第二章

第10話 三人の共同生活

 二層は居住区や農業区、工業区など様々な区画に分かれている。一般的に人が住むのは居住区だが、さらにその中でも細かい区分けがあり、簡単に言えば職業ごとに住む区画が分けられている。


 替えの効きづらい業務を担当している人々は若干待遇が良く、風呂やトイレなどの設備が比較的整っていて、食料が足りなければ追加で支給してもらえることもある。

 反対に、誰でもできるような簡単な作業を担当している者たちの生活環境は、シェルター内で最も悪い。言ってしまえば、死んでも構わない奴らという評価なので、とにかく扱いが雑だ。


 アサヒの住む第八区がまさしくそういう区画である。配給が速い者順なのは彼が住んでいる第八区だけであり、他の区画はちゃんと全員分の食料が用意されている。

 それに、住人が無法者だらけなのも、ここの特徴だ。空腹は人を凶暴にし、秩序を失わせるのか、それともそういう犯罪者崩ればかり集めているからなのか。恐らくは両方だろう。


 他の区画も安全とは言えないが、第八区は飛び抜けて治安が悪い。今すぐにでも引っ越したいところだが、外部から侵入したステップであるアサヒが誰にも気づかれることなく溶け込むには、この無法地帯が最も都合が良い。

 隣の部屋の住人がある日突然入れ替わっていても誰も気にせず、何人か住人が消えていたとしても誰も気づかない。


 これぐらい他者に無関心な社会でなければ、アサヒはあっという間に正体を看破されていただろう。五年も潜伏し続けるなんて不可能だった。

 そういう意味では、ここの荒れっぷりも住めば都というやつなのかもしれない。それに、どれだけ荒れていても外での生活よりは百倍マシだ。


「ただいま……」


 アサヒは予定より大幅に遅れ、自室へと戻った。肉体的な疲労はなかったが、精神的な疲労は甚大だった。帰宅の挨拶にも覇気がない。


「おかえりなさい!」


 そんな彼を明るく出迎えたのは幼い少女だ。長い髪をなびかせ、ぶかぶかのシャツをスカートのごとく揺らしながら、とたとたとおぼつかない足取りでアサヒに駆け寄り、飛び込むように抱き着く。


「ただいま、レナ」


 アサヒは少女を優しく受け止めつつ、前髪にとめられた青い髪飾りの、少し上あたりを撫でる。これはアサヒが戻った時の恒例行事だ。


「ちゃんと大人しくしてたか?」

「むぅ、それいつも聞くじゃん。レナ、もうちゃんとお留守番できるって!」


 レナはふくれっ面になり、アサヒの胸に顔を押し付けた。


「そうか。そうだよな、レナはもう六歳だもんな」


 改めて頭を撫でてやると、レナの表情が綻ぶ。すぐに機嫌が悪くなったり、良くなったりするところは実に子供らしい。


「あ、あのっ」


 レナの後ろから、一人の女性が心配そうに声をかける。長い黒髪は顔のおよそ半分を覆っており、片目がその後ろに隠れてしまっている。声は微かに震えていてどこか自信なさげだ。

 サイズの大きい白衣を身に纏っているが、その上からでもわかるほど主張の強い胸部が彼女の動きに合わせて上下する。


「き、今日は遅かったですね。警報も鳴りましたし、何かありましたか?」

「ああ、タイミング悪く襲撃があってな」

「も、もしかして……た、戦ったんですか?」

「ああ、どうも境界警備隊は万全じゃなかったみたいだし、防衛線を維持できるか不安だったんでな」

「それで、えっと、どうなったんですか?」

「ん? ああ、敵は倒したぞ。もう心配ない」

「そう、ですか……流石はアサヒ様ですね……」


 アサヒの答えを聞き、彼女はホッと胸を撫で下ろしたような、あるいは浮かない顔でため息を吐いたような、そのどちらとも取れない複雑な表情で俯く。


「ミコト……前から言ってるが、その様付けはやめてくれ」

「ひ、ひいいいぃぃっ……ごめんなさい! い、命ばかりはお助けを……」


 アサヒが苦い顔で注意すると、彼女は白目を剥き、泡を吹きながら、額を床に擦り付けた。

 彼女は安杖あづえミコト。アサヒと、レナと、ミコトの三人は、シェルター第二層八区の一室で共同生活を送っている。


「あぁ……えっと、大丈夫だ。別に怒ってるわけじゃないし……やっぱり、お前の好きなように呼んでくれていい」

「ほ、本当ですか⁉」


 ミコトは勢いよく顔を上げ、目を宝石のように輝かせる。今年で二十歳を迎える彼女だが、感情の起伏はレナ以上に激しい。一緒に暮らし始めて五年になるが、一向に慣れることはできずにいた。


「ほら、今週分の食料だ。いつも通り、レナを優先しつつ二人で食べてくれ。俺の分は最低限でいい」

「かしこまりました。アサヒ様のご命令なら従いますが……一人分の食料を削り始めてから一年ほど経ちます。体調の方は大丈夫ですか?」

「俺は平気だ。空腹には慣れてる。二人暮らしってことにしてるのに、三人分の食料を持って帰ってるところを見られると厄介だからな」

「えと……赤月サヨ、でしたか? 頻繁にアサヒ様に声をかけてきて、探りを入れて来るとか……」

「雑談の延長であって、別に深い意味があるわけじゃないとは思うんだがな」


 この第八区の住人は、他人に徹底して無関心だ。だからこそ、アサヒもシェルター内に潜伏できているわけだが、何事にも例外がある。

 一年前から顔を合わせるようになったサヨは、アサヒを見かけるたびに話しかけてきて、飽きることなく会話を広げようとしてくる。


 ミコトがここに居ることは秘密にしなくてはならないので、レナとの二人暮らしということにしてあるのだが、それで三人分の配給を持ち帰っていたら不審に思われることだろう。

