第27話 捕虜


 実を言うと俺は鬼人族のダグダと一度だけ会っている。

 会っていると言っても会話をしたわけではない。奴は四肢を拘束された上に昏睡魔法をかけられていた。


 ただ、ダグダのか細い呼吸音だけが聞こえる密閉された鉄の部屋で同じ時間を過ごしただけだ。


 転生の際に与えられた固有スキルは『適応ザ・アダプト』という。

 常時発動型――パッシブスキルで、俺の意思でスキルを解除することはできない。


 その能力とは、どんな環境にでも適応できるというものだ。


 転勤族の子として転校を繰り返し、周囲に馴染めず、まともに友達を作れなかった俺の欠点を補うようなスキル。


 俺は鬼人族のダグダと2週間もの間、何もない部屋で過ごした。


 本来であれば、もっと時間をかけて体に"鬼人族"を馴染ませる必要があったのだが、魔王国へと出発に合わせる必要があったから中途半端になってしまった。


 だから鬼人族の象徴である角が生えず、カチューシャで偽装するしかなかった。



 案内役を買って出た剣聖の後に続き、階段を降りる。

 冷んやりとする空気に、雫が落ちる音が続く場所だ。


 俺は目隠しをされ、腕を掴まれた状態で歩かされている。


 ここがどこなのか検討もつかない。


 それほどまでにダグダの監禁場所を知られたくないのだ。

 でも、俺はここから奴を連れ出すわけだから目隠しされても関係ないのだが。



「目隠しを取るぞ」



 薄暗い鍾乳洞のような場所で蝋燭ろうそくの灯りが頼りなく揺れていた。



「この扉の先にダグダがいる。私が昏睡魔法を解いたら確実に暴れる。無理だと判断すれば、魔法を掛け直すからな」



 静かに扉を開けた俺の後に続こうとする剣聖を制止して首を横に振る。



「警戒心は薄い方がいい。俺一人で入る」

「危険だ。殺されるぞ」

「そんなヘマはしないっすよ。俺、元の世界に戻るんで」



 にっと笑って牢屋の中に入って扉を閉めた。


 部屋の中は俺が2週間過ごした鉄の部屋とは別物で、洞窟を切り抜いただけの空間だった。


 中央には首輪をつけられ、四肢を鎖に繋がれた鬼人族が浮いている。


 その額には二本の角が生えていたが、どちらも途中で折られていた。


 間違いない、ダグダだ。


 強制的に眠らされている鬼人族の族長の呼吸が乱れていく。

 剣聖が魔法を解いたのだ。



 ――来る。



 閉じていたまぶたが開き、充血した目が俺を捉えた。


 荒々しく、心臓を突き刺さすような危機感。


 純粋な殺気が向けられている。



「グアアアアアァァァァァッッ!!」



 俺に食らい付こうとして首輪から伸びる鎖が音を立てた。


 ダグダが暴れる度に杭の打たれた洞窟の穴が緩んでいく。



 ガシャン! ガシャン! ガシャン! ガシャン!



