第18話:血反吐

ロマンシア王国暦215年3月10日:ガッロ公爵家の居城


「お義兄様、どうしてお父様を修道院に入れたのですか?!」


 ロレンツォが執務室で重要案件の決済をしていると、普段は滅多に執務室に来ないマリアお嬢様がやってきた。


 しかも、普段は絶対にロレンツォの仕事に口出ししないマリアお嬢様が、ロレンツォの決定に反対の感情を込めて問い質してきた。


 ロレンツォは内心歓喜していた。

 マリアお嬢様が公爵家当主としての階段を一歩踏み出された。


 だが同時に、ドクドクと心臓から血が流れるほどの痛みも感じていた。

 マリアお嬢様の思い通りにさせてあげられない事に胸を痛めていた。


「詳しい事情をお話しさせていただきますので、こちらにお座りください」


 ロレンツォは素早く執務机から立って、自ら応接用の椅子や机のある方にマリアお嬢様を案内した。

 しかも主人が座る方の椅子をマリアお嬢様に勧めた。


 マリアお嬢様は一緒迷った。

 普段なら絶対にお義兄様よりも上だと主張する事はない。

 だが今回は、お義兄様の決定を取り消してもらわなければいけない。


 誰の目にも動揺が分かるような挙措で、マリアお嬢様が主人席に座った。

 ロレンツォは全く表情を変えなかったが、内心では歓喜に打ち震えていた。

 マリアお嬢様が偉大な最初に一歩を踏み出されたと。


 ロレンツォは優秀な策謀家でもある。

 だから性格もかなりひねくれている。

 マリアお嬢様にだけは毛ほども現れないだけで、敵に対しては情け容赦ない。


 今回はその性格の悪さが初めてマリアお嬢様に向けられた。

 ほんの少しだし、実際にはマリアお嬢様の為なのだが、心ならずも騙す事になってしまうので、ロレンツォの胸は激しい痛みを生み出し続けていた。


「困った事なのですが、ダヴィデ閣下が王家の誘いに乗ってしまわれました」


「え、お父様に王家から提案があったのですか?」


「はい、形だけの当主ではなく、権力を持った本当の当主にするから、マリアお嬢様を王家に売れと言ってきたのです」


「……お父様は私を売られたのですね」


「はい、今でもガッロ公爵家のご当主なのですが、実務を私が仕切っていることがお気に召さないようです。

 マリアお嬢様と私を王家に引き渡す代わりに、大公の地位とガッロ大公家の領地と財宝を自由にできるのです」


「……政略結婚は令嬢の義務ですから……」


「マリアお嬢様はフェデリコ第2王子の側妃になりたいのですか?

 フェデリコ第2王子を愛しておられるのですか?」


「いえ、愛しているも何も、義弟になるとばかり思っていましたから……」


「私の首が刎ねられてもいいと思われているのですか?」


「何を申されるのですか?!

 お義兄様の首が刎ねられてもいいなんて思っていません!」


「ですが、王家の命令に従うダヴィデ閣下を当主のままに残せと申されるのは、私が殺されても構わないという事ですよ?」


「お義兄様なら、お父様を追放しなくても、王家の要求を断れますよね?」


「やれなくはないですが、犠牲になる者がでます。

 マリアお嬢様もダヴィデ閣下のご性格はよくご存じですよね?

 大公の地位と莫大な富を欲して、諦めることなく襲撃を繰り返されます。

 公爵家当主の命令に逆らえず、私を襲う者が出てきます。

 そのような者を、私に殺せと申されるのですか?」


「そんな事は言っていません!

 お義兄様なら、襲撃を強制された可哀想な者達を無傷で捕らえられえますよね?」


「はい、私だけを狙ってくれたなら、やれます。

 ですが、護衛の騎士や世話をしてくれる侍従はどうでしょうか?

 マリアお嬢様が狙われた場合も同じでございますよ。

 襲う者も襲われた者、必ず死傷者がでます。

 お分かりになられますよね?」


「……はい」


「その時、私は襲撃者を処刑しなければいけなくなります。

 彼らだけでなく、襲撃を命じたダヴィデ閣下も処刑しなければいけなくなります。

 義理とはいえ、親となった人を殺さなければいけなくなるのです。

 それでもマリアお嬢様は、ダヴィデ閣下を当主のままにしておけと申されるのですか?」


「お父様を隠居させ、修道院に入れるのはしかたがないと言われるのですね?」


「はい、その通りでございます。

 今なら元公爵家当主に相応しい報酬をお渡しして、余生を送っていただけます。

 密かにもうけられたお子達を殺さずにすみます。

 マリアお嬢様は、異母弟妹を殺す事をお望みなのですか?」


「恐ろしい事を口にしないでください!

 そうですか、やはり弟や妹がいたのですか……」


「はい、ダヴィデ閣下は欲望のままに作られたので、ほとんどが認知されておらず、母親の実家で育てられております。

 ですが、実家には野心があります。

 マリアお嬢様を亡き者にして、子供を公爵家当主につけようと策謀しております」


「止めてください。

 そのような事は聞きたくありません」


「申し訳ありません」


 ロレンツォは血を吐く思いで必要最低限の事情を伝えた。

 どうしてもマリアお嬢様に当主の座についてもらわなければいけなかった。


 今マリアお嬢様に当主になってもらわないと、ロレンツォが当主になるしか道がなくなってしまうからだ。


 ロレンツォは傍流の末端とは言え初代ガッロ公爵の子孫だ。

 だが、ダヴィデが手を付けた女の中にも初代ガッロ公爵の子孫がいる。

 公爵の地位と莫大な富を手に入れる為なら、命を捨ててかかって来る者がいる。


 そんな連中を皆殺しにするのは簡単だが、それではマリアお嬢様が哀しまれる。

 1番マリアお嬢様が心を痛められない方法を考えたら、事前に騒乱の芽を摘んでおくしかなかったのだ。


 だが、マリアお嬢様が公爵家当主に成られる前に、ロレンツォが謀叛を鮮やかに鎮圧してしまったらどうなるだろう。


 それでなくても今も公爵家はロレンツォも子飼いが権力を握っているのだ。

 領民のほとんど全てがロレンツォの当主就任を願っているのだ。


 マリアお嬢様が、家臣領民が望まぬ公爵家当主就任を認められる訳がない。

 それに、マリアお嬢様はロレンツォが自分に強く出られない事を知っている。


 涙を流して心静かに隠棲したいと言えば、願いを叶えてもらえる事をしている。

 ロレンツォがマリアお嬢様を公爵家当主に据えられるのは今しかなかったのだ。

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