第5話 いざ異世界へ!

「おう。帰ってきたか」

「は――?」


 退屈な学校を終え、部屋に帰ってきた荒神は自分の部屋の有様ありさまに絶句していた。

 雑誌が床にばら撒かれ、壁はなぜかエジプト風の石壁に変わっている。あらゆる国のお菓子やジュースが机やベッドにこぼれている。

 この最悪のビフォーアフターを作り出した魔神はガムを噛みながらファッション誌を読んでいた。


「お……俺の部屋が……こ、の、アホ魔神! 責任もって掃除しやがれ!」

「なんじゃ、それは願いか?」

「願いじゃねぇ、命令だ!」

「まったく面倒なことよ。おぬしは潔癖症というやつか」

「潔癖症じゃないやつでも許容できるレベルじゃねぇよ!」

「わかったわかった。うるさいのう」


 ヤミヤミは指を鳴らし、一瞬で部屋を元に戻した。


「あ、相変わらず凄い力だな……お前が援護してくれれば異世界でも余裕で生きられそうだ」

「先に言っておくが、願い以外でわれの奇跡に頼れると思うなよ」

「ケチ臭いこと言うなよ」

「ケチではない、能力的に不可能なんじゃ。われは願いを叶えるごとに弱体化する。1つ願いを叶えれば“願いを叶える”以外のほとんどの能力を失うじゃろう。3つ叶えれば力を使い果たし、われ自身も消え去る。そもそも、願い以外でおぬしを援護するのはルール違反じゃからな」

「なんのルールだよ……」

「『魔神ルール』じゃ!」


 荒神は椅子に座り、話を続ける。


「『魔法界へ行く』という願いを叶えた時点で、お前の能力は下がるってわけか」


 荒神は「う~ん」と唸り、


「叶えられる願いは3つなんだよな?」

「そうじゃ」

「だとすると、『魔法界へ行く』と『魔法界から帰る』で2つ願いを使うわけだから、実質残る願いは1つだけになるよな? お前の力に頼れないとなると、この1つの願いがかなり重要になってくる」

「待て待て、『魔法界から帰る』の願いは必要ない」

「俺は魔法界に永住する気はないぞ」

「そういう意味ではない。魔法界からこの世界に帰るのに願いを使う必要はないと言っておるのじゃ。……そうか、まだこのルールを言っておらんかったか」


 ヤミヤミは机の上にあるオカリナに視線を向ける。


「われを呼び出したオカリナ。このオカリナを破壊すればおぬしが叶えた願いは全て破棄される」


 荒神は背もたれからガバッと背中を離した。


「『一億円欲しい』と願い、一億円を手に入れた後、オカリナを壊せば手に入れた一億円は露と消える。『美貌が欲しい』と願い、美貌を手に入れてもオカリナが壊れれば元の容姿に戻る。『ハワイに行きたい』と願い、ハワイへ行ってもオカリナが壊れれば元の場所に戻る」

「それはつまり、『魔法界へ行く』という願いを叶えた後でオカリナを壊せば『魔法界へ行く』という願いが破棄されて、現実世界へ帰還できるというわけか」

「そういうことじゃ」


 この方法を使えば、残したい願いが無い限りあと2つ、願いに余裕ができることになる。


「なるほどな。魔神、もう1つ確認したいことがある」

「なんじゃ?」

「願いのは可能か?」

「予約?」

「例えば、“明日雨が降ったら晴れにしてくれ”という願いは可能なのか?」

「ほう。一定の条件下になったら自動的に願いを叶える、ということか。可能じゃ。その場合、願いが実行された時点で願いの残数は1つ減る。おぬしの例で言うと明日雨が降り、われの力で晴れにした時点で願いの残数は減る。逆に明日が晴れならば願いは消費されないということじゃ。明日になるまでにすべての願いを使い果たすことも可能。その場合、当然ながら“明日雨が降ったら晴れにしてくれ”という願いは消える」

