第28話 蓮の目的

「結婚しよ」


 蒲田の胸から顔を上げると杏奈が突拍子もない発言をする。


「嫌なの?」

「いや、嫌なわけないじゃないか」


 満面の笑みをコチラに向けると「嬉しい」と行って抱きついてくる、決死の覚悟で別れを切り出したばかりの蒲田だったが、その決意は一瞬にして崩れ去った。


 護る、彼女を必ず護る、一之瀬にとってそれは蒲田の身勝手な願いだろう。彼らが護るべきものを蒲田は奪ったのだから。


 それでも、例え身勝手な願いでも、腕の中の女性を命に変えても護る決意が蒲田に生きる希望と夢を与えた。  



『ピンポーン』

 しばらく二人で抱き合ったままでいると玄関のインターホンが鳴った、こんな遅い時間に誰だろうか。


「あっ、頼んでおいたお米が来たのかな」


 杏奈はそう言って立ち上がると部屋をでて玄関に向かった、鍵を開けてすぐに叫び声がする。


「敦くん逃げて――――――――んっ!」


 蒲田は急いで立ち上がり玄関に向かう、背の高い細身の男が杏奈の口を後ろから左手で塞いでいる、右手にはナイフが握られていて銀色に輝いた切先は杏奈の首筋に当てられていた。


「静かにしろ」

 男が恐ろしく冷たい声を発すると杏奈の抵抗は止んだ。


「一之瀬蓮か?」

 蒲田は言葉を発しながらこの状況をどうやって切り抜けるか頭をフル回転させていた、杏奈の命だけは何としてでも護らなければならない。


「俺を知っているのか?」


 男は蒲田よりも随分若く見えたが纏っている雰囲気のせいで自分よりも年上に感じた。


「お前の狙いは俺だろう、杏奈を離してくれ」


 男はその問いかけには答えずにナイフを降ろすと、杏奈に部屋の奥に行くよう促した。


「こいつでお互いを拘束しろ」


 ポケットから結束バンドを十本ほど取り出すと二人の目の前に放り投げた。


「腕は後ろでしばれ」

 二人は固まったまま動けないでいる、このまま男の言いなりになって良いのだろうか、判断出来ないでいた。


「勘違いするな、話をしに来ただけだ。ただ杏奈に暴れられたらコッチの身が危ないから念の為に拘束させてもらう」


 そう言えば杏奈は空手を習っていたと聞いたことがある、こんな大男を倒すほどの実力者なのだろうか。


「私は何もしないわ」

「だったら互いに拘束しろ」


 ナイフをコチラに向けて命令してくるので仕方なく二人はお互いの手を結束バンドで後手に拘束した。


「足もだ」

「手だけで充分だろう」


 蒲田は反論した、言いなりになる訳にはいかない、足を拘束してしまったら逃げる手段がなくなってしまう。


「馬鹿か、むしろ足のほうが優先だ。杏奈の蹴りは木製バットをへし折るんだぞ」 


 驚いた顔を杏奈に向けると舌をペロっと出して照れている、些か緊張感にかける態度が気になったが仕方なく男の言う通りに足も拘束しようとするが、既に後手に拘束されているので上手く出来ない。


「チッ」

 男は舌打ちすると自ら蒲田と杏奈の足を結束バンドで固定した。二人は壁にもたれて体育座りの様な格好になった。今襲われたら何も抵抗が出来ないが男は持っていたナイフを折りたたんでポケットにしまった。


「お前が蒲田敦で間違いないな?」

「ああ」

「では、なぜ俺がお前を探しているか分かっているな」

 蒲田は軽く頷いた後に続けた。


「今更謝っても何の意味もないことは分かっている、君の姉の命を奪ったのは俺だ、馬鹿だった、本当に申し訳ない」


 蒲田は座ったままの体勢で出来る限り深く頭を下げた。 


「俺を殺してくれ、それで終わりにしてくれ」

「敦くん!」  


 杏奈が叫んだが構わずに続けた。


「もう終わりにしよう、俺のバカ親父から始まった復讐の連鎖を断ち切りたい、杏奈は関係ないんだ」


「なぜ伊東陽一郎の母子が殺されたか理解できないのか?」

 そう言うと持っていたバックパックからサバイバルナイフを取り出した、刃渡りが三十センチ近くあり先程のチャチなナイフより何倍も殺傷能力が高そうだった。


「お前の大切な人間を奪ってやるのが目的なんだよ」

 そう言いながらナイフを杏奈の顔にピタピタとあてる。


「蓮、私を殺しなさい、明さんがそうしたように」

 男はその言葉を聞くと声を出して笑った。


「杏奈を殺してこの男は生かすって事か、確かに明は伊東陽一郎だけは殺さなかった、そこまでこのクズに惚れたのか」


「答える必要がないわ」

 男を睨みつけた杏奈の目は憎悪に満ちていた。 


「だめだ杏奈、君は関係ない、頼む、頼む、殺すのは俺だけにしてくれ、頼む、お願いだ」


 蒲田は必死に頭を下げ続けた、杏奈だけは殺さないで欲しい、自分の様なクズを愛してくれた唯一の人間だった。お願いします、お願いしますと何十回と頭を下げ続けた。


「もういい、顔上げろ」 

 男は二人を見下ろしながらため息をついた。


「誰も殺すなんて言ってないじゃん、人を殺人鬼みたいにさあ」


 男は人懐っこい顔に変わると蒲田の顔をまじまじ見つめている。


「似てるかなあ」

 そう呟くとキッチンの冷蔵庫に向かい「ビール貰うよ」と言って戻ってきた、プルタブを開けて一口飲むと二人の前に座った。


「たった一人の兄貴を殺すわけないじゃん」

「え?」


 杏奈と蒲田が同時に声を発した。

「蒲田総一朗と母さんの子が俺、つまり俺たちは腹違いの兄弟」


 蒲田は驚きのあまり言葉が出てこない。


「そんな訳で警察に捕まる前に兄貴の顔を拝みに来たのよ、それなのに逃げようとするからさ、ちょっと遊んでみた」


「親父を殺したのは?」


「俺だよ、例え血の繋がった父親でも母さんを殺した男を許すわけにはいかない、それに俺の本当の父親は明だけだ」


 そう言いながらビールを飲み干すと缶を潰して立ち上がった。


「じゃあ、俺行くわ、二人はお幸せに」

 大股で玄関まで行くと狭い三和土で靴を履いて扉を開けて出ていった、蒲田は杏奈と共に座りながら黙ってその後姿を見送った。


 助かったのか――。


 蒲田は安心感とナイフ持った男が再び舞い戻ってくる恐怖で感情がめちゃくちゃだった、数分前までは死ぬ覚悟だったのだ。


「これ、はずそう」

 そう言って体育座りのまま器用にキッチンまで這って行くとハサミを取りだして杏奈の腕に巻かれた結束バンドを切った。お互いの手足が自由になると蒲田と杏奈は見つめ合った。


「良かったね」

 杏奈は目の端に涙を溜めて笑った。 


「良いのかな、俺、生きてて良いのかな?」

「うん、幸せになって良いんだよ」


 蒲田は声を出して泣いた、やっと普通の幸せを手に入れることが出来る、杏奈と二人で生きていける、それだけで涙が溢れた。


「よしよし」

 蒲田を抱きしめて背中を擦る杏奈の手のひらが暖かくて母親のようだと思った、記憶にない母親を彼女に重ねると蒲田は子供のように眠りについた。

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