【087】人生なめんなよ

「営業時間は夜二時から午前二時半頃まで。人は『深海食堂』って言ってるよ。客が来るかって? それがけっこう来るんだよ」


 語りかけるように独りごちるのは、食堂『もあい』のマスターだ。鍋焼きうどん、ビール、日本酒、焼酎。メニューはこれだけ。


「あとは勝手に注文してくれりゃあ、できるもんなら作るよ、ってぇのがオレの営業方針さ。さて」


 ピアスがおちゃめなモアイ像の看板を出し、開店の準備が整った。さっそく常連客のヨウが入って来る。


「いらっしゃい」

「マスターいつもの」

「あいよ」


 陽気でおしゃべりなヨウは、カウンターのいつもの席に座ると、今しがた見てきたばかりだというミュージカルの話を始めた。マスターは調理をしながら「ふんふん」と聞いている。だしの香りが漂い、やがてあつあつの鍋焼きうどんができあがった。最後にことりと添えられた小皿を見てヨウは「うほっ」と声を上げる。


「これこれ、これがなくちゃあ」


 かっぱえびせん。ヨウはえびせんをぽきぽきと折りながら鍋焼きうどんの上にトッピングしていく。「やめられないとめられない」と調子っぱずれに歌いながら。


「ところで今日『彼』は来るのかい?」


 ヨウはふとマスターを見上げた。


「さあ、オレには分からないねぇ……あ、いらっしゃい」


 和装の似合うカンが軽く会釈する。注文はやはり「いつもの」。ほどなくして紅茶とピーナツが出されると、カンは黙ってそれをつまみ始めた。


 続いて女の子三人組のご来店。


「ねえ、何にする?」

「鍋焼きうどんですって、いい香り」

「じゃあ鍋焼きうどん三つと、あと日本酒をロックで」

「あいよ」


 三人はすぐに鍋焼きうどんを注文。お腹が空いていたのだろうか。できあがるや否や、凄まじいスピードで吸い込まれていくうどん。その横でヨウとカンはのん気にえびせんとピーナツの交換なんぞしている。


 やがて深く帽子をかぶった一人の青年が入って来た。サングラスで顔が見えないようにしているが、只者ではないオーラに包まれている。ほろ酔い気分で帰ろうとしていた三人がにわかに色めきだった。


「うそおお、ニン・ジャンよ」

「やだ、あたしったら汗かいちゃって、メイク崩れてないかしら?」

「大丈夫、ばっちりテカテカ」


 三人はきゃあきゃあと青年に近付いた。帽子とサングラスを取った青年がにっこりと微笑む。青年は人気役者のニン・ジャンであった。三人からサインを求められ、胸ポケットから万年筆を取り出すと笑顔で応じた。


「すっかり人気者になっちまって」


 大満足で帰っていった三人組を見送って、ヨウがジャンに話しかけた。

 

「いやあ今回もよかったなあ、『ザ・キャッツ』。見事だったよ、あの屋根から飛び降りて敵を蹴散らすシーンなんて感動したね。あんな芸当ジャンにしかできないよ」

「……ありがとうございます」

 

 『ザ・キャッツ』はジャン演じる猫侍が捕らわれし姫を救い出すという人間と猫のハートフルなアクション時代劇だ。ヨウが今日見てきたのがこのミュージカルであり、ジャンこそが会いたたがっていた『彼』なのであった。売れない役者時代のジャンの苦労を知っているヨウは、今のこの活躍ぶりが嬉しくてたまらないのだ。

 

 だが、ジャンは嬉しそうな顔をするどころかしょんぼりとうなだれてしまった。


「どうしたんだい? 元気がないじゃないか」

「だって僕、いつも猫の役ばかりで」


 それがどうしたとばかりにヨウが首を傾げる。


「この間の『永遠の猫物語』だってそうだけど、君だからこそできた役だろう? 話題になってたじゃないか、『軽やかに宙を舞うニン・ジャン。そのしなやかさは猫さながら!』なんて」

「それは……主役にもなれたし話題にもなりました。でも」


 ジャンはくっと拳を握った。


「僕がやりたかったのはそんなんじゃないんです。どんなに人気が出たってちっとも嬉しくないんです。せっかく地球まで行ったのに猫の役なんて。僕が……こんな顔でさえなければっ」

 

 青年は両手で顔を覆った。指の間から黒い毛がはみ出る。


「皆さんも僕のこと成功者だと思っているんでしょう? 人間に受け入れられた最初の宇宙人だからって。でも、違うんです。高いところからジャンプできるのも、身のこなしが軽いのも、珍しいこの見た目も、人間から見れば羨ましい個性であり特技なのかもしれない。だけど僕にとってはそんなもの自慢でもなんでもないんです……そんなものなくていい、もっと平凡でいいから、せめて、せめて人間の役を……演じている間だけでもいいから、僕は人間になりたかった!」


 猫顔のジャンの目からこぼれた。初めて聞くジャンの本音にヨウははっとしてジャンを見つめた。


「……そうだよな。ジャンは見た目が猫なだけで演劇の好きな普通の猫顔宇宙人なんだもんな。人間と暮らしたくて、人間を演じたくて地球にまで行ったんだもんな」


 ずっと気味悪がられてきた宇宙人たち。今日ミュージカルを見るために劇場に忍び込んだときも、人間に見つからないようにするのにどれだけ苦労したことか。うまいこと人間界に溶け込んだジャンのことをつい勇者扱いしてしまっていた自分に気付き、ヨウは「悪かったよ」としんみりと呟いた。そして触手のような腕をくねくねとジャンの肩に回した。


