魔王と王女

雪待ハル

魔王と王女




「あー。人間まじで嫌い。滅ぼそう」


むかしむかしあるところに、魔王がいました。

魔王は人間に裏切られ続けて人への恨みつらみを積み重ねてきた、元は人間の青年でした。

彼は気が付いたら魔王になっていたので、その勢いでこの世界でいちばん大きな王国の王女をさらってきましたが、さらう際に巨大な力を見せつけたせいか、数か月経った今も王女を魔王から救い出そうという動きは見られません。

その事に魔王は失望していました。


(なんなのあいつら。おまえらの国の王女だろ。助けに来いよ、命懸けで)


彼の自宅は深い森の中の小さな小屋です。

木製の椅子に座ってイライラする魔王を、テーブル越しの真向かいの椅子に座る王女は睨みつけました。


「魔王。そんな理由で人々を滅ぼそうというの?やめなさい」


「あ?おまえの意見は聞いていない」


凛とした声でぴしゃりと言いきった王女に、魔王はぎろりと睨み返します。


「おれは人間が大嫌いだ。傷付ける事を平気で言って、相手の心を壊す。勝手な感情で妬み、相手の足を引っ張る。信じさせるだけ信じさせて、大事な時に裏切る。最悪だ」


「あのね。そういう人間も確かにいるけど、そうじゃない人間だっているわよ。あなたはそうじゃない人間もまとめて滅ぼすって言っているのよ」


「・・・・・・うるさい」


王女のエメラルド色の瞳に強く見すえられて、魔王は顔をしかめて目をそらしました。

それでも彼の視界の端に彼女がこちらをじっと見つめている姿が見えているので、うー、と低いうなり声を上げました。

彼女の姿を見ると、言葉を聞くと、自分は間違っているのだと気付いてしまいそうで不安になります。

魔王はテーブルに突っ伏しました。


「・・・嫌い、嫌い、嫌い、大っ嫌いだ。あいつらはなぜおまえを助けに来ない」


「・・・・・」


「がっかりだ。人間にも善性というものが少しはあるのだと信じたおれが馬鹿だった」


「・・・魔王、あなた」


その言葉を聞いて、王女の瞳が揺れました。

その時、






「おいっ、魔王!!王女さまを返せ馬鹿野郎!!!!」






小屋の外から大きな声が響き渡りました。

テーブルに突っ伏していた魔王の青い瞳がきらっと光ります。

勢いよく顔を上げた彼の表情はとても活き活きしていました。

それを王女は目の当たりにして――――ああそうか、と思います。


(彼は、ほんとうは人間を信じたいんだ)


憎い、嫌い、恨めしい。そんな負の感情だけを積み重ねてヒトではなくなってしまった者。

それはどんなに寂しいだろう。

そう思った王女は小屋からわくわく顔で出て行こうとする魔王のマントのすそを踏んづけました。

予想外の事に対応しきれなかった魔王はその場でぶっ倒れます。


「ぶふっ!!・・・・・・おいっ、王女!!!!何しやがる!!!!」


床に倒れた体勢で彼女を見上げた魔王は、叫んだ後に“はっ”としました。

王女が真剣な顔をして彼を見下ろしていたからです。


「あなたはここで待っていなさい」


「え・・・?」


「わたしは逃げませんよ。やりたい事ができたので」


「おまえ、何を・・・?」


困惑顔の魔王をその場に置いて、さっさと外へ出て行く王女。

そこには魔王に立ち向かう為にここまでやって来た勇気ある5人がいました。


「王女さま!遅くなって申し訳ございません!!ご無事でしたか!?」


「遅い!!!!あいつは懇切丁寧に城からここまでの最短ルートの地図を落としていったのだから、一か月もあれば来れたはずよ!!」


「誠に申し訳ございません!!!!魔王が破壊した城門から隣国の者が王の首をとろうと襲撃してきた為、その迎撃に追われていました!!」


「・・・そうだったのね。では仕方ないわね、ここまでの道中、御苦労でした」


「ははっ!!」


「王はご無事なのね?」


「はい。我ら騎士団が総力を挙げてお守り申し上げました」


「そう・・・ありがとう」


ここでようやく王女は笑いました。

騎士団の中でも指折りの実力者である5人はそれを見てほっとした表情になります。

その中の一人がふと首を傾げました。


「それで、あの・・・王女?魔王は・・・」


「その事なのだけど、皆、聞いてちょうだい」


5人は王女の言葉に耳を傾けました。



















「・・・・・・・・」


魔王は小屋の中で身動きが取れずにいました。

動きたくても動けないのです。

王女が彼に石化の魔術をかけてから外に出たからです。


(あいつ・・・魔術なんて使えたのか。それも、魔王(おれ)に効果がある強力なもの。世界で一番大きな国の王女だもんな、そりゃただ者ではねえか)


