恋にあたる

少覚ハジメ

第1話

 亘理わたりと話すようになったのは、中学二年生のクラス替えのあと、三回目の美術の時間からだった。それまでは同学年のきれいだけれど地味目な子という印象しかなく、理数系が壊滅的なかわりでもないだろうが、文系と美術だけは得意な僕が、サラッとデッサンを終えるのを見て、画用紙と自分の間に顔を突っ込むみたいに「うまいね!」と、やや大袈裟な賞賛を送ってきたのがきっかけだった。

 色白の顔が間近に迫り、ドキドキしながら「ありがとう」と謝辞を述べたのが初めて成立した会話だっただろう。

 亘理の感心のしかたは半端なものではなく、どうやるの?コツは?将来はマンガ家になるの?などと口を挟む間もなく質問の銃弾を浴び、いや、別にそういうんじゃないけど、描くのは好き、ということをもごもご言ったのを覚えている。

「小沢君、才能あるよ」

「どうかな?」

 と、褒められ慣れない僕は自信のない返事をする。亘理は、普段そんなに騒がしいわけでも、人懐っこいわけではない。どちらかというと、当たり障りのない人間関係を築いていて、本当に親密な友人はごく少数という感じだった。だからテンションの高い亘理というのも珍しい気がしたし、まだ新学期から一ヶ月しかたっていないのもあって、実はこういうやつなのかもしれないと思ったりもした。

 帰りのHRで改めて三人挟んだ右側から亘理を眺めると、艶やかな黒いショートボブに対照的な白い肌、長い睫毛と、高すぎない優しい印象の鼻梁が派手になりそうな印象を抑えて、その曲線がきれいだった。つつましやかな小さめの唇は、だけれど形が良くて、先ほどのように早口で動くようには見えない。地味目に見えるのは、主にセーラー服の着こなしたなのだろう。別に変ということは無く、クラスの目立つ女子たちに比べると、几帳面すぎた。ちょっと露骨に見ていたせいか、彼女はちらっとこちらに振り向き、切れ長な目と一瞬見つめ合ってしまって、僕は顔を伏せた。ちょうど担任からの連絡事項が終わり、起立!という号令がかかって、何となく助かったという気分になる。

 そそくさとカバンに手をかけ、教室を出る前に彼女を盗み見たが、亘理は気にするふうもなく、友人と一緒に笑いながら帰り支度を始めていた。


 次の日の昼休み、何気なくノートに絵を描いていると、背後に気配がした。

「小沢、簡単に描くんだねえ」

 昨日の今日でもう呼び捨てになってしまったことが少し気になったが、そんなことより関心しているふうな亘理が後ろからのぞき込んできて、女子と距離が近いのは慣れないなと思いつつも、彼女を見ないで描き続けた。

「ん、まあ…」

 恥ずかしいので振り返るのはやめておいた。何が恥ずかしいのか、よくわからなかったけれど。

「あの二人は?」

 いつもつるんでいる佐々木と伊藤のことだろう。

「購買に行っちゃった」

「そうなんだ。じゃあとなり空いてるね」

 亘理は簡単に言うと、佐々木の椅子に座ってノートをながめるが、僕の方は、やりずらい。つい手を止めてしまったら、彼女から続けて、とうながされてしまった。落書きのつもりだったので、続けろと言われても仕上がりが見えているわけでもなく、結局髪を黒く塗りつぶして、終わり、とつぶやいた。

「完成?」

 ちょっと語尾が上がって、不満そうな声をあげられるのを聞き、少し理不尽な気分にさせられる。

「いや、てきとうに描いてただけだから」

「じゃあ、本気で描いたの見せて」

「…家にはあるけど、学校ではそんなちゃんと描けないよ」

「今度見せてよ」

 なんというか、昨日までの印象と違って、彼女は押しが強くて馴れ馴れしくて、僕は意外な気がする。友達相手でもわがままなことを言う感じではなかったと思う。でもちゃんと気にかけ始めたのは昨日なのだから、見てなかっただけなんだろうと考えた。それにしても、なんでこんなに絵に執着心するのか、そちらの方がわからない。

「亘理、マンガとか好きなの?」

「ん、好き。マンガも好きだけど、絵をながめるのが好き」

「美術館とか?」

「芸術は、わかんないかな。でもマンガみたいな絵は好き。小沢、マンガ描けばいいのに」

 マンガだって芸術じゃないのかなと思ったが、そこは口に出さない。でも、亘理の抱いている期待がどれほどのものかわからなくて、ちょっと困る。いちおうは本気で描いたものも確かにあるが、恥はかきたくなかった。

 そうこうするうちに、二人が戻ってきて、席を占領されていた佐々木がおや?という顔をして僕に目配せをした。

 ごめんなさい、すぐどけます、と言う亘理の声は丁寧で、昨日話しかけられるまで抱いていた彼女の印象に近い。

 佐々木は椅子に座りながら、僕の顔をじっと見ている。

「何?」

「いや、そうなのかなって」

 思慮深そうな顔をした彼の言葉が誰に向けられたのか、とんとわからないままだった。

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