「よし、それなら1つ、願いの予約をしておきたい」


 荒神は予約願望を口にする。


「願いの内容は――――――」


 荒神の予約願望を聞き、ヤミヤミは感心したように頷いた。


「利口な願いじゃな」

「念のためだ。使う気はない」

「うむ! その予約願望、たしかに聞き受けた」

「もう伝え忘れたルールはないよな? これ以上の後だしは困るぞ」

「ない。これで全部じゃ」


 ヤミヤミは大きく欠伸をし、ふわふわと幽霊の如く空中を動いたあと、荒神のベッドに横たわった。


「われはもう疲れた。寝る」

「魔神も睡眠は必要なのか……」


 いやむしろ人間より睡眠が必要な存在なのかもしれない、と荒神は考える。


(コイツは100年間オカリナの中に居た。言い換えれば100年間眠っていたわけだからな)


 それはそれとして。


「おい魔神、それは俺のベッドだぞ」

「おぬしは床で寝ろ」

「お前なら指パッチンでベッドでもなんでも作れるだろうが」


 ヤミヤミは寝息で返事をした。

 荒神は溜息をつきつつ、布団をヤミヤミに被せた。


「魔神が風邪を引くわけもないか」


 荒神は荷造りを始める。


(さてと、荷物第一号は……)


 学校の帰り道で買ったキャンプ用の大きめのバッグに、荒神が最初に入れようとしたのは――一冊の漫画だった。とある作品の第一巻だ。


「……やっぱりこれは手元に置いておかないとな」


 荒神は懐かしそうに漫画本の表紙を眺める。

 漫画の表紙には“sommonerサモナー ofオブ legendレジェンド”という題名が綴られている。


(“sommoner of legend”……通称“サモレジェ”。全36巻の漫画。累計発行部数は一億越えの超人気作品。ただし、作者失踪のため、未完のまま打ち切り……)


 漫画本のカバーは所々擦れており、中は茶色く変色している。もう何千回と読み返したため、状態は最悪だ。

 荒神は目を細め、作者の名前――“神戸こうべ 葉土はづち”に注目する。

 荒神は思い出す。まだ小学生だった頃、事故で足を骨折し入院した病院の病室で出会った男性のことを。


『よう、坊主。暇なら俺の漫画でも読むか?』


 仕切りカーテンから顔を出す荒神に対し、ベッドの上で彼は漫画を描きながらそう笑いかけてきた。

 彼は頭に“ド根性”と書かれたタオルを巻き、看護婦に隠れてタバコを吸っていた。荒神が憧れた漫画家だ。


 彼がこの時渡してきた漫画こそ、この“サモレジェ”の第一巻である。


「どこでなにしてんだよ……おっさん」


 荒神はアホ面で眠るヤミヤミを見る。


(コイツに願えばあの人の居場所もわかるのだろう。いや……どんな理由であれ、続きを楽しみに待っていた読者を置いて、どこかへ逃げたあの人には会いたくないな)


