第23話 女たちの戦い
しばらく楽しんだ後、アサヒたちは公園の端の方に座り、休憩していた。
さっきまでレナの相手をしていたはずのミコトはまたもや姿を消している。どうやらマヒルたちと合流するのは断固拒否する姿勢のようだ。
「────さて、じゃあそろそろお昼にしましょうか」
マヒルは持って来ていた袋から、食料を取り出す。兵士に支給されている者は第八区の住人であるアサヒたちが受け取っているものよりも数段グレードが上だ。質は良いし、量も多い。味や栄養も優れている。
「アサヒ君とレナちゃんも食べていいわよ」
「え、俺たちもいいのか?」
「もちろん。ちょっと多めに持って来ているから、遠慮なく食べて」
シェルターを守る兵士たちが空腹では、部隊の士気に関わってくる。マヒルたちには優先的に食料が供給されているはずなので、多少の余裕もあるらしい。
「あれ? これ支給品じゃないよな?」
「ちょっとだけ手を加えてあるわ。料理は私の趣味なのよ」
「料理?」
「支給品ばかり食べていると、飽きちゃうでしょ? だからあるものでちょっと味を変えるのよ」
アサヒにとって料理とは、生肉に火を通したり、野菜を千切ったり、果物の皮を剥いたりする程度の作業を指す言葉だ。
ミナの家に居た時に多少は料理を習ったが、食材に余裕はなく、調味料や調理器具も大して揃っていなかったので、普通に食べられる物にさらに何か手を加えてみようという発想はない。
料理という概念を理解していないということはないが、食べられるならそれ以上加工する必要はないと考えるタイプなので、味を気にしたことはないし、飽きたと感じたこともない。なので支給品を料理するというのは新鮮に思えた。
「うおおおお‼ 待ってました‼」
レイジは両手を天に突き上げながら飛び跳ね、全身全筋肉全細胞を用いて喜びを表現する。
「テメェは食うんじゃねぇぞ⁉ 全部俺のモンだ‼」
「レイジ。私は……アサヒ君にも食べて欲しいのだけど」
「遠慮なく食え‼ 遠慮したらブッ飛ばす‼」
「……方針転換が急すぎないか?」
「うるせぇ。勘違いするなよ? マヒルはお前のために作って来たんじゃないんだからな? 俺のために作って来たんだからな?」
「それはそうだろ。俺たちはここで偶然出会ったんだから、事前に準備なんてできるわけがない」
勘違いしようのないことで念を押され、アサヒは眉をひそめる。万が一、事前に公園へ来ることが知られていたのだとすれば、不気味すぎてのんびり昼食を取っている場合ではない。
「と、とりあえず食べてみてもらえる? できれば感想を聞かせてほしいわ」
「感想か……俺はそんなに気の利いたことは言えないぞ? 大体何を食べても同じような味にしか感じないし」
「美味しいか美味しくないかぐらいの感想でいいのよ。そんなに細かい評論を求めているわけではないわ」
「なるほど、まあそれぐらいなら……」
アサヒの前に並べられているのは、二つに切り分けられたパンの間に、数種類の野菜を挟み込んだものだ。
「サンドイッチよ。食べたことある?」
「いや……初めて見る。なるほど、こうやって挟めば携帯するにも便利だし、手早く食べられるというわけか」
アサヒとレナは、それぞれ自分の一番自分の近くにあったサンドイッチを手に取り口に入れる。
「────あれ? こんなところで何してるのかな?」
その直前、不意に背後から声をかけられる。驚いたアサヒは、半分口に入れていたサンドイッチを吐き出してしまった。
「やあやあ、お久しぶり~」
そこに居たのは赤月サヨだ。最近配給所へ行っても出会うことがなく、顔を見ていなかったが、こんなところで遭遇するとは。
「……お前、なんだ急に」
「えぇ? いやいや、偶然見かけたからさ。声をかけようって思ったわけ。ほら、だってあたしらの仲でしょ? 見かけたのに挨拶もしない方が不自然じゃない?」
いつの間にそんなに親密になったのか。時々配給所前の通路で顔を合わせるだけの仲のはずだが、サヨとしてはアサヒを親友みたいなポジションに収めているのかもしれない。
「にしても……」
「ん? 何かな?」
「いや……何でもない」
顔を少し横に向ければ、鼻息がかかりそうなほどの距離にサヨの顔がある。アサヒは背筋を走り抜ける悪寒を押し殺し、平静を装った。
(全く気付かなかった……)
いつ襲撃を受けてもおかしくない環境に長く身を置いていたアサヒは、周囲に忍び寄る気配には敏感だ。ただの通行人ならともかく、声をかけるつもりで近づいてきた相手に気づかないというのは、今までにあまりないことだった。
(鈍ってきてるのかな……平和ボケってやつか)
この五年間、襲撃とは全く無縁の生活を送って来たのだ。危機を察知するセンサーのようなものが機能しなくなっていてもおかしくない。
それにしてもまさか、何の技術もないはずの素人に、耳元まで顔を寄せられておきながら気づかないとは。
