第2話 シェルターの朝

 両脇に無数の扉が並ぶ、長い長い通路。壁や天井はどこもかしこも似たようなデザインで、まるで迷路のような様相を呈しており、歩いているのにまるで一歩も進めていないかのような錯覚に陥る。

 辛うじて目印となるのはあちこちに染みついた汚れだけだ。撃ち込まれた銃弾やこびりついた血しぶき、嘔吐物を擦り付けたような跡などは、独特の模様を成しているので慣れていれば現在地の把握は容易い。


 それに、今は同じ方向に向かう人が大勢いるので、迷えという方が難しいだろう。


 時刻は午前七時。陽山アサヒは出発の遅れた自分を恨みながら、早歩きで通路を進んでいた。


「────やっほー、アサヒ」

「サヨか」


 背後から小走りで駆け寄ってきて、気さくな挨拶をしてくる少女に、アサヒは素っ気なく答える。


「相変わらず冷めてるねぇ。もしかしてあたしのこと嫌い?」

「好きでも嫌いでもないかな」

「おやおや、興味がないと。そりゃ残念。あたし、これでも美少女を自負してるんですけどねぇ」


 ニマニマとした笑みを浮かべながら、やや鬱陶しく絡んでくるのは、アサヒより二回り以上小柄で、黒髪の少女だ。

 尖った目と、緩んだ頬によって作り出される表情は非常に挑発的で、他人を小馬鹿にしているような印象を受ける。


 彼女の名前は赤月サヨ。アサヒと同じシェルターに住む少女である。


「あ、そっか、君はロリコンだったね。あたしは守備範囲外か」

「誰がロリコンだ。俺はどちらかといえば年上派だ」

「ふーん、じゃああたしでもいいじゃん」

「何を言ってる。お前はどう見ても年下だろ」


 アサヒは改めて彼女の顔や、体格を確認する。どこからどう見ても、年上だとは思えない。恐らくは十四歳前後ではなかろうか。


「あれ? 君いくつだっけ?」

「俺は今年で十六だ。多分」

「十六⁉ ありゃりゃ、老け顔だからもっと上かと思ってたよ」

「うるさいな。年相応の顔だろ?」

「いやいや、その顔面で十代はないね。若く見積もって二十代前半ってとこかな」


 そんなに老けて見えるのか、と不安になったアサヒは自分の輪郭をなぞるように手を当ててみる。

 確かに若々しい顔ではないかもしれないが、老け顔というほどでもないはずだ。サヨが適当なことを言ってるだけに違いない。


「ちゃんとご飯食べてるの? 食べないからそんな老けるんじゃないの?」

「必要な分はちゃんと食べてるぞ」

「どうせ妹にばっか食べさせて、自分はあんまり食べてないでしょ? そういうの駄目だよ? 栄養が偏ってたら体を壊すよ?」

「だから、食べてるって」

「信用がないんだよ。君にはね。そんなんじゃ、子供もできずに死ぬかもよ?」

「子供なんて作る気はない」


 キッパリとそう言い切ると、サヨは首を横に振りながらため息を吐いた。まさしく呆れ顔である。


「ま、自分の生活さえギリギリなのに、そんなこと考えていられないっていうのはわかるけどね」

「それ以前に俺は子供が嫌いなんだ。生活に余裕があったとしても、子供が欲しいとは思わない」

「ええ? 何言ってんの? 君は子供大好きなロリコンでしょ?」

「違うって言ってるだろ。なぜそうも俺をロリコン扱いしたがる」


 やや食い気味に強く否定しておいた。事実無根な噂を立てられてはアサヒとしても困る。根拠もなく変態であるかのように扱われるのは不本意だ。それでもサヨは疑念の視線を緩めようとはしない。


「どうだかねぇ。毎週ちゃんと人数分の食料を確保してるはずなのに、どうも君はあんまり食べてない気がするからさぁ。あたしの中で、妹に自分の食料まであげまくってる疑惑があるんだよね」

「……だったらせめてシスコンと呼んでくれ」

「えぇ……やっぱ君、気持ち悪いねぇ」

「ロリコンよりはマシなだけだ。シスコンと呼ばれたいわけじゃない」


 そんな雑談をしながら、二人はシェルター第二層にある配給所前に来ていた。今までずっと一定の幅だった通路が急に広くなり、目の前には巨大なホールの入口が見えてくる。


「これまた随分と人が多いな……」


 中は同時に千人入っても大丈夫なほど広いはずだが、推定一万を超える人々が雪崩れ込み、凄まじい大混雑になってしまっている。入り口には完全に人が詰まってしまい、もはや一歩進むのにもどれだけ時間がかかるかわからない。

 流れが止まるのを防ぐため、入り口と出口は別にしてあるのだが、出口の方から入ろうとする不届き者が決して少なくない数いるようで、この人混みの原因になってしまっている。


