第13話 偶然の出会い
気づけばそこは丸太を組んで作られた小屋の中だった。暖炉から放たれるオレンジ色の温かい光が部屋全体を照らしていて、緩やかな時の流れを創り出している。
アサヒの体はベッドの上にあった。こんなまともな寝具で目覚めることなど一体いつぶりだろうか。もはや彼の記憶にはないぐらい昔のことであるということは確かだ。
そしてベッドの傍らには薄い青の長髪が鮮やかで、擦り切れかかったボロボロのシャツの上に布切れ一枚を羽織った、十代後半ぐらいの女性が座っていた。
髪が青いので目立たないが、青色の髪飾りをつけている。花を模ったかなり凝った装飾であり、みすぼらしい服装とはミスマッチにも感じられる。
「ここは……?」
「あたしの家さ。半日ぐらい前に、地べたで転がってるあんたを見つけてね。家の前で死なれても気分が悪いから運んでやったのさ」
あたしの家、という言い方からしても、やはりここは一軒家なのだろう。洞窟の中を壁で仕切って部屋を作ることはあったが、こんなに立派な家を見る機会はなかなかない。
太陽が失われる前から気温の低かった地域では、寒さに強い建築技術などが残っていて、このように家で暮らしている人もいる。
略奪に遭いやすいという難点はあるが、洞窟とは比にならないほど快適に過ごすことができる。
アサヒはずっと洞窟育ちではあったが、襲撃を避け、各地を転々とする中で、このような建物を見た経験があったので驚くことはなかった。
「生きてる……のか」
運が良いのか、あるいは悪いのか。何にせよ、ここが死後の世界だとは思えない。この温かみは間違いなく生きている証だった。
「腹減ってるだろ? これ食いな」
彼女はそう言って、焦げ茶色の丸い物体を突き出してくる。
「……これは?」
「パンだ」
「パン……?」
「なんだ。パンを知らないのか? 相当遠くから来たらしいね」
アサヒにはそれが何かわからなかったが、食べ物であるらしいということだけはなんとなくわかった。そしてそれさえわかってしまえば、食事を要求する本能を抑えつけておく理由もない。
一体何十日ぶりの食事だろう。全身のエネルギーは完全に空になっていて、肉体を構成する全細胞が食料を欲していた。それらがもう一秒も待てぬとせかすので、アサヒは勢いよく一口で半分ほど齧り取る。
「がっつくねぇ。ま、遠慮せず食いな」
彼女は他にもいくつかパンが入ったカゴをアサヒの前に差し出す。
「……おいしい。これは一体……?」
「どうやって作ってんのかとか、詳しいことはよく知らないけどね。菌がどうたらとか小麦がどうたらとか言ってたけど、あたしにはピンとこない」
「小麦……? これは何かを加工して作ったものなのか?」
「ああ、そうらしいよ。この近くのシェルターで作ってるんだ。元々はノーマルが住んでたんだけど、今はステップが占領しててね。そこから少し分けてもらってるんだよ」
結局あっという間にパンを全て食べ尽くし、アサヒは満たされた腹を軽く叩く。死んでも良いと思っていたはずなのに、まだ生きられるとわかった途端この食欲だ。そんな都合の良さには自分でも呆れる。
「あんた、歳はいくつだ?」
「多分、十」
「一人でここまで来たのか?」
「……ああ」
「仲間はいないのか? 家族は?」
「死んだ」
「……やれやれ。やっぱり厄介者だったか」
彼女は深いため息を吐きながら頭を掻く。しかしアサヒをベッドから引っぺがそうとしたり、追い出したりするようなことはなく、穏やかな口調で質問を続けた。
「名前は?」
「……え?」
「あんたの名前だよ。わからないわけじゃないだろ?」
「……アサヒ」
「アサヒか。あたしはミナ。んで、そっちがレナだ」
「そっち?」
ミナが指差した方向を見ると、小さなゆりかごのような物があった。そこでは生後間もないであろう赤子が穏やかな寝息を立てながら毛布にくるまっている。
「あたしの子だよ。まあ……仲良くしてやってくれ」
「仲良くって……」
「行く当てもないんだろ? しばらく置いてやるって言ってんだよ。一度拾っちまったもんには責任持たなきゃならないだろ」
「いいのか……?」
「子供が遠慮するもんじゃないよ。それに、死ぬもんでもない。ほら、食べる物はまだまだあるし、好きなだけ食いな」
彼女はさらにカゴを取り出す。そこにはまだまだ大量のパンがあった。
満たされたと思っていた腹に隙間があることに気が付く。躊躇う間もなく、アサヒはパンに笑えるほどみっともなく貪り付き、次々と口の中に押し込んでいった。
固い歯ごたえを感じつつ、顎を全力で酷使して噛み砕いていく。味は良いのか悪いのか全くわからない。まともな食事を取ることなど久しぶりなのだ。舌も久々の出番にやや働きが鈍っているらしい。
「喉に詰まらせるんじゃないよ? 別にパンは逃げたりしないんだからもっとゆっくり食べれば良い」
「うぐっ!」
言われたそばからパンが喉に引っかかり、慌ててミナから水をもらって流し込む。
「ぷはっ! うおお……思ったよりも喉にへばりつくなこれ……」