「そうだ、注文まだだろ? マスター、ジャンに特別うまいものを作ってやってくれないか」

「あいよ」

 

 ヨウに言われて、マスターはおもむろにオレオを取り出した。ジャンの目がきらりと光る。


「オレオ! 子どものころ劇団の稽古の合間によく食べてたんです。懐かしい」


 マスターはジャンに向かって軽くウインクすると、オレオをクッキーとクリームに分け始めた。荒く砕いたクッキーを先にグラスに入れ、クリームを混ぜこんだバニラアイスを形よく盛り付け、少しだけ残しておいたクッキーのかけらを上からかける。ここからは仕上げだ。


「ちょっと失礼するよ」


 そう言うとマスターは店の裏へ回った。北斗七星をつないで天の川をすくう。急いで店に戻り、グラスにすくった星を手早く振りかけた。アイスの上で星がきらきらと光を放つ。さっきまで泣いていたジャンも、髭をぴんとさせてその様子に見入っている。

 

「特製オレオパフェ。これを食べればたちどころに元気になれる。そういう念力を込めておいた」


 マスター、再びのウインク。器用にもさっきとは逆の目で。


「いただきます」


 スプーンですくったアイスクリーム。ジャンが口に入れると星がぱちっと弾けた。クリームの混ざったミルキーなアイスとクッキーのほろ苦さが、ジャンに夢いっぱいだった子ども時代を思い出させた。


「そういえば、自分がどうしたいだとか、何を演じたいだとか、主張したことありませんでした。みんなが猫らしいことを期待してるのがわかるから、それに応えなきゃって、猫らしくない僕は受け入れてもらえないんじゃないかって、そればかり考えていた気がします」

 

 パフェを食べ終わったジャンは明るい口調で言った。

 

「僕、ちゃんと話してみます。僕の本当の気持ち」


 ヨウが無言で何度も頷き、代わりにずっと黙っていたカンがぼそりと声を発した。


「世の中は弾けて光って天の川。お前ならきっとできる」


 ジャンは店の前に止めてあったUFOに乗り込むと、三人に見送られ、地球を目指して発進した。近くの星が赤く点滅する。他に通行者なんていないのに、ジャンは律儀にUFOを一旦停止させた。


「うん、ジャンならきっと大丈夫」


 隣でヨウがふっと頬を緩めた。星が緑に光り、再びUFOがゆっくりと動き出したのを見届けると「それじゃあ俺たちも帰るわ」そう言ってヨウとカンはにょろにょろと仲良く帰っていった。


 さて店じまいだ。ふと女の子たちの座っていた辺りに大量の鱗が散らばっているのを見つける。こんなに大量の鱗を落とすなんて、思いがけずジャンに会えたのがよほど嬉しかったのだろう。大丈夫大丈夫。マスターは心の中でそう唱える。きっとあの女の子たちはジャンがどんな役を演じようともきっとジャンのファンであり続けるはずだ。


 人間の世界に飛び込んだ猫顔宇宙人のジャン。若かったころの自分を思い出し、マスターは余った星屑を口に入れる。ぱちっと弾けたその小さな痛みに、勇気が湧く。



 

 新しい演目が決まったとジャンが喜び勇んで『もあい』を訪れたのはそれから数週間後のことだった。人間のニンジャの役を演じるのだという。再びオレオパフェを注文したジャンは、ぺろりと平らげ爽やかに笑った。

  


 

 初公演の日、マスターはテレビでジャンを見守った。画面の隅に劇場の天井に張り付くヨウの姿がばっちり映っていて思わず吹き出す。ミュージカルは大盛況だった。笑いあり涙ありのドタバタバトルアクション。カーテンコールで登場したジャンは、びっしりとした黒い毛に覆われていても分かるほど、なんとも嬉しそうなきらきらした表情をしていた。

 

 マスターはテレビを消すと「ふう」と小さく息を吐いた。真っ暗になった画面に立派なリュウグウノツカイの姿が反射した。




 マスターは広い星空に憧れて宇宙を目指した初めての深海魚だった。宇宙人になりたかったわけではないけれど、宇宙で暮らしてみたかった。深海魚が宇宙だなんて、周りには随分と反対されたものだった。それでもどうしても夢をかなえたかった。どんな結果になってもいい、やらないで後悔するよりは。そうして今、ここで静かに食堂を開いている。静かでささやかだけれど、幸せな毎日であった。

 

「人生なめんなよ」


 己の勇気で人生なんていくらでも変えられる。思い通りにならない一生だなんて、ひとつも面白くないじゃないか。今日もまた一人、なりたい自分になれた若者がいる。そっと背中を押すのが自分の役目、マスターはそう信じている。

 


 

 ここは広い宇宙にぽっかり浮かぶ小さな食堂。人は『深海食堂』と呼ぶ。今日もいろんな客がやって来る。マスターの美味しい料理と優しさが、あらゆる生き物の心を潤してくれる。



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(本文の文字数:3,989字)

(使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」「うた」「日本酒」「未確認飛行物体」「モアイ像」《叙述トリックの使用》「ひしゃく」《飯テロ要素の使用》「念力」「万年筆」「ピアス」「カーテンコール」「紅茶」「深海」「赤信号」《和歌or俳句の使用》)

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