産声を上げた看護

 看護の歴史を漁っていたら、明確にされているのはとても浅いものでした。なんと、世界でも1850年~。

 よくよく考えてみれば、入院ができるような病院がなかったのです。医者は患者の元へ通うのが主流。看病もするのも家族です。外科手術においてもエーテル麻酔が疲労されたのも1846年。

 明治時代には日本にも西洋医学が胸を張って来ますから、それまでは漢方で内から治す手法が取られていたのでしょうね。そりゃ、平均寿命が伸びないわけだ、と読んでいました。その方面の知識が皆無だったものでして。

 ふんふん、と読んでたら、目から鱗の情報が飛び込んできました。

 初のエーテル麻酔の前に全身麻酔を成功させた日本人がいるだって。

 記録に残されている中で最古の麻酔科医は華岡青洲さんというお方。曼陀羅花まんだらげ(チョウセンアサガオ)の実や草烏頭そろうず(トリカブト)等を原料に麻酔薬を完成させるわけです。

 Wikipediaを見るだけでも、天才エピソードが多すぎる。ああ、これは医術から勉強しなおさないと行けないと頭を抱えました。

 まぁ、それはさておき。

 今回は看護の話ですからね、そっと目をそらしましょう。

 1860年代、クリミア戦争で大活躍した、フローレンス・ナイチンゲールが近代看護教育を実現させたといいますか、看護の意義を明確にしました。病院で働いていた女性は、汚物を清掃する人という認識が強く、事実、教育を受けていなかったわけです。

 日本に看護婦教育所や看護婦養成所ができ始めたのは1880年代頃から。英国人からのアドバイスがあったとはいえ、最重要な教育のひとつだったと考えられます。

 何より、清潔に保つことを重視されました。手術をしても、術後の経過や感染で助からなかった命は多かったのですから。

 そりゃ、風呂も水道も蛇口もない国外の野戦病院だとしたら井戸しかないので、清潔に保つのは至難の業でしょう。一昔前の医療の発達していない国ではちょっとの傷ですぐに破傷風の注射を打つという話を聞きました。

 怪我をしたら消毒、または包帯を変える頻度を上げなければ生き残れないのでしょう。

 それをフォローするのが看護だと思えば、物資の少ない状況で包帯を手で洗い、鍋で煮沸したりと大変な重労働だったと察しました。



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