第19話:声はまだ戻らないけど
時が経つにつれて、彼女は少しずつ笑顔が増えていった。だけど相変わらず声は戻らず、学校にも来ない。時は彼女の心が癒えるのを待たずに、容赦なくすぎていき、俺達の学年は一人かけた状態で、二年目の文化祭を迎えた。体育祭も同様に彼女は来ない。俺達のクラスは優勝した。そのことを伝えると、彼女は両手を出した。出された両手に手を合わせてハイタッチをする。そして「優勝おめでとう」と笑った。仕方ないとはいえ、同じクラスなのに他人事で少し寂しくなる。寂しさを隠しながら、お礼を言った。
それから時は過ぎ、俺達は今日、ついに中学三年生になる。
「おはよう。桜庭くん」
「おはよう」
「おはよう。小森、坂本」
投稿する小森と坂本の隣には、相変わらず彼女の姿は無い。しかし、校舎の玄関前に貼られたクラス発表の紙には俺たち三人の名前と同じクラスの欄に彼女の名前があった。担任は一年の頃と同じ佐藤先生と姉川先生。なんだか余計に彼女が居たあの頃を思い出してしまう。
「二人とも、今日もマナのところ行くよね?」
「うん。同じクラスだったって報告しないとね」
「……そうだな」
その日の放課後。俺達は彼女の家に行き、同じクラスになったことを報告した。なら頑張って行かないととプレッシャーになるのではないかと思ったが、彼女は嬉しそうにしていた。なんだか今日はやけにご機嫌だ。
「なんか今日ご機嫌だね?」
小森が言うと、彼女は『私、愛されてるなぁって思って』とノートに書いてから今まで使ってきたノートを持ってきた。そこには俺たちとの会話が残されていた。
『今、ちょっとだけわくわくしてる。このノートにどれくらいたくさんの思い出を残せるかなって』
失声症だと報告を受けた日、彼女がそう語っていたことを思い出す。「みんなが来るまでこれ読み返してたんだ」と彼女は笑う。そう笑える余裕があるなら、俺の考えを今なら伝えられるかもしれない。いや、しかし、せっかく同じクラスになれたのに……。伝えるべきかどうか悩んでいると、小森が口を開いた。
「あのさ、マナ。聞いても良い?」
『高校のこと?』と彼女が問うと、小森はこくりと頷いた。そうだった。そのこともいずれ聞きたいと思っていたんだった。
考えていないわけじゃないと彼女は語る。しかし、不安になってしまってあまり深くは考えられないらしい。『考えないといけないことなんだけど』そう書いている途中で、彼女の呼吸が少し乱れる。小森が彼女の手を握り、ごめんと謝ると彼女はゆっくりと息を吐いて首を横に振って『三人はどうするの?』と質問を返す。
「私は蒼明」
坂本が答える。蒼明高校というと、県内一の高校だ。坂本はこう見えて学年トップの成績らしい。
「は!?蒼明っておま……マジで?」
「マジよ。大マジ。あんたらは?」
「ボクは青商。高校出たら進学せずにそのまま就職しようかなって」
「俺は北工。北桜(ほくおう)工業。俺もあんまり大学は行きたくないかな」
「北工(きたこう)かぁ……」
北工というワードに反応して、海菜さんが会話に入ってきた。知り合いに何人か卒業生が居るらしい。しかし、今の北工は工業高校の中ではそこそこ偏差値の高い方だが、昔の北工はかなり荒れていたと聞いている。
「……卒業生って何年前ですか?」
「んー。二十年近く前?」
「一番荒れてた頃じゃん……」
「あははっ。そうだね。みんな荒れてたよ」
笑いながら言う海菜さん。彼女の母校は小森が目指している青商だと聞いたが、青商は今も昔も県内トップの商業高校だ。そんな優等生とどういう経緯で知り合うのだろう。中学が一緒だったのだろうか。
「海菜さんってもしかして、元ヤンだったり?」
「いや、私は別にそんなことなかったよ」
「……怪しい」
「海菜さん、青商でしたっけ」
「うん。そう。青山商業」
「ボク、青商受ける予定です」
「お。頑張ってね」
「はい」
坂本が蒼明、小森が青商、俺がが北工。三人ともバラバラの高校に進学する。同じ学校に通えるのは、もうこの一年しかない。それは小桜も同じだが——
「っ……っ……」
