第3話 初出勤


 頬を叩き、支給された執事服を着て、カチューシャ型の角を装着する。


 遂にここまで来た。

 初日からヘマをするわけにはいかない。



「……念のために」



 ジュエリーボックスから2つの指輪を取り出してはめておいた。

 悪趣味な金色のネックレスも身につけているから成金感がすごい。


 ネックレスに関しては二度と外れないから、どうしようもできないんだけど。


 ここの場所は各種族の魔物たちの居住区を抜けて左に曲がった立派な宮殿の一室。

 連中からは魔宮殿と呼ばれている。


 真新しい外壁に文明的な石造り。


 反対側に建てられた魔王宮と対になるように、当てつけるように鎮座する俺の新しい職場だ。


 こんな立派な宮殿の客間だったとしても鏡なんてものはなく、窓に映る自分の姿を見てカチューシャを微調整した。


 この角は魔王軍の連中を欺くための飾り。

 ドワーフ族の作品で簡単に壊れたりはしないらしいが、「さすがに触れられると偽物だとバレちまう」とのことだ。


 中身は空洞で軽い。なんなら付けっぱなしで寝ても違和感がないくらい付け心地の良い代物なのだが――


 なんか、今日はやけにつけにくいな。

 ジャストフィットしない。


 何度も銀髪の中にカチューシャ部分を隠して位置の調整を行っていると、ドアがノックされた。



「っ!?」



 こういう時にノックされるのが一番心臓に悪い。


 幸いなことにここで働く使用人たちは最低限の礼儀をわきまえているらしい。

 その辺の魔物なんて、「ツダー!」とか叫びながら平気でドアを蹴破ってきやがるからな。



「ひゃい!」



 なんて、涼しい顔で回想しているが俺の声は上擦っていた。



 だって怖いもん! 


 俺、人族だよ!?

 そんな奴が敵国の王様の一番近くに来てるんだから、心臓がいくつあっても足りないって!


 むしろ、なんで2年もバレてないんだよ!

 お前らの目と感覚器官は節穴か!?