 必要以上の食料を持ち帰れば、他の住人から恨みを買うことにもなる。他人に関心のないここの住人達も、流石に食料のこととなれば黙ってはいられない。

 二人暮らしのくせに三人分食べていると吹聴されでもしたら、襲撃されることだって考えられる。そうなれば、もうここでは暮らしていけない。


「……まあ、用心するに越したことはない。本当にヤバくなったら、その時はちゃんと言うから。俺のことなんかより、レナの体調の方が大事だ。病気は順調に良くなってるんだよな?」

「はい、少しずつですが回復傾向にあります。まともな薬もない中でこの経過は素晴らしいです。流石はステップの子ですね」

「そうか、それなら良かった」


 視線を落とすと、そこにはポカンとだらしなく口を開けつつ、あどけない目でアサヒを見上げるレナの顔がある。


「どうかしたか?」

「レナ……お腹すいたかも」

「わかりました。では、さっそく朝ごはんにしましょう」


 小さな手で腹部を擦るというレナのいじらしい懇願に、ミコトが応じる。袋の中から全ての食料を取り出して並べ、一週間の配分を考え始めた。

 配給は一週間に一度なので、早く食べ切ってしまえば後半は地獄だ。毎週末になると、区内では必ず食料を巡っての小競り合いが起こり、数名の餓死者も出る。


 ミコトはそうならないよう、アサヒが配給を受け取り損ねた場合のことまで考えて配分を計算している。彼女が居なければ、週末の食料戦争にアサヒも参戦しなくてはいけなくなっていたことだろう。

 戦って勝つのは造作もないことだが、正体がバレてしまうことは確実だ。トラブルは徹底的に避け、戦闘行為に参加することのないようにしなくてはならない。


「……今週は、少し量が減りましたね。不作が続いているのかもしれません」

「一年中安定して作物を育てられるシステムがあるはずだろ? そんなに量が上下するものなのか?」

「太陽光を疑似的に再現し、室温を細かく調整しても、収穫量を完璧に制御することは難しいです。四層の方はわかりませんけど、二層の畑は設備の老朽化も激しいようですから、なおさら安定しないのでしょう」

「地下に畑を作ってると聞いた時は、とんでもない技術だと思ったんだけどなぁ。そう上手くもいかないわけか」

「そういえば、外の世界にも畑はあるのですか? 光と水と適切な気温がないと作物は育たないと聞きますが……」

「あぁ……外にも一応畑はあるが……」


 記憶をまさぐりながら質問に答えようとしたところ、ミコトは首がもげそうな速度でブンブンと頭を下げた。


「も、申し訳ございません! き、聞かれたくなかったですよね! 外の話なんて今までほとんどされませんでしたもんね! わ、忘れてください!」


 そんなことはないと言う暇もなく、凄まじい速度で一方的に謝罪した後、ミコトは自分の作業に戻ってしまった。

 仕方がないので、アサヒはレナを抱きかかえたまま部屋の奥まで歩き、ベッドに座る。


 部屋はベッドを二つ並べればそれだけで大半のスペースが埋まってしまうほどの広さだ。レナがまだまだ小さいとはいえ、三人で暮らすには手狭である。

 ベッドの間に置かれた棚に食料を備蓄し、ついでにテーブル代わりにして食事をするなどして、スペースを有効活用しているが、レナもアサヒもミコトも成長するので年々狭苦しさを強く感じるようになってきた。


 特に三人で二つのベッドを使わなくてはいけないというのはそろそろ無視できない問題になってきている。

 かといって、引っ越しなどできるはずはない。最も手っ取り早く解決する方法となれば、自分が出て行くことか……と、アサヒは考える。


 だが、それでは約束を果たせない。レナが一人前になるまで面倒を見るのが、アサヒに課せられた役割だ。他の何を犠牲にしようとも、それだけは守り通さなくてはならない。


「────はい、準備できましたよ!」


 三人それぞれに朝食が行き渡り、ミコトはパチンと両手を合わせる。

 配給品は調理など必要なく、そもそも調理場などないので、配分さえ決まってしまえばすぐに食べられる。


「ねえねえ、アサヒ。本読んで!」


 すぐさま朝食に入ろうかというタイミングで、レナが棚の中から一冊の本を取り出した。

 本と呼ぶにはあまりにも不格好な、ボロ布を寄せ集めて強引に本の形状に収めたような奇妙な代物だが、このシェルター内では貴重な娯楽の一つだ。


「おいおい、お腹すいてたんじゃないのか?」

「うぅん、本が読みたい!」

「仕方ないな……でも、その前にご飯食べてもいいか? そうしないと、お腹すいちゃって上手く本が読めそうにないんだ」

「むぅ……じゃあ仕方ないから、ご飯食べよ!」


 レナはやや不満そうにしながらも、むしゃむしゃと自分の分の朝食を頬張る。そんな様子と、アサヒの顔を交互に見て、ミコトはくすくすと笑う。


「な、なんだよ」

「いえ、子供の扱いがお上手になられたなぁ……と」

「うるさいな……なんか恥ずかしいだろうが」

「恥ずかしがることありませんよ。褒めてるんですから」


 そうは言いつつ、ミコトは緩んだ口角を戻そうとはしない。アサヒは照れ臭いようなむず痒さを感じつつ、ほんの一口分しかない朝食を口の中に放り込んだ。

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