びりやに!

白日朝日

第1話「フォーカス」



 トリでもない出番のイベントだと、大体終わる頃には熱狂が冷めている。


 最後のバンドがアンコール終わりでジャーンとキメを鳴らし、それから軽いMCを入れたところで小さなハコに拍手が響く。


 わたしもなんとなくみんなに合わせて拍手をする。だいたいみんな見知った顔。ほとんどはこのイベントの演者だし、あとは界隈のライブに来る常連さん、それからなんか誰かの彼氏か彼女。彼氏彼女系のひとのポジショニングはわたしと同じで、ステージからいちばん遠い壁際にいるからなんとなく区別しやすい。


「ねえ。ミユキも行くでしょ、打ち上げ~」


 気安い声を掛けたのは、フミちんだ。


 桜野史絵、わたしが今ヘルプで入ってるバンドのボーカル兼ギター。


 容姿はふつうで髪はどこかボーイッシュなボブ、乳はでかくて、いつも大体安そうな古着を着ている。ついでにいうと部屋が汚くて、でもなぜか男性陣にはけっこうモテる。


「今日はいいかなあ」


「えー、飲もうよう。ほたるちゃん来るよ、ほたるちゃん~」


 だからだよ、と言いかけて飲みこむ。


「お金がないんだよ」


 ほんとである。


「おごるってばー。ヘルプで入ってもらってるし~」


「要らんっての、一応、お金もちょこっともらってる」


 ほんとにちょこっとである。


「えー。だってミユキ、ほたるちゃんと仲良いじゃん~」


 ほんとである。だからこそだよ、とわたしは言いかけてまた飲みこむ。


「それに明日の出勤早いしさ」


 ほんとである。


「いつもならそれでも来てくれるじゃんさ~」


 うちらのバンドが早め出番だったせいか、フミちんはすでにまあまあ酒臭い。


「つか、フミちん臭いって。あんま近寄んな」


 まあまあ厳しいことも言うが、それくらいフミちんとはラフな間柄だ。


「いつものことやん?」めげねえなお前。


「あと、禁酒と禁煙やってんの」


「へえ、すごいじゃん。何日目」


「三日目」


「へえ、すごいじゃん」


 もちろん、嘘である。


 会話を終えて、わたしはみんなと適当に挨拶してから、早めに楽器を持って場を抜け出した。


 数時間ぶりのシャバの空気を吸いながら、うめえうめえとたばこに火をつける。


 ライブハウスはその都合上、大抵は街中で裏路地の飲み屋通りの地下一階だ。たばこの臭いはいくら強烈に換気扇を回しても抜けないし、多分、条例とかできっちり規制されたあとでも抜けないんだろう。外の空気はそれよりマシだ。排ガスや焼鳥のにおいたちがこもった中でも、まだ吸えそうな酸素がちょっとくらいは感じられる。


「あー、うめえうめえ」


 二酸化炭素と排ガス混じりの煙を吐き出しながら、携帯灰皿にたばこを押しつけて、夜空と呼ぶにはいささか狭い空を見上げる。たばこの煙なんかとうに見えちゃいない。星もなければ飛行機雲もそこにはなくて、電線がつくる幾何学模様にニューロンだかシナプスだかのことを思い出すだけだった。



 ライブハウスのある歓楽街から、電車で一駅のところにわたしの住む現在地がある。


「ラ・なんちゃら305号室」、一応、苗字だけは表札に出してある。


「冬坂」、フルネームは冬坂ミユキ。あやうくわたしが「フミちん」というあだ名になってもおかしくない。


 フミちんだけはなんとなく嫌だ。なにしろ、ふつうのちん付けあだ名よりちんこ感がある。


 洒落っ気もない扉を開けて入り、1DKのテキトーな壁にベースのギグバックを立てかける。冷蔵庫から発泡酒を取り出してテーブルに置いたら、開けるでもなくソファへと寝っ転がり、LINEの履歴をながめる。今日のイベントのグループトークには、フミちんがせっせと楽しげな居酒屋模様の写真をアップしている。


「さすがだな、映える写真が一個もねえ」


 手ブレピンぼけお構いなし、ジョッキいっぱい注がれたビールの横には、見た感じで分かるようなしなびたポテトと冷めた唐揚げが写り込む。


 自撮りをしようとした写真ですらも、ピントが後方でなんか取っ組み合ってる人間に合っており、文字通り目も当てられない。


 ただ、ちょっと広角に撮られているそのピンぼけ自撮りの写真を見ながら、わたしはあの子の姿をなんだか探していた。



 ――ほたるちゃん来るよ。



 水津ほたる。


 髪色とか髪型がしょっちゅう変わるから、顔以外だと特徴的な猫背で判別するしかない。


 わたしがヘルプで入っているバンドの、やめてしまった先代ベースで、わたしの元カノだ。

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