第55話 常盤
国王の側室が住むには質素すぎる庵。
陽明と西寧で一緒に住んでいた時のそのままを再現しただけの小さな建物に、九尾の妖狐、常盤は何の文句も言わずに住んでいた。
突然の輿入れで何の準備もしてやれなかったが、それでも常盤は、かえって気が楽で助かる、と笑ってくれた。
常盤の輿入れを快く思わない玉蓮を慮ってか、下女も身の回りに僅か。
だが、常盤は、自分で周囲のことをこなして悠々と暮らしていた。
西寧が庵を訪ねれば、常盤は木々の間を舞いながら飛んでいた。
鬱蒼とした木々の間を、壮羽のような翼もないのに、風のように軽やかに飛ぶさまに西寧は見惚れた。
「おや、西寧様。お越しでしたか」
西寧に気づいた常盤が、庵に戻ってくる。
「すごいな。どうやって飛ぶんだ?」
「関心がおありですか? 妖力で空気をはじくのです。一つの所に妖力を集中いたしますでしょ? そうして一気に開放してやれば、大きな力が産まれます。その力を上手に調節して……」
常盤は、手のひらの上で小さな妖力の玉をつくってそれをはじいてみせる。
ポンと小さな音を立てて、妖力がはじける。
「これはすごい。なるほど。ええっと……」
西寧も真似してみようと思うのだが、どうもうまく一点に集中することも難しい。
「ふふ。こんな虎精は見たことがありません。虎精の方は、力がお強いから、妖力に頼りませんでしょ?」
九尾狐常盤が楽しそうに笑う。
「まあ、変り者という自覚はある……だが、これはぜひ体得したい。空を飛べるだなんて、ワクワクするではないか」
空を飛ぶことは、西寧の小さい頃からの憧れ。翼がなくとも飛ぶ方法があるならば、体得したい。
妖力の調整を誤って、右へ左へと常盤の前を転げまわる西寧。ドロドロになりながら、笑っている。少しも王様らしくないただの少年の姿。
「ほら、手をお貸しください」
常盤が地面をはいつくばって泥まみれになった西寧の手をそのまま掴む。
泥で汚れ切った西寧を抱きしめて、ふわりと宙に浮く。
壮羽に抱えられて飛ぶ時とはまた違う、自分自身が風になったかのような感覚。
「一緒に飛べば、感覚も掴みやすうございましょう?」
涼やかに常盤は微笑む。
「常盤……お前の衣装が、泥まみれになったぞ?」
真っ白な常盤の衣装が、所々泥で黒くなってしまっている。
これが玉蓮だったならば、烈火のごとく怒る場面だ。
「おっと、言われてみればそうですね。転げまわる西寧様が面白くて忘れてました。……まあ、後で頑張って洗濯いたします。それよりも、ほら、ご自分でも妖力で飛んでみて下さい」
しれっと常盤はのたまう。
常盤に促されて、妖力を集中して一気に破裂させることを繰り返す。
小刻みに、大気を震わせる程度に……。
「ほら、だいぶ上手になられた。手を離してみますか?」
「わ、待て。ちょっと待て!! 手を離したら、落ちる!」
慌てる西寧を、楽しそうに笑いながら常盤が見ている。
「一瞬だけ、一瞬だけですから」
常盤の手が、ゆっくりと西寧から離れ始めるが、慌てれば慌てるだけ妖力は安定せずに西寧はフラフラと上下左右に蛇行する。
「落ち着いて……駄目なら必ず助けますから……」
すうっと離れた常盤の手。
自分の妖力だけで、西寧は空中に確かにとどまる。
だが、それは一瞬。制御不能になった西寧は、ストンと地面に向かって落ちていく。
慌てて常盤が西寧を捕まえる。
そのまま、地面にゆっくり西寧を下ろせば、そこへ座り込んでしまう。
「恐ろしゅうございましたか?」
常盤が心配して、西寧の顔を覗き込む。
もう、妖術の練習は止めると言い出すだろうか?
常盤が案じていると、
「常盤! すごい! 一瞬だが、確かに飛べたんだ!」
西寧が、そういって常盤に抱きついてくる。
泥だらけの西寧に突然抱きつかれて、常盤は地面に押し倒されてしまう。
……泥の中、顔も髪も、衣も真っ黒になってしまった常盤。真っ黒になって常盤がキョトンとしている。
「わ、すまない。……せっかく綺麗な常盤の顔が!!」
慌てて西寧が、自分の袖で常盤の顔を拭う。
「そんなに慌てなくても。たかが泥です」
常盤は楽しそうに笑っていた。
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