「だから言ってるだろ。ゆっくり食べな。せっかく助けたのにこんなしょうもないことで死なれたらあたしだって気分が悪いよ」
確かに、せっかく助けてもらっておいて、その上食事まで出されておきながら、その食事を喉に詰まらせて死ぬなど、さっきまで死を受け入れていたアサヒといえど流石に死に切れない。
今度は一つ一つ手に取り、一口サイズに千切って食べてみた。今日初めて目にする食べ物ではあったが、しっくりくる感覚がある。恐らくこれが本来の食べ方なのだろう。
「それにしても、本当にこんなにもらってもいいのかよ」
「いいって言ってるだろう? 遠慮する必要はない」
「でも、俺に返せるものなんて何もないぞ」
アサヒは自分の手を見つめる。
命を救ってもらったところで、その恩に報いることなどできやしない。むしろ自分がここにいることで発生するリスクならいくらでもある。
「そんな話はひとまず置いておくとしてさ。それよりあんた、彼女いんの?」
「…………は? なんて?」
脈絡も何もない質問に、アサヒは素っ頓狂な声をあげながら思わず聞き返す。
「だから女はいんのかって聞いてんのよ。子どもは?」
「いるわけないだろ⁉ 十歳だぞ⁉ それに……色々あって、今まであまり一か所に長期間留まることがなかったんだ。彼女どころか知り合いすらいないよ」
「へぇ、つまりボッチってわけね」
「ボッ……まあ、そういう言い方もできる……かもしれない」
不満のある括りだが、間違ってはいない。もう少し格好良く言うのであれば天涯孤独の身というやつだ。
「気になる子とかもいないわけ?」
「いない。そもそも、恋愛なんてそんな下らないことしてる暇ないだろ」
「へぇ~昔のあたしと同じようなこと言いやがる」
何か嫌なことでも思い出したのか、ミナは苦い顔を浮かべた。過去の自分のことはあまり好きではないみたいだ。
「後悔するよ~そうやって若い時に斜に構えて『へっ……恋愛なんて……下らねぇ』みたいなスタンスでいると、年取ってギリギリになってから慌てることになるんだから」
「いや、俺は一生そんなつもりないし」
「ほら出た! やれやれ、未来のことなんて何もわからないのにそんなこと言っちゃうからなぁ。若さという資本の有難みがわかっとらんのだよ君は」
「なんだその喋り方は。年寄り臭いな」
「まあまあともかく、あんまり若い内から色々諦めるもんじゃないってことをあたしは言いたいわけよ。わかる?」
ミナはそう言ってアサヒの頬をつつく。
戦争を運ぶ死神と呼ばれ恐れられた男も、ここではまるで子供扱いだ。そして不思議とそれは悪い気分ではなかった。
「俺は別に……諦めてるわけじゃない。元々興味がないんだ。他人には」
「ふぅん……他人に興味がない……ね。ま、そこら辺は個人の自由だけどさ。ここにいる以上はせめてあたしとあの子ぐらいには興味を持ってほしいね」
「それは……もちろん。恩もあるし」
あれだけあった食料を食べ尽くしてしまったのだ。近くにシェルターがあると言っていたが、それでも食料に困っていないわけではないはず。施しを受けた分、何か返さなくては気が済まない。
「ほほう、恩ね。なるほどなるほど、恩返しをしてくれるつもりはあるわけだ」
ミナは自分の顎を擦りながら、ニヤニヤと笑う。どうやらアサヒの口からその言葉が出てくるのを待っていたようだ。
「だったら、仕事を手伝ってもらおうかな。子供を産んだばかりで色々辛くてね。人手があると助かる」
「……そんなことでいいのか?」
「そんなこと? 何言ってんだ。あたしはレナの面倒をみるから、あんたには家事と食料調達と襲撃の警戒、その辺全部やってもらうからね」
「あ、ああ、それは……いいんだが……」
つまりそれは、しばらくこの家に置いてもらえるということだ。それのどこが恩返しだというのだろう。さらに恩を重ねられているようなものじゃないか。
「ま、待ってくれ。俺をここに置くのはやめた方がいい」
「あぁ? なんだ? 今さらやっぱやりたくないって? そんならさっき食べたパン全部返してもらおうか?」
「いや、そうじゃなく、俺を狙っている奴らが……」
「問答無用だよ! あんたにはしばらくここで働いてもらう。いいね!」
「でも……」
「いいね!」
「で──」
「い・い・ね!」
「う…………」
どうやら何を言っても無駄そうだ。少しでも拒否する素振りを見せると、即座に声を被せられてしまう。
「…………わかった。パンの分のお礼はする。雑用でも何でも引き受ける」
ミナに押し切られるような形で、アサヒは首を縦に振った。これほど力強く迫られては、そうせざるを得なかった。
「ああそう、それじゃあ、これからよろしく」
強引に引き出したその答えを聞き、ミナは満足げな笑みを見せる。
他人の笑顔なんて見たのは一体いつ振りだろうか。そんなに屈託の無い純粋な顔を見せられては、なおさら断れなくなる。
そう長居しなければ、大丈夫なはずだ。アサヒはそう自分に言い聞かせ、この家にしばらく泊めてもらうことにした。
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