第3話 小さな違和感

『帰りはタクシーで帰ってきなよ、もう時間も遅いから』


 蓮が風呂に入ったのを見届けると葵からのラインに返信した、十一時という時間帯が最近の高校生にとって早いのか遅いのか明には分からなかった、そもそも制服のままこんな時間にうろついていて警察に補導されないのだろうか。

 杏奈という女の子は昔から知っている、葵の小中学校の同級生で家に遊びに来た事もある礼儀正しい健康的な女の子だ。

 彼女が一緒なら安心だろう、テーブルに散らかったお菓子や酒瓶を片すとゴミ袋に入れてマンションのゴミ置き場まで持っていく。

 証拠隠滅をしておかないとまた葵にブツブツと小言をいわれてしまう。

 妻の咲が生きている頃も酒の飲み過ぎで良く怒られていた、痛風が発症した時から次第に量を減らしていったので最近では再発していないが。

 風が吹くだけで痛いと書いて『痛風』とは良く言ったものだ、明の右足首はパンパンに腫れ上がり歩くのも困難だった。

 二度とあんな痛みはゴメンだと思いながらも酒を完全に止めることは中々できないでいる。


「お先でしたー」

 体中から湯気を立たせて蓮が脱衣所から出てくる、葵がいる時にはパンツを履いてから出てくるくせに今日はフルチンだ。

 

「蓮っ! おまっ、びっしょびしょじゃねえかよ」


 バスタオルで小さな体を包んで拭いてやるとパンツを履かせてパジャマを着せた、どうやらかなり眠いようだ。

 時計を見ると九時半を過ぎている、いつも八時過ぎには眠る蓮には夜ふかしだったようだ、歯を磨くと寝室の布団に潜り込んでいった。

 蓮に続いて風呂に入り湯船に浸かる、十年前に購入した三LDKのマンションは三人だと少し持て余す。

 葵は勿論、蓮にも部屋を与えているが二人共そこでは眠らない、リビングに繋がった和室に布団を敷いて明と川の字になって眠るのだ、おそらく寂しいのだろう。

 蓮は分かるが高校生の葵はいい加減に父親の存在が疎ましく思う年齢だと思うのだが。

 風呂から上がると先程まで感じていた酔いは醒めている、冷蔵庫を開けると缶ビールを取り出してプルタブを引いた。

「プハーーーーーー。うめー」

 葵が帰るまでまだ一時間ある、もう少しだけ飲ませてもらおう、先程飲んだ酒瓶は証拠隠滅したのでこれが一本目と言ってもバレないはずだ。

 焼酎を飲みながらスポーツニュースを見る、先程負けたばかりのジャイアンツのダイジェストが放送されていた。気分が悪いのでチャンネルを変えるが特に面白そうな番組もやっていないのでテレビを消した。

 スマートフォンを手に取ると十一時十分と表示されている、先程のラインを再度確認した。

『パパ、今ライブ終わったよ、杏奈とファミレスでご飯食べてから帰るね。十一時迄には帰るから』

 小さくため息をついた、すでに約束の時刻を過ぎている、とは言え普段から家の事を全てやっている葵は友達と遊びに行く事なんて珍しい。たまに帰りが遅くなったくらいで目くじらを立てるのも可哀想だ。

 もう少しだけしたら連絡しよう、そう思った時にスマートフォンが鳴った、ラインの通知だ。


『ごめん今日は杏奈の家に泊まることにしたからおやすみ』

 

「………………」

 

 そのラインを見た瞬間なにか小さな違和感があった、しかしいくら考えてもその違和感の正体が分からない。

『杏奈ちゃんのお家に迷惑にならないか? 泊めて貰うならご両親にしっかりと挨拶するんだぞ』

 すぐに既読がついたが返信は無かった。

 以前も杏奈ちゃんのお家には泊まりに行った事がある、中学二年生の頃だったろうか、その時には事前に親御さんに挨拶の電話を入れておいたが……。

 時計の針を見ると十一時二十分を過ぎている、流石にこんな時間に電話するのは非常識かもしれない。

 杏奈ちゃんの家は自宅から十五分程の場所にある、近くに帰ってきているという安心感から明はそれ以上メッセージを送るのを止めた――。


 翌日、明が目を覚ますと葵はすでに帰宅していた、先程帰ってきたのだろうか風呂場からシャワーの音が聞こえる。

「まったくいつまで寝てるんだよ」

 蓮がソファでDSをやりながら呟いた。

「ごめんごめん、お腹すいたろう」

「お姉ちゃん帰ってきたから大丈夫」

 明は余計なことをするな、ということだろう。

 それから一時間ほどテレビを見ながらダラダラしているが葵はいっこうに風呂から出てこなかった。

「葵はいつから風呂に入ってるんだ?」

 蓮に聞いた。

「わかんない、起きたらもう入ってたよ」

「何時に起きたの?」

「ゴレインジャー始まる前」

「え、八時からやってるやつ?」

「うん」

 テレビの左上に掛けてある時計の針は十一時を指している、いくらなんでも長すぎる。

 脱衣所まで行くと依然としてシャワーの音がする、明は嫌な予感がしつつ風呂の扉をノックした。

「葵ー、どうしたー。具合でも悪いのか?」

 返事がない。

「おい! 葵! 大丈夫か! 開けるぞ」

 扉を強めに叩いた。

 するとシャワーの音が止まった。

「大丈夫……」

 かすかに葵の声が聞こえてきたので安心する。

「おおそうか、長風呂だから心配したぞ」

「もうでるから……」

 明は脱衣所から出てリビングに戻る、程なくして葵がTシャツにスウェットの姿でキッチンに入っていった。

「お姉ちゃんお腹すいたー」

 すかさず蓮が追いかけていくと葵のTシャツの裾をつかんだ。 

 

「触らないで!」

 蓮がビクッとして、つかんでいた裾を離す。

 

 冷蔵庫を開けるとペットボトルの水を取り出して何も言わずに自分の部屋に向かった。


「どうしたんだろ?」

 蓮が唖然とした表情で明に問いかける。

「わからん」

 かろうじてそう答える事しかできなかった。

 仕方ないので明は棚にあるカップラーメンを取り出して蓮に問いかける。

「これでいいか?」

「まあ、明の手料理よりはマシかな」

 二人分のお湯をヤカンで沸かしてお湯を注ぐとあっという間に平らげた、蓮も満足したようだ。

 何の予定も無い土曜日なのでソファでダラダラしていると葵が部屋から出てきた、部屋着からいつの間にか着替えて私服になっている。

「なんだなんだ、さっき帰ってきたと思ったらもうお出かけか」

 

「うん……」

 コチラを一度も振り返る事なく玄関の扉に向かう。


 それから二時間後……。


 葵は特急列車にはねられバラバラの死体になったーー。

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