スメルオブレインドロップス

だっちゃん

スメルオブレインドロップス 

 目を覚ますと、いつもの天井だった。

 カーテンの隙間から帯状の白い光が差し込んで、塵の浮いた部屋の空気を照らしている。思わずため息をついた。背中にべっとりと嫌な汗をかいている。

 また、いつもの夢を見た。

 中学生の頃、学生の間で「前略プロフィール」というインターネット上のサイトが流行っていた。

 それは簡単な質問に幾つか答えるだけで自己紹介ページを作成することができるというもので、SNSの存在しなかった当時は画期的な交流の場となっていた。

 「前略プロフィール」には自分専用の掲示板を設置することができる。

 気の合いそうなプロフィールを見つけたら、その人の掲示板に書き込みをしたりして、意気投合すれば専用のチャットルームに誘導したりメールアドレスを教え合ったりして関係を深め、ときにはオフ会をしたりする。これがユーザ界隈では一連の流れとなっていた時代があった。

 当時中学2年生だった私は、思春期で顔面吹き出物だらけだった。その膿んだ醜い顔は、やはり中学生達にとって格好の嘲笑の餌食で、私は暗く鬱屈としてひっそりと学生生活を送るほかなかった。そして現実世界の友人関係を諦めることで捻出した時間でもって、ネットに文章を書いて公開するようになっていた。

 当時ブログというサービスは一般的ではなく、HTMLを自ら組み、デザインや構成を調整して作成した所謂「テキストサイト」という個人のHPが全盛の時代で、作成のノウハウはいくらでもネットに転がっていた。

果たして私の作ったHPのデキはといえば、これはもう黒歴史としか言いようがない。無意味にキリ番に反応するアクセスカウンターを設置したり、マウスカーソルを無暗矢鱈と追いかけて来る流れ星が飛び出て来たり、今から思えば頭の痛くなる代物だ。

けれど恐らく同じような方向に中二病を拗らせたと思しき固定の閲覧者が何人か付いてくれた。HPには「前略プロフィール」のリンクが設置してあり、閲覧者がときには感想を書き込んでくれていた。そして私もお礼参りよろしく閲覧者のHPに訪問しては御為ごかしを書き込んだ。

 その閲覧者の中の一人が香織だった。

「素敵な文章だと思います!ちょっと泣いちゃいました。」

「今日は何だかオチが弱かったですね。笑」

 更新する度に色々とコメントを書き込んでくれていたので、自然と彼女を意識して文章を書くようになっていった。

 チャットルームに誘って話してみると、彼女も同い年で同じようにして鬱屈した中学生活を送っていることが判った。私たちが意気投合して、実際会ってみようという話になるのに、時間はそうかからなかった。

 彼女は千葉の下房総、館山に住んでいた。私の住む神奈川の横須賀は、丁度東京湾を挟んで対岸にある。その道程は中学生の身に余りに長く、何か冒険のように感じた。

初めて彼女に会う日、乗りなれない路線のバスに乗り込み、フェリーで海を渡り、一時間に一本もない房総線を待ち、やっと館山に辿り着いたとき、既に私はくたくただった。

しかし待ち合わせ時刻になっても、彼女は姿を見せなかった。当時私たちは携帯を持っておらず、待ち合わせ自体不確かなものだった。駅構内の指定された場所、予め伝えた服装、何も間違っていないはずだ。そして徐々に、不安な気持ちが膨らんで来た。

彼女だって女の子なんだ。ニキビだらけの顔を見て、失望するのは寧ろ当然のことだと思った。そして実際に私のことを見て、そっと今日の約束を忘れることにしたのだろう。

そっか、そうだよな。

でも、あと15分だけ待ってみよう。それで来なければ、一人で観光して帰ろうと思った。

途端に泣き出したい気持ちになって来た。

とそのとき、「あの。」と声を掛ける女の子がいた。

「香織です。」

とその子は名乗った。初めて会った彼女は身長が高くて、笑顔の可愛らしい女の子だった。そして彼女が微笑むのを見て、「花のように笑う女の子だな。」と思った。

そしてその日、彼女の住む館山の町をただただ歩き回るだけのデートをした。不安だった私のニキビ面も、彼女は気にするそぶりもなく受け入れてくれた。

二度目にあったとき、私たちは付き合うことになる。それは初めてのカノジョだった。

そして毎日電話をするようになり、月一くらいで会いに出かけた。

私たちは色んな話をした。好きな小説の話、勉強の話、公立中学校の粗野な同級生に馴染めない話や、ささいなことまで。

 私たちは同類で、彼女のことが好きだった。

 高校生となった私は、バイクの免許を取ることにした。

 公共交通機関を使って館山に通っていたけれど、房総線は本数が少なく、一度でも乗り過ごすと1時間以上待ち合わせに遅刻してしまう。そんなことが何度かあって、辟易していた。それにバイクがあれば、色んなところに彼女を連れて行けると思った。バイクの背に彼女を載せて海辺を走るような、そういう青春に憧れていた。