彼女は胸を押さえて縮こまる。やはり、もう学校に来ることは諦めた方が良いのではないだろうか。そう思ったが言えなかった。
「三人とも、そろそろ私は仕事に行かなきゃいけないんだけど……誰か一人でもいいから、愛華が落ち着くまでの間残れないかな」
海菜さんが言う。いつの間にか時刻は六時前。随分と話し込んでいたらしい。坂本は「用事があるから帰らなきゃ」と言い、俺を見た。俺は残っても良かったが、坂本と一緒に帰ることにして、小森に彼女を託した。
「で、でもボクは……」
「大丈夫だよ希空ちゃん。何かあったら私に電話して。家から職場まではそう遠くないからすぐ行く。というか、百合香ももうすぐ帰ってくるし。少しの間だけ。ね?」
「……はい」
「任せたぞ。じゃあ、行ってきます」
海菜さんと共に家を出る。本当に彼女を小森と二人きりにして大丈夫なのだろうか。そう思い、玄関の方を振り返ると海菜さんが言った。
「希空ちゃんはあの子と二人きりになるのを極力避けてるけど、桜庭くんと二人きりになっても平気そうだし、大丈夫だと私は思うんだ」
「私もそう思います。てか希空、さっき愛華の手握ってたけど愛華も拒絶しなかったし」
「……これは私の勘なんだけど、愛華の声、もうそろそろ治る気がするんだよね」
海菜さんは言う。何を根拠にと言いたいところだが、こうなる前も彼女は言っていた。近いうちに辛い過去と向き合わなきゃいけない日が来ると。彼女の勘は案外馬鹿にできない。
「海菜さんって、占い師なんですか?」
「いや、ただのバーテンダーだよ。占いの心得は無いけど……愛華が日に日に良くなってるのは確かだから。君達が居てくれて良かった。私と妻だけじゃきっと、どうしようもなかった。ありがとね」
そう言って、海菜さんは去っていく。坂本はその後ろ姿を、見惚れるようにボーっと見つめていた。
「……お前、ほんと歳上好きだよな」
「う、うっさいなぁ」
「別に悪いとは言ってないけど、変なのに引っかかんないか心配」
「海菜さんは良い人だし。仮に私がガチ恋で、海菜さんが未婚だったとしてもちゃんとフってくれるわよ。未成年に手出すような人じゃないから」
「ガチ恋なの?」
「違う。……と思う。別に付き合いたいとは思わないから。百合香さんに嫉妬したこともないし。むしろ、あの二人見てると微笑ましくなる。推しみたいな感じ」
「なるほど。推しか。望様みたいな?」
「うん。そう。……ねえ、桜庭くん」
「なに?」
「愛華のこと、まだ好き?」
「好きだよ。けど……今はもう、付き合いたいとは思わないかな。小森も悪いやつじゃないし。今のあいつなら彼女を任せられる」
「任せられるって。何その上から目線。親かよ」
「……海菜さんはもうそろそろ声治りそうって言ってたけどさ、坂本はどう思う?」
「……分からん。けど、海菜さんの勘って結構当たるからなぁ……」
そう話してながら歩いていると、後ろから俺たちを呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、小森が走って駆け寄ってくる。やけにテンションが高い。
「マナが……愛華が!」
「「えっ!? まさか声治った!?」」
「違う、まだ! まだだけど、これ!」
興奮しながら見せてきたのは彼女とのトーク画面。そこには彼女から『私は希空が好き』と送られてきていた。それに対する小森のキザな返事は割愛して、彼女はこう締めくくる。『いつか、文字じゃなくて言葉にして伝えたい』と。つまり、小森の恋愛感情を受け止める決心がついたということだろう。きっとそれは、彼女にとってはとんでもなく勇気のいることだ。感極まったのか、小森は泣き出してしまった。坂本も泣きながら彼女を抱きしめる。それに釣られて俺ももらい泣きをする。彼女が小森に対する恋心を言葉にしたこと、それに対する悔しさが全くないとは言えないが、それ以上に彼女が一歩前に進めたことに対する喜びの方が比べ物にならないくらい大きかった。やはり海菜さんの言う通り、彼女の声が治る日もそう遠くはないのかもしれない。
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