獄中マンガ家

ALT(Altar twin)

第1章:猫の気まぐれは時に罪である

第1話:『2週間』の始まり

 優しく頬を撫でる風、ひんやりとしたちょっと湿っぽい空気。時折ゆらゆらと身体が揺れて、パシャリと聞こえてくる水の音。


 いつもの目覚まし時計のアラームじゃない。そのことに、俺は薄らいできた微睡の中で不審に思った。


 ……俺はまだ、夢の中にいるのだろうか。


 夢か現か、その境目が定まらないまま、俺は恐る恐る目を開いた。今までに感じたことのない実に奇妙な目覚めを迎えた後、俺が身体を起こした時だった。


「にゃん、にゃにゃ〜ん……。にゃにゃにゃ、にゃ〜」


 ふと、背後から奇妙な鼻歌が聞こえてきた。

 

驚いてその声の主を探すために辺りを見回す。


 見渡す限り仄暗い霧に包まれていて、一寸先も見えない。船首に掛けられているランプの光を頼りに、小舟は滑るように進んでいく。


 そして今、――その小舟の上に何故か俺は乗っている。


  「なっ……何で俺は、こんなところに」


 「おや、お目覚めですかにゃ?」


 困惑する俺を揶揄うかのように、目の前に現れた一つの人影がそう言った。


「……っ!?誰だ?」


 「あれ、覚えてにゃいのかにゃ?確かに僕は、早朝に君をお迎えに来たはずだけど……」


……あ、そういえば。

そう言われた時、俺の頭の中で今日の早朝の出来事が思い起こされた。




 ピーンポーン……。


 不意にチャイムが鳴ったのは、俺が身支度を終えて朝食の準備をしようとした時だった。


 誰だろう?こんな朝早くに来るなんて。もしかして、今日一緒に学校行く約束をした友達が迎えに来たのかな。


「はーい、ちょっと待って」


 もしそうだったら、待たせたら悪いよな。


そう思いながら足早に玄関に向かう。一応誰が来たのか確認する為、ドアスコープを覗くことにした。小さなガラスの張られた空洞に目を近づけて、向こう側を見つめる。


 …………えっ!?あれ?


 俺は目の前の光景に自分の目を疑った。だって——そこには誰もいなかったからだ。

気のせいだったのかな?いや、もしかしたら誰かのイタズラかも。


「イタズラ?違うにゃよ。だってぇ、僕は君に用事があってここに来たんだしぃ〜」


 そんな俺の疑問に答えるように、背後から声がした。聞き馴染みのない、何処か気怠げで耳に残る声。その声は、猫みたいな変な語尾と共に言葉を紡ぐ。


 突然の出来事にどうしていいか分からずに、身体が固まって動かない俺を見て、その声の主はクスクスと笑った。


「あ〜、ごめんごめん。怖がらせるつもりはなかったにゃ。でも君、いい反応してくれるにゃね〜。にゃふふふっ」


「誰ですか?てか、どうやって部屋の中に入って……」


 え〜?という声と共に、不意に目の前にその声の主が姿を現す。そのあまりに突然の出来事に、俺は腰を抜かしてしまった。


 煙のようにいきなり現れたその人は、俺より一回り背の高い青年だった。軍服のようなものを着ていて、ダボダボの袖で口元を押さえて笑みを浮かべていた。

 

猫を彷彿とさせる大きなヘーゼルの瞳。左目は真っ直ぐに切り揃えられた長い前髪に隠れている。


 焦茶色の艶やかな髪の上にはちょこんと制帽を乗せている。ボサボサで跳ねまくっている毛が猫の耳に見える。


 その人は俺を見てふああっ、とあくびをしながら気怠るげに言う。


 「えっと、君の名前——白日要太はくびかなたであってるかにゃ?手紙に書いてあると〜り、お迎えに来ましたにゃ」


 …………はっ?何言ってんだ、この人。てか、ちょっと待てよ。


 「えっ!?……な、何で俺の名前を知っているんですか?」


 「何でって~?ん〜とまあ、これが僕の『仕事』に関わることだからにゃね。だから知ってて当然にゃ」


 他人のことを色々調べるのが仕事?

