約束の異世界

武蔵野純平@蛮族転生!コミカライズ

第1話 俺は異世界から来た

「うるせえな! 静かに並んでろよ!」


 近所のコンビニで、俺は前に並んでいる小汚いジジイを怒鳴りつけた。


 今日のコンビニの店員さんは、六十過ぎのおばあちゃん店員だ。

 一生懸命レジ打ちして袋詰めしてくれているけれど動きは遅く、順番待ちの列はどんどん伸びている。


 俺はじっと静かに順番を待っていた。

 いや、だってしょうがないだろ?

 おばあちゃん店員だって、一生懸命やっている。


 しばらくすると俺の前に並んでいた小汚いジジイが怒鳴りだした。

 待つ事に耐えられなくなったんだな。

 カップ酒と安い総菜を抱えて、ブツクサブツクサと一人で文句を言っていると思ったら、おばあちゃん店員に暴言を吐きだした。


 俺は我慢して黙って聞いていたけれど、いよいよ堪忍袋の緒が切れた。


「店員さんだって一生懸命やってんだ! 夕方は混むんだよ! 黙って待ってろ!」


 正義感とか、義侠心とか、そんなことじゃない。目の前で小汚いカップ酒ジジイがわめきだしてイラッとしただけだ。

 カップ酒ジジイは、振り向くと目を剥いて今度は俺に向かって怒鳴りだした。


「オマエに言ってるんじゃない!」


「店の中でデカい声出すなってんだよ! このジジイ!」


「何だと!」


 俺もカップ酒ジジイにつられて、興奮して声が大きくなった。

 騒ぎを聞きつけたのか、店の裏から店長とパートのおばちゃん店員が入って来た。

 店長とパートおばちゃん店員は、怒鳴りあう俺とカップ酒ジジイの横を通ると他のレジを操作した。


「お待たせして申し訳ございません! お次の方! こちらのレジへどうぞ!」


 順番待ちの列が動き出し、すぐにカップ酒ジジイや俺の買い物は済んだ。



 ――翌日の夕方。


 俺はコンビニで買い物をして、自宅まで道を歩いていた。

 信号を右に曲がって大通りから細い道に入る。


 この道は細いのに、ダンプやコンクリートミキサー車がよく通る。

 ちょっと先に建設会社があり、建設会社の土砂置き場と駐車場があるのだ。


 細い道の少し先、建設会社のある辺りで俺の方をじっと見ている人がいる。

 ああ、昨日コンビニでもめたカップ酒ジジイだ。


 薄汚れたサイズの合わないブカブカのジーパンにくすんだ色のポロシャツ、ハゲ頭を隠しているのか茶色かベージュか何だか、よくわからない色のこれまた小汚いキャップをかぶっている。


(んだよ。やる気か? あのカップ酒ジジイ……)


 心の中で好戦的なセリフを思い浮かべて、ジャージのポケットの中で右拳を握り込む。

 俺が近づくとカップ酒ジジイは、手を上げて挨拶をして来た。


「よ、よう!」


 あれ? 意外とフレンドリーな対応だ。

 カップ酒ジジイは、ぎこちないが笑顔を作ろうとしている。

 俺も気軽に応じる。


「おう!」


 俺が挨拶を返すとカップ酒ジジイは、安心したのかホッとした顔をして話し出した。


「き、昨日は悪かったな。ついイライラしちまってよ」


「ああ、良いんだよ。俺こそ後ろから怒鳴って悪かったよ」


「そ、そうか。年食うと堪え性が無くなっちまってな」


「気にしないでくれよ。俺だってイライラしていたさ。お互い様ってことにしようぜ」


 こうして俺とカップ酒ジジイは、コンビニでのイザコザについて和解した。


 カップ酒ジジイとは、コンビニでちょくちょく顔を合わせるようになった。時間はいつも夕方だ。

 だんだんと仲良くなって、近くの公園で一緒に酒を飲むようになった。

 俺はカップ酒ジジイをおっちゃんと呼ぶようになった。


 公園で酒を飲む時は、おっちゃんはカップ酒を一杯、俺は発泡酒を一缶。

 公園のベンチに座って、主におっちゃんが話し役で俺が聞き役だった。


 最初は当り障りのない世間話だったけれど、何度か公園で酒を飲むうちにおっちゃんは身の上話もするようになった。

 おっちゃんは身寄りのない一人暮らしだった。近所にある政府が作った低所得者用の住宅に住んでいて、細い道沿いにある建設会社で工事現場の日雇い仕事をしていた。

 仕事上がりに飲むカップ酒だけが人生の楽しみらしい。


(ああ、この人は寂しかったんだな)