 手足が鎖が繋がれていることに気づき、唯一の攻撃手段である顎を鳴らしながら、俺へと近づこうと抵抗している。


 まさに狂乱状態。



「殺してやる、人間風情がッ!!!!」



 ビリビリと空気が震え、折れた角から溢れ出る魔力が俺へと絡みつく。


 ダグダが暴れれば、暴れるほどに手足に枷が食い込み、肉を削いでいく。

 痛みを感じないほどに怒り狂っているダグダが止まる気配はない。


 そして、ついに片手が枷から外れ、ぶらんとだらしなく垂れた。

 滴り落ちる緑色の血液が地面を染めて、血だまりを作る。


 骨が剥き出しになった手が俺へと伸びるが、俺は距離を保ったまま、その抵抗を眺めるだけだ。



「殺す! 殺す! 殺してやる! 人族は根絶やしにしてやるッ!!」



 更にもう片手を無理矢理に枷から外し、強引に首輪も引き千切った。

 最後に残った足枷は外れず、力負けした洞窟の方が先に崩れた。


 幸い、崩壊するまでには至らなかったが、杭は抜けてしまい、ダグダは地面に落ちて獣のような姿勢で俺を睨みつけた。


 魔力の膨張の先にあるのは自滅。

 自分の命を引き換えに俺とこの国を破壊しようとしているのだ。



「落ち着け。俺は敵じゃない」



 俺が意図的に放出した魔力を感じて、人族ではないと判断したのか、目を見開いたダグダの動きが止まった。



「分かるか、族長。あんたを助けに来た」

「黙れッ!! あれから何年が経った!? 今更、助けに来ただと!? ふざけるな!」



 ダグダの渾身の右ストレートを受け止める。

 その衝撃は凄まじく、洞窟全体を揺らした。

 だが、もう右手は使えない。何十年も使っていなかった腕が突然の衝撃に耐えられるはずがない。



「角が折れた状態でもこの力か。とんでもねぇな」



 鬼人族にとって角が重要器官であることは、シャナダの角を折ったときに知った。

 いくら二本角ディアホーンでも折れたら魔力も腕力も半減するはずなのに、手負いの上に半覚醒の状態でもこの威力を出せるとは……。



「こんな死に損ないを助けるために敵地に乗り込んだだと!? そんな暇があるなら同胞を守れ! 家族を一人でも死なせない努力をしろ! シャナダは何をしている!!」

「そのシャナダの願いだ。時間がない。さっさと里に帰るぞ」

「ほざけ、小僧! 貴様のような子供に何が分かる! 今更、どの面を下げて家族の元に帰れと言うのだ!」

「その痩せこけた、ボロボロの面で帰るんだよ! 待ってくれている人がいるんだぞ! 甘えんな!」

「小僧ッ!!!!」



 ダグダの唇からは血が滲み、血走った目からは血と汗の混じった涙が零れた。



「俺は敵じゃない」



 フードを脱ぎ、銀髪赤目の姿を晒す。

 擬装用のカチューシャはシャナダに壊されてしまったから角はないけれど、今なら信じてもらえる気がした。



「貴様は何者だ。この魔力は鬼人族のものではないぞ」

「何者か……。俺は――」



 前世では転勤ばかりの両親の間に生まれた子供で、この異世界に転生した孤児で、鬼人族に成りすました人間のスパイで、唯一の魔王の婿候補で。



 俺は――



「鬼龍族のツダという」



 ダグダの魔力が小さくなっていくのが分かった。

 自分の身と引き換えに人族の国を爆発させようとしていたダグダが大人しくなった。



「鬼龍族……。オーガとダークドラゴンの始祖。その生き残りが存在していたのか――」

「オーガの里にはあんたが必要だ。シャナダではあんたの代わりは務まらなかった。惨めでも、情けなくても、家族の元に帰って一族をまとめろ。それがお前の生きる理由だ」



 もうダグダは戦えない。

 最初はボコって連れ帰ろうと思っていたが、奴は自滅の道を選んだ。


 仮に四肢の傷が癒えたとしても角の修復は不可能だ。つまり、魔力と力そのものは元に戻らない。

 それは息子であるシャナダも同じだ。


 俺は人族のスパイだから、不用意に人族を危険に晒すことはできない。

 だけど、必要なら何でもやる。


 ダグダという、2代目魔王時代の四天王を魔王国に連れ戻すことは人族にとってデメリットでしかない。

 だが、二度と前線には出てこないなら、そこまで脅威にはならないはずだ。


 そのためにダグダを痛めつけるつもりだったが必要なくなった。

 奴はもう自力では立てないほどに消耗しきっている。


 俺は鬼人族の戦士を2人も使い物にならない姿にした。

 これなら、多種族同盟軍のお偉いさん方も許してくれるだろう。



「ツダ殿……。お主に従う。わしを、家に帰してくれっ」



 額を地面にこすりつけて懇願するダグダに、シャナダの姿が重なった。

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