 俺は聞いたことないけどな。まさか、危ない仕事してる人なんじゃ……。


「て……てか、誰ですか?朝早くから勝手に他人の家の中に入ってきたりして……。用がないなら帰ってください、俺今日やらなきゃいけないことありますので」


 俺の目の前に立つこの人を無理矢理押し退けて、俺は玄関へと向かった。

 引き止めようとする声を無視して、俺はドアノブに手をかけて思いっきり捻った。……そのはずだったのに。


「あ、あれっ!?ドアが……、開かない」


 いくらドアノブを捻っても、ドアを叩いても何故か開かない。何度も試したし、色々やり方を変えて見ても無駄だった、うんともすんとも言わない。


「どうなっているんだよ、これ」


「にゃふふふっ、念のためにやっといて良かったにゃ〜、………少しばかり細工させてもらいましたにゃ。君じゃ開けられにゃいよ」


 こいつ……ふざけやがって。くそっ、何で俺がこんな目に……。


 髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回してそいつを見る。

相変わらず、ニタニタと歯を見せて静かに笑っている。……気味が悪い。


でも、内心困惑と驚きでぐちゃぐちゃになっている俺にはどうしたらいいのか分からない。通報しようと思っても、手が動きそうにない。


 あー……、それにこのままだと俺が今日の大学の講義をサボったみたいになってしまう。ったく、一回でも休んだら後に響くって言うのに……。


 ここまでくると仕方がない、せめて何が目的か聞こう。危なそうなことさせられそうになったら、なんとか取り押さえるなりして通報してやる。


 はぁー、と大きなため息を吐いてそいつの方へ向き直る。


「………目的は何ですか?」


「あ、やっと話を聞く気になってくれたみたいにゃね。じゃあ〜まずは自己紹介を」


 そう言って、そいつは帽子を脱いでペコリとお辞儀をして微笑んだ。


「僕はアンテリナム・ガーバー。君が投獄される予定の『サナトリウム監獄』の看守の一人ですにゃ。仲良くしてほしいにゃ」



◆◆◆◆◆◆◆◆


「………あの、どう言うことか詳しく教えてくださいよぉ」


「え〜……、嫌にゃよ。今そんにゃ気分じゃないしぃ〜」


 はっ、はあ!?な、何なんだよこの人は。

 ソファの上でゴロゴロとするそいつ、——アンテリナム看守の身体を揺さぶりながら俺はまたため息を吐いた。


————数分前の出来事である。


 自己紹介をした後、アンテリナム看守はどこからともなく手紙を取り出して、


「こんにゃ手紙を君の元へ送ったんだけど、見覚えにゃい?」


 覚えていない訳がない、あのセピア色の赤いシーリングスタンプの押された手紙。

あっ、これって……。


 それを見た瞬間、そこに書かれていたことが思い起こされた。


『あなたには有罪判決が言い渡されました。——迎えに参ります。

                           テミス裁判所』


「…………これ、昨日の夜郵便受けに入っていたやつだ。でも待って、俺は何もしていないんだ!なのにどうして………」


 変な手紙だな、とは思っていたけどこれ本物だったの!?——イタズラじゃなくて?


 と言うかさ、その話が本当なら、手紙が届く前に裁判所から呼び出されるはずだろ。でも、そんなことなかった。


 ………意味が分からない。こんなの冤罪だ!そうに決まっている。


 俺はまだ納得していない。だから詳しく説明してほしいのに、この人と来たら……。


 ってか、この人本当に看守なの?にしては態度というか、雰囲気というか……全然らしくないんですけど。大丈夫か?


 そう思いながら看守をジーッと睨むけれど、アンテリナム看守はそんなの気にしていない様子で、ゴロンとうつ伏せになって頬杖をついた。


「ふぅ〜ん、君って大学生にゃのね。へぇ、美術大学に通ってるんだ〜。……それにしても、君って若いにゃね。こんな子がウチに来るんにゃね〜」


 アンテリナム看守は、大きなアルバムみたいに分厚い資料の束のページをパラパラとめくりながらぶつぶつと呟く。


 …………さっきから思っているんだけど、どこからこんな物取り出したんだ?

手紙はまだ分かるけど、その資料はポケットに入らなくない?


「……っ?『サナトリウム監獄』に俺みたいな若い人ってあんまりいないんですか?」


「いやぁ〜、最近増えたなぁって思っただけ」


 そうなんだ。あ、そうだそんなことより————まだ聞いていないことが。


「俺にはどんな判決が下されたんですか?まだ聞いてなかったので知りたくて……」


 そういえばそうにゃね、と言ってアンテリナム看守はページをめくる手を止めた。


「君はねー、一番重い罪を犯したから死刑にゃよ。お気の毒さま~」



 ————はっ?………はあっ!?

 

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