和洋折衷 靴事情

 洋装が広まり始めた明治時代、もちろん服も髪型も変わるわけですが、今回、注目するのは靴です。

 最初は子供の靴を調べていたのです。それがびっくり百貨店で扱われ始めたのが1907年。婦人靴や子供靴を専門に扱う店となると1930年代になります。まさかの、日本での洋靴の文化、100年未満。昭和初期まで着物が普段着でしたからね……いくら推奨されていたとはいえ、おはしょりとかで長さが変えれる着物はお母さん達の味方だったのでしょうね。子供の足なんてすぐ大きくなりますから、ここでもほぼフリーサイズな草履が勝つわけです。洋靴なんて贅沢品はもってのほか。

 足半あしなかという長さが土踏まずまでの草履もあります。スリッパを履いているとよくわかると思うのですが、かかとの所まで長さがあるとぱたぱたしてしまいますよね。走りにくいったら、ありゃしない。バランスのとり方はちょっとわからないのですが、庶民には一般的な履物だったようです。で、ついでに足半のことをしらべたら、室町時代頃からの文化のようです。砂利が藁にはさまって、足を傷つける……らしいです。うーん、よくわかりませんね。痛みと長さに関係あるのかしら。挟まる面積が少ないってこと? ここは後日、気が向いたら調べます。


 脱線しましたね。

 結論を言えば、子供や普段使いは草履だよ、と話になるわけですが、まぁ、それはさておき、洋靴の豆知識から行きましょう。

 女学生は袴、黒タイツ、黒いパンプスが人気な出で立ちです。流行でブーツになったり、袴の丈がひざ下だったりとちょっと個性的なブームもあったりします。現代もありますが、着物に洋靴というご婦人もおったそうな。なんてハイカラな

方なんでしょう。自分が好きだったり、便利と思ったものを実践した女性もいたというわけです。深ゴムという名前の今でいうブーツもはやりだったようです。足を包み、足首上まである丈の部分が前後に開く。これも靴屋さんで見たことのある形ですね。

 そして、洋装の先陣を切ったのが、政府のおえらいさんや軍服です。洋装にはもちろん革靴! 職人さんが作ったのでしょうが下っ端軍人にオーダーメイドみたいがものが支給されるわけがありません。大きい小さいで渡された靴が幅広だったり、甲高の足に馴染むまで相当の時間がかかったでしょう……行軍の際に靴豆や靴ずれで治療の世話になる人が後を絶たなかったようです。草履から革靴ですから、そりゃ足もびっくりです。

 文明開化を庶民のものに紐解くと何だか身近になりませんか。



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