16歳の誕生日と共に免許を取得し、知り合いから400ccの中古バイクを譲り受けた。

 それから月に二、三度、まだ外の薄暗い時間から、早起きしてバイクを暖気した。

 コーヒーを飲み、パンを頬張り、精一杯髪型を整髪剤で整えた。結局ヘルメットで潰されてしまうのだから、意味なんてないのに。

 港からフェリーに乗って東京湾を渡り、対岸の浜金谷港から長い長い海岸線をひたすら南下する。片道2時間半の道程だ。夏は暑くて、潮風が肌にまとわりついてベタベタしたし。冬は寒くて、指先にはヒビが入った。だけど彼女に会えるのだから、そんなことは全く苦にはならなかった。

そうして私たちは色々な場所へ行った。

 初めてのカラオケ、水族館や東京観光、行き先も決めずにただ彷徨ったこともある。

 千葉鴨川シーワールドで、シロイルカのぬいぐるみが付いたストラップをお揃いで買った。それは高3の終わりまで付けていたから、真っ黒になってしまった。

 海辺の天気は変わり易くて、天気予報を確認してもよく雨に降られた。雨の道路は、マンホールが良く滑る。慎重に二人乗りのバイクを操作し、やっと彼女を家に送り届けてから、また二時間半かけて帰宅する。

 そんなデートの翌日は、二人でよく風邪をひいた。そんなときは二人で学校を休み、ずっと電話で話していた。喉の枯れた声を二人で笑い合った。私の人生はこれで良いと思った。二人で過ごす時間より大事なものなんてこの世界には無いことを、私たちはよく知っていた。

手を繋ぐこともキスすることも、そしてセックスも、全部彼女だった。

 彼女の家は貧しく、海辺のバラックのような借家に住んでいた。トイレは汲み取り式だったし、クーラーもついていなかった。両親は大抵仕事で家を留守にしていたから、雨の降っているときは彼女の家に避難して過ごした。

 湿った毛布に二人でくるまって、ただただ時間が過ぎるのを待った。

ビタビタと雨音が天井を打ち、見上げると蜘蛛が巣を作っていた。目を閉じて胸に顔をうずめる彼女を抱きながら、その蜘蛛から目が離せなかった。

 隙間風が音を立てて家に吹き込み、不安な気持ちになる。孤独な世界に遭難して、ただ二人きりの生存者だ。

 彼女を離したくない、と確かにそう思っていた。

 高校二年の終わり頃、軽音楽部の同級生がライブをするというので誘われ赴いた。住宅街の真ん中にある小さいライブハウスだ。同級生と話しながら開場を待っていると、彼女から電話がかかってきた。

 電話を取ると、無言のまますすり泣く声が聞こえ、「どうしたの?」という問いかけにも、香織は暫く何も言わなかった。

 私は香織が何か言うのを辛抱強く待った。すると一言、

「あのね、わたし、レイプされた。」

 と口にするのだった。その一言で、周囲の音が失われてしまった。

ライブハウスの目の前に、大きな用水路が流れている。住宅街を割って東京湾に繋がるその用水路の向こうに、大きな赤い夕陽が静かに落ちていった。

覚えているのはその光景だけで、自分が何と応えたのか、よく覚えていない。ただ、総毛の逆立つような憎悪が心身を駆け巡るのを感じた。

感じたが、しかし私はそのまま同級生のライブに参加し、フェリーに乗り込み彼女の元に駆け付けようとはしなかった。

 その日から、彼女は人が違ったようになってしまった。手首を切ってはその写メを送ってくるようになり、そして会う度に狂ったようなセックスを求めるようになった彼女に、心が醒めていくのを感じた。彼女の抱える怒りや悲しみに巧く寄り添うようなこともできなかった。

 結局、都合5年付き合って関係は終わった。最期は彼女の浮気だった。

 私は自分自身をいざとなったら何でもできる男だと買い被っていた。彼女をレイプした相手の男は、彼女の高校の学生だった。だから居場所だって簡単に判ったはずだ。しかし私は、後日復讐の為に殴り込みに行くようなことさえしなかった。それは私が、いざとなっても法を犯せない去勢された男だということを身に染みるには十分すぎる出来事だった。

 こんな思いをしたのだから、この遣り切れなさを何かに換えなければ割に合わない。もしこの世に神か何かがいるのなら、私にそう命じているのではないかと思った。そうでも思わなければ、とても苦痛を受け容れることが出来なかった。