別に平和に慣れることは悪いことではないが、自分の能力が落ちていることを実感するのは少しショックだった。
「えっと、アサヒ君。その子は?」
マヒルは昼下がりの団欒に突如割り込んで来た少女の正体を尋ねてくる。挨拶もなくいきなり入って来られて、心なしか迷惑そうだ。
「こいつは赤月サヨ。ちょっとした顔見知りだ」
「どーもどーも、で、そういうそっちは何者?」
「境界警備隊のマヒル。それと、隣にいるのがレンジだ」
「レイジだ‼」
レイジは、幸せそうな顔でサンドイッチを頬張る手を止めてまで、名前を訂正してくる。
「ふぅ~ん、まあ、男の方はどうでもいいんだけど」
「んだとコイツ‼ どうでもいいってことねぇだろうよ⁉」
「え? どうでもいいでしょ。あたしに何か関係あるの?」
なぜかサヨは初っ端から喧嘩腰だ。表情自体は穏やかなのに、声は低く、臨戦態勢に入っている。
「おい、なんだこの女。ムカつくんだが。お前が責任もって何とかしろ」
「そう言われても……」
アサヒにも、サヨのことはよくわからない。サヨの方からはやたらとフレンドリーに接してくるが、アサヒにはそんな親密になるような心当たりはないのだ。
初めて会った時からいきなりこんな調子で、馴れ馴れしかった気がするのだが、まさか出会った人間全員とそんな風に接しているわけではあるまいし、アサヒだけを特別視する理由は謎である。
「それより、その食べ物は何? 誰が作ったの?」
「私が作ったのよ」
「へぇ~ふぅ~ん、そうなんだ。君が作った物を、アサヒが食べてたってわけね。なるほどなるほど、よくわかったよ」
何がよくわかったというのか、サヨからはメラメラとおどろおどろしいオーラが立ち昇り始める。
「……アサヒ、レナもうちょっとミコトと遊んでくる」
「えっ……あ、ああ、おう。わかった」
危険を察知したのか、レナは立ち上がってサッサと走り去って行った。どこかから隠れて様子を伺っているはずのミコトのもとへ向かったのだろう。その判断は賢明かもしれない。
「私からも質問していいかしら?」
「別にいいけど?」
「あなたはアサヒ君とどういう関係なの? 顔見知りということだったけれど、具体的には?」
「そんなこと、君に説明する必要があるの?」
「質問してもいいと言ったじゃない」
「答えるとは言ってないよ」
二人の少女は互いに睨み合い、眼力で火花を散らし合っている。その戦場から弾き出されるように、アサヒとレイジは肩を寄せ合っていた。
「おい、マジでお前がなんとかしろよ。この場をどうにかできるのはお前だけだ」
「なんでだよ、俺にはどうにもできないぞ」
「なんでかわからないのか? じゃあやっぱりお前のせいだな」
「……どういうことだ?」
「いいか? わからないなら教えてやる。お前はあのサヨとかいう女と仲良くしていればいいんだ。わかったか? わかったよな?」
「全然わからん……」
同年代の人と交流したことがほとんどないアサヒにとっては、ここは未知だらけの空間であると言える。
サヨが急に首を突っ込んで来た理由も、マヒルがムキになっている理由も、レイジがアサヒを責めている理由もわからない。
「アサヒ、あんまり人からもらった食べ物を口に入れない方がいいよ? 何が入ってるかわからないんだから」
「なっ……私が毒でも盛るっていうわけ⁉」
「とにかく、アサヒに手を出すのは良くないよ。この子は私が先に唾をつけておいたんだからさ。誰にも渡さないよ」
「おい、待て。いつ誰がお前の物になったんだ」
「いいじゃん。どうせそう遠くない内にあたしの物になるんだからさ」
段々眩暈がしてきた。もう話についていけそうもない。さらに面倒なことになる前に退散することにしよう。
アサヒはそう考え、静かに腰を上げる。レナもこの場を離れたことだし、アサヒがここに留まる理由も特にない。
「どこに行くのさ」
「ん? そろそろ帰るんだよ。ちょっとこの後用事があるのを思い出した」
「嘘ばっかり。どうせ暇なくせにさぁ」
「……なぜ一秒もかからず見抜けるんだ」
「うーん、表情かな。君って嘘吐く時ちょっと口角が下がるよね」
このままここにいると、ボロボロと色々な物が露呈していく気がする。これはもう一刻も早く帰った方が良さそうだ。
「あ、そうだ。実はね、今日あたしがここに来たのって偶然じゃないんだよ」
「……は?」
アサヒが足を止めて振り返ると、サヨは楽しそうに笑った。
「それだけ~じゃ、また後でね。あたしはちょっとこの子ともう少しお話していかないといけないからさ」
「奇遇ね、私もいくつか聞いておきたいことがあるのよ」
二人の争いがここからさらに激しさを増していきそうだ。アサヒはその勢いが本格化する前に逃走するべく、レナを探して小走りで立ち去るのだった。
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