第21話 キャッチボール
涼しい顔をしているが、アサヒは内心動揺していた。滝のように冷や汗が流れ、意識して抑えつけていないと全身が小刻みに震え、タップダンスを始めそうになる。
「アサヒ、どうしたの?」
神妙な面持ちで仁王立ちするアサヒのズボンを、レナはその小さな手で握りしめて引っ張る。
「いいか? レナ、お前に言っておかなくてはならないことがある」
「……何?」
「絶対に本気を出すなよ。そーっとやるんだ。力はちょっと入れるだけでいい。とにかく慎重に慎重を重ね、その上に慎重を塗りたくって慎重で蓋をするぐらい慎重に手加減するんだ」
「どういうこと?」
狼狽えすぎていて何を言っているのかわからないアサヒに対し、レナは残酷なほど素直に首を捻る。
六歳の彼女にはまだ、普段通りでないアサヒを心配し、気を利かせて察してくれるような機転はない。わからない時はわからないというだけだ。そんな子供特有の素直さが、隠し事をする上では致命的なのである。
「誰にも言ってなかったんだけどな。実は、レナはスポーツの天才なんだ」
「すぽーつの天才?」
「そう、軽くやっただけでも、大人よりすごい結果を出してしまうんだ。そんなところを見せたら、すぐに大人たちが集まってきて、注目されることになるだろ? そうしたら俺たちが一緒に居られる時間も減っちゃうかもしれない」
「それはヤダ!」
「だったら、なるべく軽くやるんだ。レナの才能は、ここぞって時まで隠しておかないとな」
レナは納得したようで、大きな声で返事をした。これだけ言いつけておけばよほど大丈夫だろうが、そう簡単に安心はできない。
「えっと、じゃあ何をしましょうか。飛んだり走ったりはまだできないから、キャッチボールなんてどうかしら?」
「きゃっちぼーる?」
「そう、ボールを投げて遊ぶのよ」
マヒルは、布切れを紐でグルグルに巻き、球状にしたものを取り出す。事前に用意していたということは、最初からそのつもりでここに来ていたのかもしれない。
「まずはこのお兄さんと一緒にお手本を見せるから、よく見ててね」
「おぉ⁉ お兄さんって俺か⁉ 俺のことか⁉」
指名されて嬉しいのか、レイジは大はしゃぎしている。感情が何から何まで全部言葉と顔に出る男だ。
「じゃあ、行くわよ?」
「おっしゃ来いやああああぁぁぁぁぁぁっ‼」
凄まじく気合の入った声が響いた後、マヒルの投じた山なりのボールがレイジの胸元に収まる。
「ナアァァァァァァァァァァァァイスゥボオォォォォォォォォォォォォォォル‼」
「……うるさいわね」
レイジの謎のハイテンションはともかくとして、二人は淡々とキャッチボールをこなしていく。
境界警備隊に所属し、最前線でステップと戦いながら今日まで生き残ってきただけあって、運動神経は抜群だ。ちょっとキャッチボールするだけでも、それはよくわかる。
投じたボールは全て相手の胸元へ、相手へ投げ返すべく投球モーションに入るのも素早い。精密かつ、俊敏な動きだ。
スポーツの文化はすっかり廃れてしまい、誰かに教わった経験など一度もないだろうに、ここまで洗練された動作ができるのは素晴らしい。
アサヒは、内心で二人のキャッチボールを素直に称賛していた。身体能力という意味では絶対に負けないが、技術的な面ではノーマルとステップにハンデなどない。
むしろ日頃からきちんと訓練を受けている分、マヒルたちの方が体の動かし方というものを知っていることだろう。
たかがお遊びのキャッチボールだが、全身の筋肉を無駄なく使い、効率的に強い力を生み出す一連の動作には感動すら覚える。キャッチボールが上手いかどうかという事自体はどうでもいい。大切なのは、体を操作する技術の方だ。
以前戦った赤髪の男は、力こそ強かったが動きはメチャクチャだった。動きは読みやすく、隙だらけで、反動も一切気にしない。能力こそ強力だったが、強敵とは言い難い相手だった。
ここの兵士たちは、圧倒的な戦力差を埋めるべく努力している。一度戦ったアサヒだからこそ、その練度の高さは知っている。そんな地道な努力が、こういうちょっとした動作から垣間見えるのだ。
「さて、そろそろわかったかしら? 投げて、取って、投げ返すだけでいいのよ。簡単でしょう?」
レナはまだ警戒を解くつもりはないようで、アサヒの足にしがみついたままだ。とても一緒に遊べるような感じではないが、キャッチボールは相手と一定の距離を取ったままやるものなので問題ないだろう。
「レナ、できるか?」
一応アサヒが確認すると、レナは顔を隠したままではあるが、こくんと頷いた。
「いいか? 絶対本気でやるなよ? 軽くだぞ?」
「わかった」
短くそう返事をすると、レナはアサヒから一歩だけ離れ、ボールを受け止める姿勢に入った。
「じゃあ、いくわよ? ────それっ」
さっきよりもさらに山なりに、ふんわりと投じられたボールが、レナの胸元目掛けて飛んでいく。レナはそれを両手で抱きしめるようにキャッチして抑え込んだ。
「そう! 上手よ!」
褒められたレナは、不安そうな顔でアサヒの方を見る。
散々脅してしまったので、褒められることが良くないことだと思ってしまっているようだ。
今の動きはどこからどう見ても、六歳の少女が一生懸命ボールに食らいついている姿そのもので、微笑ましい限りだった。今のでステップだと見抜かれることなんてあり得ない。
(キャッチボールは初めてで、技術は全くないわけだし、そう心配する必要はなかったかもな)
アサヒは親指をグッと突き立て、それで良いと伝える。
いくら身体能力が高くとも、技術は未熟で、手足は短いのだから、アクロバティックなことができるわけでもない。念には念を入れておくことが重要とはいえ、レナにとっては初めての運動だ。もうちょっと素直に楽しませてあげた方が良かったかもしれない。
「さあ、じゃあ今度は、それを私に投げてみて。大丈夫。ちゃんとキャッチするから全力でいいわよ?」
「全力で……?」
レナはボールを右手に握りしめ、肩を大きく後ろに下げる。
「……ん?」
その動きに不穏な気配を感じたアサヒが一声かけようとしたが、時既に遅し。
レナはまだ、人を疑うということを知らない。アサヒは本気を出すなと言うだけでなく、周りの人間の言うことは聞くなということも教えておくべきだった。
「えいっ────」
不格好でぎこちない投球モーションから放たれた一球は、風を切り裂く音と共に弾丸のような軌道を描いて突き進む。
「えっ」
そんな布の弾による狙撃は、悠々と構えていたマヒルの額に直撃。その後、彼女の体を5メートルほど吹き飛ばしてしまった。
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