ソリティア・ソレイユ

司尾文也

本編

第一章

第1話 もう一つの太陽

 この世で最も信頼できるものは光である。反対に、この世で最も信頼できないのは闇だ。

 光は真実を写し、闇は真実を覆い隠す。また光には温かさが、闇には冷たさが内包されていて、やはり人間は前者を好み、後者を敬遠する。

 即ち光の届かない、闇に包まれた世界というのはまさしく地獄と形容するに相応しい環境であり、あらゆる人間が忌避すべき対象であろう。


 しかし、避けられない現実というものもある。それを教えてくるのは、皮肉なことにこの世で最も信頼できるはずの光だ。酸いも甘いも、光はことごとく正直なのだ。


 ────見上げてみれば、今日も変わらず分厚い雲が空を覆っている。昼でも夜でもお構いなしに、世界は漆黒に塗り潰されている。

 太陽光が地上まで到達しないので、地球は極寒の世界と化していた。何もかもが凍り付き、大地を白く染め上げている。

 無機質な氷以外、何一つ存在しないのではないかと思うほど、孤独で静かで真っ暗な色の無い世界。


 ────そんな世界を、少年は一人で歩いていた。


 その日は猛烈な吹雪だった。

 視界の全てが白で染まり、右も左もわからなくなってしまうホワイトアウト。体は半分以上雪に埋まってしまい、一歩進むだけでも一苦労。

 少しでも動きを止めればすぐに肩や頭にまで雪がのしかかってきて、吹きすさぶ寒風と相まって今にも押し潰されそうになる。

 

 そんな中、少年は防寒具を一切身に着けておらず、コートすら着ていない。あろうことか薄っぺらいシャツ一枚という、この吹雪の中ではあまりにも場違いな軽装だった。

 だが彼は寒がるような素振りすら見せることなく、確かな足取りで、一歩、また一歩と進んでいく。


 彼の上に積もった雪は、一瞬の内に水蒸気と化していた。足元の雪もそう。彼が踏んだ場所はあっという間に白い絨毯が剥がれ落ちる。

 全身から熱気が迸っていて、それがこの地獄のような寒さを打ち消すどころか、さらに余りある熱を漲らせていた。


 少年は背中の大きなリュックを気にかける。


「────もう少しだ」


 軽く首を捻ってそんな声をかけつつ、彼は再び目線を前に向ける。

 それはほとんど独り言のような声であり、自分自身に言い聞かせているような言葉だった。


 少年がさらにもう一歩足を進めると、白い闇を切り裂くようにして、辺りにけたたましいサイレンが鳴り響く。


 少年の目の前には真っ黒な壁がそびえ立っていた。全てをかき消そうとする白の世界においてもその壁は全く自己を損なうことはなく、絶対的な自信を持ってそこに君臨する。そして接近する者に牙を剥き、威圧的に道を阻む。


 二つの世界を仕切る巨大な要塞はこの日も休みなく役割を遂行しており、蟻の一匹すらも通さないとばかりに睨みを利かせていた。


 全てを拒む鉄壁にとっては少年も例外ではなく、侵入を企む者を消し去るべく内部では慌ただしい動きが起こっていた。

 百を超える足音が壁の中を走り回り、それぞれの持ち場へとつく。そして各々銃を構えて、その銃口を少年にピタリと合わせる。


 少年はその気配を敏感に察していながらも、穏やかに白い息を吐くばかりで慌てることはない。正面の要塞から無数の銃口が、今まさに自分を狙って引き金が引かれるその瞬間を待っているというのに、心臓の鼓動にはいささかの変化もない。壁が見えても、攻撃態勢が整えられても、その律動は乱れない。


 少年は足を止める。


 気を整えるように深く息を吸い、そして吐く。すると彼の周囲の雪が全て一瞬にして蒸発し、辺りを覆っていた白い枷を解いた。


 少年は正面に向けて手をかざす。


 直視できないような眩しい光がその手に宿り、周辺一帯の天候を激変させるほどの膨大な熱が集まっていく。


 この超常現象を傍観しているはずもなく、要塞の兵たちは一斉に引き金を引いた。だが少年目掛けて飛来する無数の弾丸も、彼が放つ熱を前に形を保っていられない。空中で溶解し、気体と成り果てて殺傷力を失う。

 そしてある程度離れたところで吹雪に当てられて急激に冷やされ、また元の性質を取り戻して地面に落ちる。


 まさしくそれは熱の障壁だ。近づくものは全て蒸発させ、有無を言わさず消滅させる。それほどの灼熱を持った光が、彼の右手から放たれていた。


 そんな光は盾としての役割を果たしつつ、徐々に形状を槍へと変化させていた。絶望の音が聞こえてくるほどの圧倒的なエネルギーを有した光は少年を睨みつけていた無数の兵たちの目を焼き、体を炙る。


 その理不尽なまでの光と熱は、まるでとうの昔に人類が忘れてしまったあの天の恵みのようで。


 ────この日、この地には確かに、もう一つの太陽が存在していた。

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