第16話:幼馴染
それから彼女はたびたび過呼吸を起こして保健室に行くようになった。最初は心配していたクラスメイト達だが、何度か繰り返すうちに「またか」と呆れ始めた。だんだんと彼女に対する態度は冷たくなり、苛立ちの矛先は彼女を庇う俺たちにまで向けられるようになった。
そんな状態でも彼女は諦めずにほぼ毎日学校に来て「おはよう」と書いた紙を掲げる。それを見て「喋れよ」と誰かが冷たく言い放つ。思わず言い返そうとすると、小桜に止められる。黙って首を横に振る彼女は今にも泣き出しそうだった。
『お願い怒らないで』
ノートに書かれた文字は震えていた。
「っ……分かったよ」
『ありがとう』
声を失う前の彼女はクラスを明るく照らす太陽のような存在だった。しかし、その太陽はいつしか光を失ってしまったらしい。
学年が上がっても、彼女の声は戻らないまま、ゴールデンウィークに入った。俺たち三人はほぼ毎日彼女の家に通った。たまに過呼吸になることはあったが、学校に居る時よりは頻度は少なかった。ゴールデンウィークが明けたらまた学校で会おうね。彼女はそう言っていたが、ゴールデンウィーク明けの初日から学校を休んだ。いつもの二人と一緒にお見舞いに行ったが、彼女は俺たちに会うことを拒んで部屋に引きこもってしまった。
「三人とも、来てくれてありがとう。でも……しばらくはそっとしておいてあげて。今は誰にも会わない時間が必要だと思うから」
「……愛華、海菜さん達とも顔を合わせない感じですか?」
「ううん。そこまでじゃないよ。大丈夫。朝もちゃんと起きてきたし」
そういう海菜さんは相変わらず落ち着いていた。
「せっかくきたんだし、一杯くらい飲んでいきなよ」
そう言って彼女は家に招き入れてくれた。出された紅茶はほのかにレモンの香りがした。
「……私も中学生の頃、ちょっと病んでてね。君達みたいに心配してくれる幼馴染が二人居たんだ。その二人のおかげで今の私が居ると言っても過言じゃない」
「……もしかして、そのうちの一人って月島先生ですか?」
「そう。満ちゃん。もう一人の幼馴染も私のことを支えてくれたけど、多分満ちゃんが間に居なかったら彼との関係は壊れてただろうね。……君達は、あの頃の私たちに少し似てる。だからつい気にかけちゃうけど、同時に、だから私達と同じように乗り越えられるって信じてるよ」
「……海菜さん達は、どうやって乗り越えたんですか?」
「うーん……私たちの場合は本音をぶつけ合って……で、満ちゃんに蹴り入れてもらった」
「「「蹴……!?」」」
「もう一人の幼馴染は私に甘い人でね。私が悪いことしても責められなかったの。で、満ちゃんがお前の代わりに私が喝を入れてやるよつって。いやぁ。あの時の蹴りはマジで効いたわ……。あ、私達の場合は私が100%悪かったからそうなっただけで、別に殴り合えと言ってるわけじゃないからね? 君達の場合は誰かのせいでこうなってるわけじゃないし。責めるべき相手がいるとしたら……」
海菜さんはその先は言わなかった。小森が何かを言いかけて止める。恐らく、海菜さんが彼女の過去をどこまで知っているのか気になったのだろう。俺も父親から虐待されていたことは知っているが、その虐待の内容まではわからない。恐らくそれは知らない方が良いのだろう。
「……海菜さんは……どうしていつもそんなに冷静で居られるんですか」
「私が落ち着いてないと愛華も落ち着けないからね。だから君達も、あの子の心配してくれるのは良いけど、自分のこともちゃんと大事にしてあげて」
そう言って彼女は俺を見て、次に小森を見た。彼女は俺だけではなく、小森の気持ちにも気づいているのだろう。
帰り道。俺たち三人のスマホが同時になった。俺たち三人と彼女が入っているグループチャットに彼女からメッセージが届いていた。
『今日は来てくれたのに会いたくないなんて言ってごめんね。みんなの顔見るのが怖かったんだ』
彼女の家の方を振り返り、二階を見上げる。窓から覗く海菜さんと目が合う。俺達に気付くと、後ろを振り返って誰かと話し始めた。そしてちょっと待ってとジェスチャーをする。しばらく待っていると、子犬のぬいぐるみが窓から顔を出した。小さな手がそのぬいぐるみの足を左右に動かしてぎこちなく振る。それを見た小森が心臓を撃ち抜かれたように胸を抑えてうずくまった。
「なにあれ……可愛すぎて辛い……」
「元気じゃねえかよ」と苦笑いしていた坂本だが、狐のぬいぐるみを使って手を振る海菜さんを見た瞬間、顔を両手で隠して「なにあれ可愛い」と、星野望の話をする時のような甲高い声でつぶやいた。やはり幼馴染は似るのかもしれない。
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