちの仇を討つことをやり遂げたことから来る涙であった。

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