第3話 人魚の涙
息は長く続く方だ。
島の子であれば当然のことだ。
当時の私でも2分は余裕だった。
私は海面で息継ぎをして、先刻見た巨大な鰭を目指して水を蹴った。
紺碧の海が凝縮されたような色で、絹のヴェールが開くように優雅に広がっていた。それから想像するに2m近い大きさに思えた。
そんな大物が棲んでいるような岩礁ではない。
私と同じように潮流を避けて潜んでいたのか。
その大魚を捕獲して、学校で表彰されるかも。
新聞に載ったら、と子供じみた想像は逞しい。
逃した大魚とならないように、慎重に岩場に取り付いて、そっと覗き込んだ。
見合わせたのは、宝石のような翠の瞳だった。
その少女は岩場の縁に両手をついて顔を出しかけていた。
相手が動きを止めたので、豊かな髪の毛が流れてぶわりと広がっていった。黒髪ではなく、金髪でもない、磨かれた銅板のような輝きをしていた。
そして膨らみかけたおっぱいに視線が寄せられてしまった。
従姉妹とまだお風呂に入っていた頃だが、年上の少女の胸を見たのはそれが初めてだった。海中で見たそれは雪よりも白く、乳首にも色はついてないように見えた。隠すような素振りはなく、両手は自由に開いていた。
見てはいけないこと、という言葉が浮かんだ。
はっとして彼女の眼を見つめようと努力した。
努力が徒労に終わるくらいに視線を奪われた。
誰かの親戚の娘かもしれない、ここで下手を打つと自分の居心地が悪くなってしまう。けれども彼女は羞恥心を感じてはいないようだ。
途端に息が続かなくなって、身を起こして海面を見上げた。その目線の上に影が通過する。その少女が泳ぎわたるのを見守っていた。
なぜ裸で泳いでいるんだろう、と不思議に思っていた。その若鮎のような肉体が魅せつけるようにゆったりと頭上で身をくねらせていた。
だがその身体が異様に長い。そればかりか臍の辺りからは完全な魚類のそれに見えた。その翠の尾鰭こそ、先刻自分が見たものだとわかった。
心臓が飛び出してしまうかと思った。
人魚を見てしまった、しかもこんな近くで。
驚きが唇から大きな泡となって散っていく。
それを彼女は怪訝そうな瞳の色で見ていた。
私は彼女を突き放すように海面へと逃げた。
とても振り切れるものではなく、すぐ隣を小首を傾げながら微笑んでいるように見えた。むしろ私の泳ぎに合わせてくれているようだった。
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