「もうちょっと人間が減るといいんだけどねぇ」

「物騒なことを言うなよ……」

「列に並んで、順番を守って受け取りに来れば、こうしてすし詰めになることもないのにさぁ」


 ごった返す人の山を見ながら、サヨは吐き捨てるように言う。その言葉にはあからさますぎるほどの侮蔑が込められていた。


「この区画には戸籍の無い人間が大量に居て、五層の老人たちもそれを黙認してるんだ。どうやったって配給品の数は合わなくなる。そもそも量が全く足らないしな。食料供給を増やすつもりもないみたいだし、早い者勝ちになるのは必然だ」

「引換券的なものを作ってさ。全員に均等に配ればいいんじゃないの?」

「他の区画ではそうしてるらしいな」

「じゃあなんでここではしないの?」

「ここの秩序なんかどうでもいいからだろ。そんなことにコストをかけるぐらいなら一層の防衛に手を回したいんじゃないか?」


 二人は改めて、目の前の集団を見つめる。


 他人を踏み越えて進む人、子供や女性を引きずり倒して割り込む人、人の流れに逆らって入り込もうとする人。譲り合いの精神など腐り果てた自己中心的な人たちが数えきれないほど視界に入る。


 そんな彼等を取り締まるための武装兵もいるにはいるが、ここに配置されているのは見たところたった五人だけだ。

 五人で一万の人間の流れを制御できるわけがない。むしろ下手に刺激し、装備している銃や特殊なスーツなどを奪われる方が遥かに厄介だ。

 なのでよほどのことがない限り彼らは動かない。多少のルール違反程度で口を出してくることはない。


 この無法地帯が、ちょっとやそっとで改善されるはずもなく。もしここに秩序をもたらしたければ相当な手間と費用と時間が必要だ。そんなことをしている余裕はこのシェルターにはない。

 無法者は一か所に集め、周囲の守りさえ固めてしまえばとりあえず安全を確保することはできるというのが、下層に住む人々の判断だ。そしてそれは非常に合理的である。


「というか、俺も戸籍ないからな。配給券なんて作られたら困る」

「無秩序なままの方が都合がいいってわけね。やっぱここってクソだねぇ。あたしらでこっそり別区画に引っ越しちゃう? それか、三層に行くとか?」

「……下の階層に移動できるのは、選ばれた人間だけだぞ」

「いや、だからさ、そこはこうちょちょいのちょいっと」


 サヨは両手を握りしめ、シャドーボクシングをしてみせる。問題を武力で解決しようという意思表示だ。


「無理に決まってるだろ……」


 彼女のあまりの無謀さ、血気盛んさに、アサヒは堪らず嘆息する。もちろん、本気で行動に移すつもりがないのだとしても、そういう不穏当な発言をすること自体あまり褒められたことではない。


「そう? 意外となんとかなるんじゃない?」

「ミサイル撃ち込んでも破れない分厚いゲートと、完全武装の階層警備隊を突破できるならどうぞご自由に。そんなことしても、軍人だらけの三層で指名手配されるだろうから、落ち着いた生活なんてできないけどな」

「ご自由にってさ……あたしに死ねってこと? そこは俺も一緒に行くぜって言ってくれないとさ」

「なんで俺がお前と心中しなくちゃならないんだ。俺はレナの世話をしなくちゃならないんだよ。こんなところで死ねるか」

「あ! ほらほらほら! やっぱりロリコンじゃん!」

「だからシスコンと呼べ! ……いや、シスコンも嫌だけど!」


 二人が下らない言い争いをしている内に、入り口に殺到する人々は更に勢いを増している。さっきよりも人が増えてしまったらしい。


「まったく、無駄話はもうやめだ。サッサといかないと食料がなくなる」

「ここで食べ物が手に入らなかったら、ちょっと危ない業者から仕入れないといけないもんねぇ。ロリには安全な食べ物だけを食べさせてあげたいよね」

「当然だ。ヤバイ薬でも混ざってたらどうする」


 サヨの軽口を、アサヒは一切の間もなく肯定した。その反応速度には、サヨも感心した様子で頷く。


「うーん、お兄ちゃんの鑑だねぇ。格好いいねぇ」

「馬鹿にしてるのか?」

「まさか、尊敬してるんだよ」


 サヨは口角を吊り上げながら、絶対に心にも思っていないことを言う。毎度のことなので、もはや苛立ちもしない。


「俺は行くからな。お前の分は取ってきてやらないぞ」

「心配ご無用。この環境で独り暮らししてんだよ? あたしの生存力舐めたらあかんぜよ」

「……なんだその語尾は?」

「うん? あたしもそろそろキャラを変えていこうかと。どう? 可愛い?」

「いや、全然……」


 アサヒの冷めた回答に、サヨは両頬をぷくっと膨らませて、わざとらしく怒りを露わにした。その一連の動作すら、アサヒは視界に入れていない。


「はぁ~あ、からかい甲斐のない子だよ。今日のところはもういいや。じゃ、あたしがお先にー」


 そう言ってサヨは、背中越しにひらひらと手を振りながら人の密集地へと突っ込んでいき、あっという間にその姿は人に埋もれて見えなくなった。

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