第三章
第20話 地下の公園
本来、子供を遊ばせようと思ったら、広い草原なんかを裸足で駆けまわらせるのが一番なのかもしれない。しかしこの極寒の世界ではそんなこと、夢のまた夢だ。
代わりというわけではないが、第二層には軽い運動ができる施設がある。トレーニング施設とでも言うべきか、この狭苦しい第二層において、一般人が縦横無尽に駆け回れるほぼ唯一の場所だ。
レナの体調を伺いながら慎重にタイミングを計り、三人はそんな場所へとやって来ていた。
ここには大した設備はないが、どの区画の住人であろうと無制限に入場できて、使用料を必要としないので、気軽に利用することができる。
しかし二層の住人は大半が肉体労働に従事しているので、わざわざ自主的に運動をしようと考える人は少ない。制限がかかっていないのもそれが理由だ。ただでさえ少ない利用者を、より一層減らすようなことはできない。
そのため、この施設はいつ来ても使いたい放題だ。入場無制限とはいえ、本来想定された用途外での使用は禁じられているし、第八区以外の住人も来るので極端に治安が悪化することもない。子供を遊ばせたいのなら、うってつけの場所である。
「初めて来たが……思ったよりも広いな」
あくまで思ったよりもだが、それなりのスペースが確保されている。地下に住むようになってから、こんな解放感を覚えたのは初めてだ。
天井には太陽光を再現した蛍光灯が組み込まれており、農業施設に使われている物の劣化版ではあるが、太陽の温かみを疑似的に体験することができる。
床に敷いてあるのは人工芝だ。本物の芝生を知る人間がいないので、ただの緑で柔らかいマットという、芝生と呼ぶには少々品質の低いものではあるが、固い床が剥き出しになっているよりは良い。
「アサヒ、ここどこ? 何するの?」
「ここは公園だ。今日はちょっとスポーツでもしようかと思ってな」
「すぽーつ?」
初めて聞く単語に、レナは興味半分困惑半分といった顔をしている。
「体を動かすってことだ」
「ふぅん……どんな?」
「どんなって、どんなだ?」
アサヒはレナから投げかけられた質問を、そのまま隣に立つミコトへと投げつけた。
「ふぉおふふぉおふうふふふふぉ」
ミコトは頭全体をマフラーでグルグル巻きにしており、その隙間から目だけが見えている。口が完全に覆われているので、声が籠って聞き取れない。
「お前、さっきから何やってんだ?」
アサヒにそう言われたミコトは、当たりをキョロキョロと見回し、ビクビク肩を震わせながら慎重に口元のマフラーをずらす。
「私は一応、五年前に死んだことになっているんです。万が一にも、私のことを知っている人に出くわしたら一大事じゃないですか。そのまま芋づる式にアサヒ様のこともバレるでしょうし、私はステップをシェルターに引き込んだ大罪人として追放されてしまいますよ!」
「それは……まあ、そうかもしれんが、そこまでする必要があるのか?」
シェルターの中とはいえ、寒い時は寒い。防寒具をつけること自体は、何も珍しくない。ただ、いくら何でもマフラーを頭に巻き付けているのは不自然だ。あからさまに目立っていて、正体を隠すには逆効果である。
「部屋の外に出るのは久しぶりで……ひええぇ、なんか見られてますよぉ。やっぱり怪しまれているのでしょうか……?」
「間違いなく怪しまれてるだろうな」
ただでさえおどおどしていて挙動不審なのだ。その上奇妙な格好までしていれば注目の的になるのは当然。
五年前はアサヒにシェルターでの常識を教えていたミコトだが、しばらく部屋に籠っている間にすっかり立場が逆転してしまった。
「ミコト、顔を隠すのは良いんだが、もう少し自然にやってくれないか」
「し、自然に……ですか? ですが、少しでも顔を見せるのは危険では?」
「五年前に死んだ医者の顔なんて誰も憶えてないだろ。それも、一日しか勤務してなかったんだろ?」
「そ、そうですが……で、でも、万が一ということも……死んだことになっているとはいっても、私の適当な偽装なんて怪しまれていても不思議じゃありませんから」
「だとしても、兵士の連中に見つからなければ大丈夫だろ。一般人がそんなこと知っているわけないんだから」
医者という貴重な人材が不自然に失踪したのだから、捜索対象になっている可能性は否定できない。それを懸念して、この五年間ミコトはほとんど潜伏先の部屋から出なかった。
しかし、もう五年も前の出来事だし、指名手配されているわけでもないのだから兵士でない限り知り得ない情報だ。境界警備隊や階層警備隊に見つからなければそれでいい。
兵士だらけの一層や三層入口付近に近寄るのは危険かもしれないが、ここはただの公園なのだから、兵士と遭遇する心配などする必要はない。
「────あれ? アサヒ君?」
「あぁん⁉ テメェ! あの時の‼」
そう楽観的に考えていたアサヒに、今一番会いたくなかった知り合いたちが声をかけてくる。
「……二層で会うなんて珍しいな。マヒル」