 それからバッグが膨れ上がるほど荷物を詰め込んで、荒神は床で寝た。


 ◆


――異世界出発の朝。


 荒神は紙をめくる音に起こされた。


「この音は……」


 聞き慣れた音、

 原稿をめくる音だ――


「ふむふむ。これがおぬしが描いておる作品か」

「あっ!? お前!!」


 ヤミヤミは荒神の描いた原稿を読んでいた。

 荒神は寝起きの頭をすぐさま起こし、原稿を奪い取る。


「勝手に見るな!」

「どうしてじゃ?」

「どうしてって……これは」


 荒神が編集及び新人賞の審査員に酷評された作品だ。


「面白かったぞ」

「……っ!」


 満面の笑みでそうヤミヤミは言い放った。

 同情で言っているわけではないと、顔を見ればわかる。


「昨日あらゆる創作物を読んだが、おぬしの描いた作品が一番面白い! 続きはないのか?」

「続きは……ない」


 荒神は思わず右手で顔を隠した。きっとだらしなく笑っているだろうと思ったからだ。

 荒神は呼吸を整え、崩れた表情を戻す。


「いいか魔神、コイツは……」


 荒神は原稿を――真っ二つに破った。


「駄作だ」

「な、なんということをっ!?」


 ム〇クの叫びの如く驚くヤミヤミ。

 荒神は「ふっ」と笑う。


「おい魔神。これより面白い作品、読みたいか?」

「も、もちろんじゃ!」

「心の底から読みたいと願うか?」

「無論じゃ!」

「よしいいだろう! お前の願い、叶えてやる!!」


 大声で宣言する荒神に、ヤミヤミは首を傾げた。


なんだ。願いを3つも叶えてもらうなら相応の礼をしなくちゃいけないと考えていた。俺はこの異世界旅行の果てに必ずや最高の作品を描いてみせる。そして、それを真っ先にお前に読ませてやる! それで貸し借りなしだ!」


「おお~っ! あれよりも面白いやつか! 是非とも見たいのう!!」


 ヤミヤミは瞳を輝かせる。


「行こうぜヤミヤミ。傑作を紡ぐ旅へ」

「うむ!」


 荒神の言葉を受けて、ヤミヤミは頷き、窓から差し込む陽光を背に浴びながら宙に浮いた。

 両手を前に出し、体から金色のオーラを出す。


「改めて問おう、アラジン。――1つ目の願いはなんじゃ?」


 荒神はリュックを背負い、答える。


「『荒神千夜を、魔法界へ連れて行ってくれ』!」

「その願い、たしかに聞き受けた」


 ブオン! と突風がヤミヤミを中心に巻き起こる。


「うおっ!?」


 風は荒神の部屋を荒らしていく。2人の足元に巨大な魔法陣が描かれ青色に光り出した。

 ヤミヤミは指を鳴らし、手元にある物を出現させた。


「笛……?」


 ヤミヤミが召喚したのは細長の横笛。ヤミヤミが笛を鳴らすと、荒神の体に異常が起こった。


(か、体が軽い……!?)


 荒神は妙な感覚に襲われた。

 全身の力が抜け、脳の中が空っぽになっていく感覚。徐々に重力が無くなっていって、風船のように飛び上がりそうな感覚はあるのに、しっかりと足は畳についている。


「ヤミヤミ、これ、本当に大丈夫なのか!?」


 ヤミヤミの耳には荒神の声は届いていない。

 ヤミヤミは笛から口を離し、ぶつぶつと言葉を並べる。


「我、精霊をべる者なり。王権おうけんを使用し、あらゆる奇跡の解放を要請する」


 ヤミヤミが唱えると、荒神の手の先が青い粒に変換された。体のあちこちが青い粒子に変換していく。


「時空門の鍵を生成、開錠。審問番号558946777。荒神千夜の体を粒子転換することで時空門の終絶を回避。魔法界に到着後、肉体を再構成させる」


(なにを、言ってるんだ?)


 なにか凄い事をしているのはわかる。

 邪魔はできないと、荒神は声を出さないようにする。


「時空門通過までの時間は10.6秒、再構成までの時間は19.4秒を指定。転移開始――むむっ!?」


 ヤミヤミの顔が歪んだ。


「おいどうした!?」

「しまった、座標の指定を忘れた!! 異世界のどこへ飛ぶかわからんっ!」


 え。と荒神は残った体の部位から汗を滲みだした。


「それって、つまりあれか? いきなり海へどっぼーんっていう可能性もあるってことか?」

「……」

「火山のマグマへダイビングする可能性もあるってことか?」

「……」


 ヤミヤミは数秒の沈黙の後、舌をペロッと出し、


「てへっ」

「おまっ!? ふざけるなクソまじ――」


 転移は始まった。





 転移は完了した。

 荒神が転移した場所は海でもマグマでもなかった。だからと言って、素直に喜べる場所でもなかった。荒神が顎が外れるほど口を開いて驚くぐらいにはヤバい場所だった。


――そこは不毛の地。


 日本の夏の暑さなどぬるく感じるほどの熱気。

 乾いた空気。

 目に映るは水気を搾り取られた枯れ木と、黄色の砂・砂・砂。


「おいコラ、誰がこんなハードモード頼んだんだよ……!」

「……」


 荒神が転移した場所は――大砂漠だった。

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