 小さく音を立てて開かれる扉の向こう側から斑点模様が見えた。



「初めましてだな、鬼人族のツダ。私はフルーレ。ここでの基本的なルールと貴殿の仕事について説明する」



 失礼を承知の上で目を擦って二度見した。


 ……豹だ。

 四足歩行の豹が魔族の言葉を話している。


 人間の使用する言葉とは違い過ぎて、俺が習得に苦戦した魔族言葉。

 それをただの動物が話しているなんて信じられなかった。



「久々にそのような目を向けられた」

「あ、すみません」



 そっぽを向いた豹の尻尾が揺れている。

 まるで、着いて来いと言っているようだ。



「鬼人族を近くで見るのは初めてではないが、随分と脆弱で面白い魔力だな」

「俺は北の出身なので」



 動物の顔をした種族との会話には慣れたが、純粋な動物との会話は初めてかもしれない。

 人族の中に居ても動物と喋ることはなかったからな。


 ドラゴンとか、アンデットとかならあるんだけど……。

 それもおかしな話か。



「生まれた場所で異なるのか?」

「北部出身者は肌の色素も薄いし、魔力も弱い。おまけに闘争心も薄いときた。困ったもんですよ」


 大袈裟に肩をすくめて見せると、隣をのしのし歩いている豹は鋭い牙を剥き出しにして笑った。



「ほぅ、それは興味深い」



 ……知らんけどな。


 鬼人族なんて滅多に魔王国にいないから多少の嘘をついてもバレないだろう。

 それに魔族は薄情というか、他種族への感心が薄い。


 多種族国家のくせに自分の種族には優遇を求め、他の種族を蹴落として、出し抜こうとする。そんな愚か者の集まりなのだ。


 だからこそ功績を挙げようと張り切って戦場に出る。生粋の蛮族だ。



「鬼人族にしては珍しく、貴殿は博識で知略に長けていると評判だぞ」

「それでも戦えない奴は無能扱いだから俺は戦場じゃなくて首都こっちにいるんです。俺は今の生活に満足していますよ」

「それもまた善し悪しか」



 っていうのが、俺が勝手に作り出した設定だ。


 実際に鬼人族が北部と南部で容姿や性格が変わるなんて、どの書物にも記されていないし、話も聞いたことがない。


 あいつら、戦場でしか輝けないからってオーガの居住区にも寄りつかないらしいからな。さながら傭兵部隊といったところだ。

 命令無視の常習犯だが、単独行動をさせれば右に出る者はいない。


 人間に姿が似ているというだけで鬼人族を装うことにした俺の選択は間違っていなかった。



「変わった御仁だとは聞き及んでいたが、これ程とは。魔王様もさぞ気に入られるだろう」

「これから魔王様と?」

「いいや。今はお会いできない。まずは能力を示すことからだ」



 最初に豹に案内されたのは俺の私室。

 飾り気のない質素な部屋だからこそ、薔薇が生けられた骸骨がいこつの場違い感が浮き彫りになっている。


 続いて、俺の仕事部屋。

 こちらは反対に物で溢れていた。


 横長の机と座り心地の悪そうな椅子が一脚ずつ。それと大きめのソファ。

 あとは乱雑に置かれた書類に大量の書物。



「……ちょっと、失礼」



 無意識のうちに歩き出していた俺は取り繕うように断ってから、棚の中から資料を取り出し、パラパラと捲っては閉じての動作を繰り返した。



「流石は『管理局の書類鬼』と恐れられる御仁だ。この放置された資料がいかに貴重な物であるかひと目で分かるらしい」



 豹はクツクツと笑う。



「……これだよ、これ」



 反対に俺は笑いを堪えるのに必死だった。


 ここには俺たち多種族同盟が知りたかったことが全部ある。


 埃を被った資料には、魔王軍に属する魔物たちの戦歴、与えられた領土、そして各種族の歴史などが記されていた。


 これを読むだけで何百年にも渡る人族への損害がいかに甚大であったかが分かる。



「魔王様は貴殿の書類業務さばきと情報整理能力を見込んで、召し抱えることに決められた。貴殿に与えられる主な仕事は書類の判別、敵対する者の情報収集・分析、まつりごとに関する相談役である」



 ここでも情報屋か。


 でも、この部屋なら好きなだけ魔王国、魔王軍の情報を得られるし、自由に情報操作ができそうだ。



「これが報酬だ。納得できれば契約書にサインを」



 そんなものどこに……。


 訝しみ、振り向いた俺は資料を抱きしめて後ずさった。


 そこには豹ではなく、俺と同じ執事服を着た角の生えた紳士がいた。

 その手には契約の内容と報酬、期間などが事細かく記された一枚の紙が握られている。



「その姿が正体ってわけですか」

「どちらも等しく私だ。さぁ、どうする?」

「随分と破格じゃないですか。俺を買い被りすぎでは?」

「魔王様にとって煩わしかった書類業務を激減させた男だ。特別扱いは当然のこと。もちろん、報酬に見合った働きはしてもらうつもりだ」



 こいつ、悪魔だったのか。

 それも魔王の従者に相応しい上位悪魔グレーターデーモンだ。


 これが魔王の住処――魔宮殿。


 結局、俺は契約書を隅々まで読んだ上でサインした。



「結構。最後にここでのルールを一つだけ伝えよう」



 フルーレの瞳が獲物を見つけた時のように輝く。



「存在意義を見せつけ続けること。それさえしていれば、我らは同格。年齢も仕えた年数も種族も関係ない」



 フルーレは――魔王宮の連中とは違うのでね、と付け加えてから豹の姿へと戻った。


 ネコ科とは思えない程、ゆったりとした動きで廊下へ出ようとするフルーレがふと足を止めて振り向いた。



「脆弱と言ったことを詫びなくては。新参者にも関わらず、この魔宮殿で平然としていられたのは貴殿が初めてだ。これからも末永く、共に魔王様に仕えられることを願う」



 俺はあと70年も生きられれば、日本人の平均寿命だぜ。

 お前ら悪魔と一緒にすんな。


 俺は下手くそな苦笑いを返すしかなかった。



「さすがはダークドラゴン族の長、クシャリカーナの推薦なだけはある」



 ありがとう。


 大絶賛されてるところ悪いけど――


 俺、人間だからね!?

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