 俺はおっちゃんの身の上話を聞いて、そんな風に考えた。

 正直な話、『だからどうした』みたいな気持ちもある。おっちゃんの寂しさや生活の大変さ不安定さを聞いたところで、俺が何かしてやれる類の物じゃない。


 俺に出来ることは、こうして公園で酒を一杯飲みながらおっちゃんの話を聞いてやる。

 そんなことで、このおっちゃんが少し気楽になって、近所のコンビニが平和になるならそれで良いんじゃないかと思った。

 ただ、それだけだ。


 ただ、それだけの思い。

 ちょっとしたご近所ボランティアくらいの気持ちで、時々おっちゃんと公園で酒を飲み、おっちゃんの話を聞いた。


 ある日おっちゃんが真面目な顔で打ち明け話をして来た。


「実はな……、俺は異世界から来たんだよ!」


「はあ!?」


 異世界?

 目の前でカップ酒を飲むおっちゃんにそぐわない言葉に、俺の理解は進まなかった。


「えーと。その異世界って……、どんな所よ?」


 俺はおっちゃんの異世界話を否定すべきか、笑って流すべきか、どうすれば良いのか対応に困った。とりあえず話に乗ってみることにした。


「モンスターがいて、王様がいて。剣と魔法と力が支配する世界さ」


 おっちゃんはカップ酒を手に持って、ボソリと答えた。

 おっちゃんが若い俺に合わせようとゲームやマンガの話をふって来たのかとも思ったが、おっちゃんの様子を見る限りそうでもなさそうだ。


「へえ……。それで、おっちゃんはどうしてこの世界に来たんだい?」


「俺は異世界で貴族だったんだ。だが、政争に負けて殺されそうになった。それで、この世界に逃げて来たんだ」


「そうかい。おっちゃんも苦労したんだね」


 おっちゃんの話しぶりは真に迫っていたが、俺は信じていなかった。異世界なんて物がある訳がない。それこそゲームやマンガの世界だ。

 おっちゃんは、いつものように酔っているんだろう。そう、これは酔っ払いのヨタ話。信じたフリをして聞いてやるのが優しさってもんだ。

 おっちゃんは、下を向いたまま声を絞り出した。


「頼みがある」


「何だい?」


「俺はもう長くないと思う。俺が死んだら、俺の遺品を娘か孫に届けて欲しいんだ」


「おっちゃんに娘さんがいたのかい?」


「異世界にいる」


 俺は吹き出しそうになった。身寄りがいないと思っていたおっちゃんに娘がいた。その娘が異世界にいるとおっちゃんが大真面目で言って来たのだ。

 俺は爆笑しそうになりながらも、おっちゃんが真剣に語る『異世界ヨタ話』に乗り続けてやることにした。


「すると……。おっちゃんが死んだら、俺が異世界に行っておっちゃんの娘さんかお孫さんを探して遺品を渡すと、そういう頼みなんだな?」


「そうだ。頼めるか?」


「ああ、良いよ。やってあげるよ」


 俺は発泡酒を飲み干しながら答えた。

 おっちゃんは、顔を上げ、目を見開いて驚いた表情をした。


「良いのか? 異世界だぞ?」


「ああ、良いよ。ゲームみたいな世界だろ?」


「そ、そうだ! ゲームみたいな世界……。と言うより、この世界にあるゲームは、異世界から来た人間が、異世界をコンピューターで再現した物なんだ!」


 おっちゃんがムキになって答えた。異世界人がロールプレイングゲームを作った。元いた世界を再現した。そういう考え方もあるのか、目から鱗だ。


「なるほど。ドラゴンが出て来るゲームは、異世界から来たおっちゃんのお仲間が作ったのか?」


「いや。仲間じゃない。だが、俺が元いた世界は、まさにあんな感じなんだ!」


「わかったよ。それなら面白そうじゃないか。おっちゃんが死んだら俺が異世界に行って、娘さんに遺品を届けてやるよ」


「本当か? 本当に良いのか?」