 そして法律家を志すようになった。法学部に進学し、法科大学院に進学し、いつか香織のように苦しみを抱えた誰かに寄り添うことができるような人間になりたいと思った。

 力が欲しい、知恵が欲しい。大事な人を理不尽に傷つけられないような、そんな能力が欲しいと願った。

 しかし結局、そんなものは存在しはしないのだと判っただけで、私は法律家になることはできなかった。

 そして未だに彼女が無理やり犯される悪夢を見る。それは見たはずのない光景だ。その度に、傷跡が消えていないことを確認するのである。

 ただ、こんな何億年も前の話は、今となっては思い出して胸が痛むようなことさえない。

 レイプされたのは自分自身じゃないし、あれからもっと酷く凄惨な話は他にいくらでも見聞きした。ただ若く幼い心には、少しだけ耐えきれなかったというだけの話だ。

 23歳のある日、香織と再会しカフェで食事をした。能力が足りなくて、司法試験を諦める。その報告をするためだ。

「ごめん、おれ、法律家になれなかったよ。」

 と告げると、彼女は、

「あんなの全部ウソだよ。もしかして信じてたの?損したね。」

と嗤った。香織は垢抜けていて、美しい女に成長していた。

「だからもう自分の人生を生きて、幸せになって。」

大学卒業後、彼女は非正規の仕事を転々とした。大抵は接客業だった。

奨学金を返済しながら非正規の仕事で一人暮らしは覚束ず、彼女は家族と一緒に松戸の狭いアパートに家族4人で引っ越していた。

 彼女のお父さんはうつ病になり、お母さんは地元で美容室を開いていたけれど、経営がうまくいかなくなり、新興宗教にはまった。

 香織のお母さんはしっかり者だったけれど、「物事はかくあるべき。」という思い込みの強い人だった。いつかは戸建ての家を持ち人並み以上になりたい、とそういう思いで身を粉にして働いてきた。

 しかし旦那である香織のお父さんがうつ病で働けなくなり、同時に多額の借金が発覚した。その上、自分の美容室も畳むことになり、何もかもが思い通りにならないと思い知ったとき、依り代を現実の世界には見出せなくなってしまった。そうして、楽ではない暮らしの中から多額の金銭を宗教に拠出するようになっていった。

 しかし地獄の沙汰も金次第である。彼女の一家は仕事を求め、田舎の館山から都市部の松戸へと移住した。

そして彼女もまた、決して多くはない収入の殆どを母の信仰心に吸い上げられていた。

「今、通関士の勉強してるんだ。親がとれっていうの。」

私が就職してから数年して、香織から私の職場の近くの会社に転職することになった、という報告を受け、会って食事をすることになった。

 まだ資格は取れていなかったけれど、勉強中だと面接で言ったところ、神田駅の近くにある貿易関係の会社で事務職員として採用されたらしい。

「おめでとう、あとは合格するだけじゃん。」

 新しい仕事は給与も中々悪くなかった。となれば、これで実家を出ることが出来れば上々だと思った。就職祝いに、彼女にロクシタンのハンドクリームをプレゼントした。

「本当に優しいね。ちゃんと見て貰えたら、きっと好きになってくれる子が現れるよ。」

 その頃、婚活をしていた私は、毎日のように街コンや合コンに顔を出していた。けれど中々良い返事を聞けず、空振りが続いていた。そのことを実家の母親よろしく言及する香織に、私は、

「うるせえよ。」

 と返事をした。

 だけど、彼女は転職してから3か月持たなかった。

 接客業に慣れてしまっていて、オフィスワーク特有のぎすぎすした人間関係や、書類の不備を重箱の隅を突くように指摘されるような神経質さに耐えられなかった。

 退職日、神田駅のカフェで食事をし、経緯を一通り聞かされた。やつれ塞ぎ込む彼女に、私は何も言えなかった。長い沈黙のあと、彼女が口を開いた。

「私なんかにご飯も奢って、プレゼントまで渡して、本当に損したね。あなたの人生って、いつもそんな感じだよね。そういうとこが気に入らない。だからダメなんだよ。」

後日、思い立った私は、有休を取って数年ぶりに彼女の故郷、千葉の館山を訪問していた。彼女の実家だった借家は、彼女の言う通り空き家となっていた。廃墟同然となった海辺のバラックの壁に貼られた「空き家」の紙が、海風に揺れていた。

 これは墓標だと思った。

 彼女と私は、ここで永遠にまつわる約束を沢山した。若く幼い、友人の少ない孤独な二人だったから、本当に滑稽なくらい清い約束をしたのだ。

 大人になり、それらが決して果たされることのないモノなのだと頭ではわかっていたけれど、それでも私はそれを後生大事にしていた。空手形でも、そういう約束をしてくれた人が確かに居た、というただそれだけのことが、この世界のどこかに再び自分を深く愛してくれる人がいるのではないか、という希望になっていた。