彼が王女をさらったのは、彼女をさらえば彼女を助けに来る勇敢な人間と戦えると思ったから。


(そうすれば、少しは人間もマシだったって思えたかもしれないからだ。だが、もう・・・)


もうだめだな。これは。

外で王女が助けに来た者たちと話しています。もうすぐここにそいつらがやって来て、動けない魔王にとどめを刺して、それで終わりです。


(あっけないもんだな)


でも・・・・まあ、いいか。

辛い事ばかりの腐りきった記憶を手放して楽になれるなら、それで。

小屋に向かって足音が近付いて来ます。


(この世界ともさよならだ)


ドアが開きました。

そこに立っていたのは王女です。

彼女は一言、何らかの呪文を小さく唱えました。

すると魔王は動けるようになります。


「・・・・・・・・あ?」


「もう起きていいわよ」


王女はそれだけ言って、ぱたんとドアを閉めました。

魔王は再び困惑顔になりながら起き上がります。


「は?・・・・あいつらはどうした」


「帰らせました」


「はああ!!!??」


魔王は口をあんぐりと開けて一瞬だけ放心しましたが、すぐ気を取り直してドアを開け、外へ走り出しました。

見れば、――――なんということでしょう、勇敢な騎士たちがこちらに背を向けて立ち去ろうとしているではありませんか。


「・・・おいッ!!おまえらアアア!!!!」


渾身の力で叫べば、彼らはん?という顔で振り返ります。


「なぜだ!!王女を救いに来たのではないのか!!!!」


魔王の悲痛な叫びに、勇気ある5人はふっと表情を改めました。

彼らは魔王に語りかけます。


「応とも。だがしかし、王女たっての頼みとあれば仕方あるまい」


「魔王よ、“王女を頼むぞ”」


彼らはそれだけを言い残して、また前を向いて歩き出し、そのまま行ってしまいました。

その姿を見送る魔王。

なに・・・・何?王女を頼むだと?


(奴らは一体何を・・・)


「魔王」


いつの間にか王女も小屋の外に出ていました。

彼女は背後から魔王に話しかけます。


「そういう事よ。これからもよろしく頼むわ」


魔王は騎士たちが去って行った方角を見つめて固まっていましたが、その声にぐるんっと勢いよく振り向きました。

しかし、振り向いたはいいものの、何と言っていいか言葉の迷子になってしまいます。


「・・・・・・・・・あ?」


「あ?ではありません。やりたい事ができたと言ったでしょう」


そう言って、彼女はふんっ、と胸を張って仁王立ちになります。

混乱して固まったままの魔王を真っ直ぐに見つめて、


「わたしはあなたを独りにはしたくないのです」


「・・・・・・・・・は?」


「は?ではありません。これはわたしの身勝手な欲望なのですよ、魔王」


「欲望・・・おまえが?」


ようやく話せるようになった魔王は言いました。

この一緒に過ごした数か月、魔王には彼女は清廉潔白な人柄に見えていました。

彼は彼女に善性を見出したからこそ、何も悪さをする事なくただ共に生活をしていたのです。

その彼女が欲望を語っている。

魔王には信じられませんでした。

しかし、彼女は不敵に微笑んで頷くのです。


「ええ。――――まあ要するに、あなたと共に時間を過ごすのも悪くないと思ったって事です」


だから、これからもよろしくね、魔王?

その微笑みを呆然と見つめながら、魔王は思いました。


(こいつは欲望のあるごく普通の人間だった。それでもおれは、こいつを滅ぼしたいとは思わない。・・・なぜ?)


もうすぐ夕日が沈みます。真っ黒な鳥たちが巣へ帰ろうと鳴き声を響かせます。

オレンジ色の世界の中で、魔王と王女は向かい合い、互いを見つめました。

王女は答えを出しました。魔王はまだ答えを得ていません。

それでも。

彼が自分の気持ちに気付くまで、そう時間はかからないでしょう。

ほんとうは人間を信じたかった愚かな魔王、そのそばには聡明な王女が一人。

深い森の中の小さな小屋で、これからも二人の生活は続くのです。


「・・・人間は嫌いだと言っただろう、滅ぼされたいか」


「あら、じゃあわたしを滅ぼしてみますか?」


「・・・・・・・・・」


「・・・・・・・ふふっ」


苦虫を嚙み潰したような顔をする魔王に、王女は楽しげに笑ったのでした。





おわり

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