 おっちゃんの真に迫った芝居が面白くなって来た。俺は笑いを堪えて淡々とおっちゃんと話を続けた。


「ああ。それで娘さんの名前は?」


「クリスティナ……」


「クリスティナさんね。よーし、覚えた!」


「俺が逃げ出したから、娘はあっちで苦労したはずだ。すまなかったと伝えてくれ」


「わかった。それだけで良いのか?」


「えっ?」


「愛しているは?」


「ああ。ああ……。そうだな……。愛している! 愛していると伝えてくれ!」


 おっちゃんは、目に涙を浮かべていた。

 最後の愛しているは、外国の映画なんかでよくあるセリフだ。

 おっちゃんの熱演に俺も乗せられてしまった。

 いや、今夜の話はなかなか面白かった。



*


 それから数日後、市役所の福祉課からスマホに電話が掛かって来た。

 おっちゃんが死んだそうだ。おっちゃんから何かあった時の連絡先に俺が指定されていて、それで電話を掛けて来たらしい。


 駅前で福祉課の職員さんと待ち合わせて、おっちゃんの家に向かった。福祉課の職員さんは四十過ぎの女性でおっちゃんの担当だった。

 おっちゃんは、建設会社の日雇いの仕事だけでは生活出来ず市から補助を受けていたそうだ。職員さんは、おっちゃんから俺のことをよく聞いていたらしい。


「身寄りのいない寂しい人でしたが、あなたと時々お酒を飲むようになってから明るくなったんですよ。私としても担当している人が、元気になって嬉しかったです。ありがとうございました」


 職員さんに礼を言われると涙が溢れた。

 何だろうね? おっちゃんとは、そんな深い付き合いをした訳じゃない。時々近くの公園でカップ酒一杯、発泡酒一缶、ただそれだけの付き合いだった。


 だが、こうして職員さんから話を聞くと、こんな俺でもおっちゃんの寂しさを紛らわせていた、おっちゃんの人生をほんの少し良い物に出来たのかと思うと――。


 いや、逆かもしれない。

 俺の寂しい人生を、おっちゃんが寂しくなくしてくれたのかもしれないな。


 おっちゃんの部屋は政府が作った低所得者向けの団地の中だ。俺も初めておっちゃんの部屋に入った。小さなテレビと食卓と少しの着替えがあるだけの寂しい部屋だった。


 二日かけて職員さんとおっちゃんの遺品を整理した。おっちゃんに身寄りはいないから、遺品は市の財産になるそうだ。といっても、金になりそうな物は何もなかった。


「このダンボール箱はあなたへの物ですね」


 押入れを整理しているとダンボール箱が出て来た。箱はガムテープで封をされていて、上面に俺の名前が書いてあった。


「俺が受け取って良いんですか? 市の所有物になるんじゃ?」


「これくらい良いですよ。二日もお手伝いいただきましたし、何よりお亡くなりになった方も、あなたが受け取れば喜ぶでしょう」


 職員さんはニッコリ笑って、ダンボール箱を俺が持ち帰るのを認めてくれた。

 おっちゃんの形見を貰えて、俺は嬉しかった。



 ――その夜。


 俺は、自宅のマンションに、おっちゃんが遺したダンボール箱を持って帰った。

 ガムテープを取ると箱の中には、短剣と折りたたまれた布が入っていた。


 短剣を手に取るとズシリと重い。大きなナイフやナタ位の大きさで、持ち手の部分に金細工が施されており大きな赤いルビーのような宝石が埋め込まれていた。


(まさか本物の金やルビーじゃないよな?)


 俺は、金や宝石に詳しくないし、刀剣にも詳しくない。だがこの短剣が安い玩具ではないということは、手に取った重さや金細工の見事さでわかる。

 何より鞘に施された金細工の紋章は見事で、向かい合った獅子が剣を抱いているモチーフは貴族の家紋に見える。


(中世ヨーロッパの武器のレプリカか?)