私服姿を見るのは初めてで一瞬気が付かなかったが、そこに居たのはマヒルとレイジだった。ここで無視をするわけにもいかないので、渋々応じることにする。
「おい、テメェ。俺にはノータッチか?」
「えっと……名前が出てこない。マヒルファンクラブの会長だよな?」
「そんな組織はねぇよ! 変な覚え方してんじゃねぇ‼ 俺はレイジだ‼」
鋭い歯を剥き出しにして威嚇してくるレイジから目を逸らす。凶暴な彼は、目が合うだけで襲ってきそうな恐ろしさがある。
「こんなところで何をしてるんだ?」
レイジとの会話を回避するように、アサヒはマヒルに話題を振った。ただ、マヒルに声をかけた瞬間レイジの放つ剣呑な空気がより一層鋭くなったので、これはきっと悪手だった。
「リハビリ中よ。前の戦いの怪我がようやく治ってきたから、そろそろ体を動かしておこうかと思って。仕事に早く復帰するために、体力を落とさないようにしてるの」
「もう治ったのか? まだあれから一月も経ってないだろ?」
「完治はしていないわ。あくまで、体が動かせるレベルになったというだけよ」
それにしたって異常な回復力だ。ステップなら一日も経たずに回復したとしてもおかしくはないが、ノーマルの彼女からすれば一生歩けなくなるかもしれない重傷だったはず。
それをこの短期間で治してみせたというのだから驚きである。この世にステップという存在がいなければ、繰上りで怪物と呼ばれていた逸材かもしれない。
「わかったか? わかったら邪魔にならない内にどっかに行きやがれ」
会話が途切れたとみるや、すかさず割り込んで来て、敵意丸出しの言葉を吐き捨てるレイジ。その剣幕には、アサヒも圧倒されるばかりだ。
「……お前、なんでそんなに俺への当たり強いんだよ」
「わからねぇのか?」
「ああ、わからないな」
「だったら! やっぱりお前は俺の敵だ‼」
「えぇ……?」
「いいか? よく聞け? マヒルに手を出す奴はただじゃおかねぇ! 例え相手が高身長ハイスぺイケメンであろうと! シェルターの支配者であろうと! ステップであろうと! 誰であろうとだ! わかったか⁉ このボケが‼」
鼻先で怒鳴られ、マシンガンの如き猛烈な勢いで唾が飛んでくる。どうやら相当恨みを買ってしまっているらしい。心当たりもなく、境界警備隊の一員から恨まれるというのは厄介な話だ。
「それで、そっちは何を?」
「ん? ああ、俺は……」
振り向くと、そこには足にピッタリと引っ付くレナの姿しかなかった。いち早く危険を察知していたのだろう。ミコトは影も形も残さずどこかへ消えてしまっている。
「……遊びに来たんだ。妹とな」
アサヒとミコト以外の人間に会うのはほとんど初めてであろうレナは、アサヒの足に顔を埋めたまま動こうとしない。そんな彼女を安心させるべく、アサヒはいつも通り髪飾りの少し上を撫でてやる。
「へぇ、妹がいたのね。可愛い子じゃない」
「テメェ……卑怯だぞ……⁉ 妹なんて盾にされたら、手出しできねぇ……クソ!」
レイジは悔しそうに地団太を踏み、マヒルは興味深そうにレナの顔を覗き込む。隙間なくアサヒにくっついているので顔は見えないはずだが、マヒルは満足げに口元を綻ばせた。
「ああ、そうだ。良かったら一緒に遊ばない?」
「えっ」
「その方が楽しいと思うわ。小さい子の相手をするぐらいなら、リハビリにも丁度いいと思うし」
「い、いや、でも」
「何か問題があった?」
アサヒは答えに困る。問題なら大アリだ。まだ幼いとはいえ、レナは紛れもないステップ。単純な筋力や反射神経なら、余裕でマヒルを上回っている。
何より、レナはその力を隠さねばならないということを理解していない。本気でやらないよう充分に念を押すにしても、リスクは拭いきれない。
しかし、馬鹿正直にそう伝えるわけにもいかず、かといって他に断る理由も思いつかない。下手な理由をでっちあげれば、横の狂犬が即座に噛みついてくることは想像に難くない。
「あぁ……えっと……悪いんだけど……」
「おい、まさかとは思うが、マヒルの誘いを断ろうってんじゃねぇだろうな⁉」
「……じゃあ、是非とも一緒に……」
「あぁ⁉ テメェ、マヒルは今忙しいんだよ‼ 手ェ出すんじゃねぇ」
正解がわからない。この厄介さ、音もなく姿を消したミコトの判断は正しかったということが証明されてしまったわけだ。
「レイジ君、少し静かにしてもらっていい?」
「おう! そうだぞ! 静かにしてろ!」
「……いえ、あなたに言ってるのよ?」
「そうか! 俺に言ってるのか! じゃあ静かにするしかないな! そうだろ?」
噛み合っているのか噛み合っていないのかよくわからないやり取りの末、レイジは口をつぐんで大人しくなった。邪魔者はいなくなったとばかりに、マヒルは改めてアサヒに向き直る。
「それで、どうかな?」
「……仕方ないな。一緒にやろう」
その笑顔の奥に秘められた有無を言わさぬ無言の圧に屈し、アサヒは提案を受け入れてしまうのだった。
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