 けれども、館山の海辺で思い出の墓標を目の当たりにして、心の中から何かが失われてゆくのを感じた。

 翌年、再び香織から連絡が来て、錦糸町の居酒屋で食事をした。

 彼女はネットのアプリで知り合った4歳年下の美容師と結婚することを決めていた。婚約者はまだ専門学校を出たてで、金がなかった。

「ねえ、50万円貸して。ちゃんと働いてるじゃない。独り身なんだから、今お金なくても平気でしょ?「私たち」は、今必要なの。」

 そうか、そういうことも言われるようになってしまったのか、と思った。

しかし相変わらず異性の愛を得ることに空回りして、私の貯金の殆どは相手にしもしないような女達の臓物の中に消えてしまっていた。

「実はおれ、全然お金ないんだよ。婚活が上手くいかなくて、余裕ないんだ。」

 と正直に打ち明けると、彼女は呆れた顔をするのだった。

「そうなんだ。なんか情けないね、ほんと。なら働かない方がいいじゃん。」

 その一言に、図星を突かれたと思った。

 満員電車に揺られ、誰にでもできる仕事をして、家に帰る。ご飯を食べ、寝て、また会社にでかける。上司に怒鳴られたって、別に死ぬわけじゃない。

 だけどふと考える。「一体、何の為にこんなことをしているんだ?」

ただただ時間が流れ出てゆくのを待つだけの、寧ろどちらかといえば苦痛寄りの人生に、一体何の意味があるんだろう。

 解っていた。自分には理由が必要なのだ。

「私は●●の為に生きているんだ、実存なんて問うな!」

 この答えが欲しかった。伴侶、子供、名誉、娯楽、なんでもいい、誰かに言い訳をしなければいけない。しなければ、もう人生の無味乾燥さに耐えられない。

 彼女の一言は、言葉にしないことですんでのところで踏み止まっている私の背中を、トン、と押し出す無情に聞こえた。

食事の帰り道、彼女とは同じ路線だった。けれど、

「少し見て回りたいから。」

とウソをつき、改札で彼女を見送った。一刻も早く独りになりたいと思った。

そんな私の姿を見て何かを感じたのか、

「ねえ、死んだりしないでね。」

 と彼女は言った。顔をあげると、彼女が私を見据えていた。目と目が合い、時間が止まったと思った途端、彼女は踵を返し改札の中へと消えて行った。

 後ろ姿を見送った後、コンビニで買ったチューハイを飲みながら一駅分歩いた。

 彼女の言う通り、なんて情けないんだろう。情けなくて、どうしようもなくて、何度も立ち尽くした。余程おかしな顔をしていたのかもしれない。すれ違うホスト達の高笑いが、私のことを嗤っているようで、その声が頭に響いていた。

 それから2年の月日が経った。

台風15号が、千葉の館山を中心に猛威をふるい、その惨状を伝えるニュースがしきりに報じられていた折、香織からLINEに電話が掛かって来た。

「元気でやってる?私、いま静岡にいるんだ。」

 彼女の話によると、どうやら高校時代一緒に過ごしたあの海辺のバラックは、台風で完全に大破し、何もかも風雨に洗い流されてしまった。私たちの思い出には墓標さえ与えられなかった。

「実はね、子ども生んだの。見に来て欲しい。あなたには沢山酷いことをしてきたけど、嫌な感じで終りたくなくて、だから良かったら。」

「別に、もう良いよ。そんな昔のこと。

「あ、お金も借りる用事ないから、安心して!」

「それ自分から言う?本当に自分勝手なやつだよ。」

 ふふふ、と笑う彼女の声の中に、付き合っていた頃の優しい響きを思い出した。学生の頃、彼女はひたすら優しかった。

 遥々バイクで来た私に、弁当を作ってくれたことがある。それが美味しかったことを思い出した。だから多くを望み過ぎず、物事がうまく転がり続けさえすれば、きっと良いお母さんになれるはずだ。まあ、それが一番難しいのかもしれないけれど。

「わかった、会いに行くよ。いつにしようか。」

 彼女の町をグーグルマップで調べると、私の家から、ちょうど2時間半かかることが判った。「2時間半もかかるんだ、結構遠いなあ。」と思って、気が付いた。そうか、2時間半って、結構遠いんだ。昔のおれ、何往復したんだろう。偉かったなあ。

 静岡行の在来線に座り込むと、初めて館山へ行った日のことを思い出した。

 直接会いに行ったってまた傷つくだけかもしれない。けれど、それでも彼女の幸せそうな顔を一目で良いから確かめたいと思う。

 彼女が微笑んで暮らしていたら良い。そうしたら、その笑顔みたいに私の人生もいつか花開く日が来るんじゃないかって、私たちの人生はそういう仕組みに出来ているんじゃないかって、少しだけ、信じられそうな気がするから。

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