 そんなことを考えながら、折りたたまれた布を開いた。

 布を開いてみると小さなホットカーペットくらいの大きさで、黒い布地に赤い線で何やら書き込まれていた。

 それはゲームやマンガに出て来る魔法陣に見える。


(おい……。何だこれ……)


 鼓動が早くなり、額からじっとりと汗が流れて来た。喉が渇いて仕方がない。

 冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出し、コップに注ぐと直ぐに飲み干した。


(おっちゃん! あれは何だ! あの短剣とあの布は何だ!?)


 考えがまとまらない。グルグルとおっちゃんと話したことが頭の中でループする。


『俺が死んだら遺品を娘か孫に届けてくれ……』


 おっちゃんの言葉を思い出して、ドキリとした。

 そうだ。俺はおっちゃんと約束した。

 俺はヨタ話に付き合ったつもりだったけれど……。


(あの短剣か?)


 あの立派な短剣が遺品なのだろうか?

 あれを娘さんに渡せと?

 だが、娘さんの居場所を俺は知らない。


『俺は異世界から来たんだ……』


 そうだった!

 確かおっちゃんは異世界から来たと、そう言っていた。

 そして俺はおっちゃんが死んだら、異世界に行って娘か孫に遺品を渡してやると約束をした。

 娘の名前は……、確か……。


「クリスティナ!」


 俺は思わずおっちゃんから聞いた娘さんの名前を声に出した。

 すると部屋で何かが光った。慌ててキッチンから部屋に戻ると黒い布の魔法陣が光っていた。


(魔法陣が起動した!? おっちゃんの娘さんの名前がキーだったのか?)


 黒い布に描かれた魔法陣は、点滅を繰り返している。

 俺は恐ろしくなって部屋から飛び出した。マンションから夜道を夢中で走った。


 気が付くと駅前まで来ていた。まだ夜の八時で会社帰りのサラリーマンや若い人が沢山いる。

 人の姿を見てホッとした。少し落ち着いた。そうだ、落ち着くんだ。


 いつものように、コンビニに入って買い物をする。

 カップ酒と発泡酒を買って、おっちゃんと酒を飲んでいた公園に向かった。


 おっちゃんが座っていたベンチにカップ酒を供え、手を合わせる。

 隣のベンチに座り発泡酒を飲みながら考える。


 どうした物だろうか? 誰かに相談するか?

 あの福祉課の職員さんに相談してみようか?

 だが、どう考えても担当違い。福祉課と魔法陣じゃ守備範囲が違い過ぎる。


 豪華な短剣と謎の魔法陣を記した布。

 そして魔法陣が光り点滅を始めた。

 わけがわからな過ぎる。


 おっちゃんも手紙の一つでも残してくれれば良かったのに。

 これじゃあ、どうして良いかわからない。


(とりあえず部屋に帰るか……)


 発泡酒を飲み干すとベンチから腰を上げた。おっちゃんが座っていたベンチにもう一度手を合わせてから公園を出る。


 公園を出た先は暗い細い道で見通しが悪い。

 いつもは注意して歩いているが、色々なことがあり過ぎて俺は上の空だった。


 気が付くとすぐそばでエンジン音とブレーキ音が聞こえた。聞き慣れたエンジン音で分かった。すぐ先の建設会社の大型トラックだ。


(こんな遅い時間に――ウグッ!)


 衝撃と痛みが伝わり、自分の体が宙に投げ出されたのを知覚した。やけにゆっくりとした時間の流れを感じる。

 体がアスファルトに叩きつけられ、再び痛みが全身に走った。顔がアスファルトに削られ、顔面の皮が剥がれる。


 目の前には、暗い夜空が見える。


「おーい! 大丈夫か!」

「救急車を呼べ! 早く!」

「社長に電話しろ!」


 男の声が聞こえる。パニックを起こしている。

 ああ、どうやら俺はトラックに轢かれたのだ。体を動かそうと思うが、ピクリとも動かない。


 死ぬのか?


 だんだん瞼が重くなり意識が遠のいて行く。

 脳裏にあの魔法陣が浮かんだ。

 ただ明滅を繰り返している。


 息苦しさを感じる。

 いや、息が出来なくなった。



◆―― 作者より ――◆

以前、掲載していた小説を手直しして再掲載いたしました。

よろしくお願いいたします。

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