【073】光るピアス

 「だれも来ていないなら行けばいいじゃないか」

 ニンジャが左の耳元で囁く。

 ずっと信号が変わることを待っていて、一歩も動こうとしない黒猫のミウにイライラして、ニンジャはミウの回りをぐるぐる走る。

 ミウは囁かれることが苦手。だけど、ニンジャのことは気にも留めないで、じっとしている。ずっと、信号が変わることを待っている。この信号は、故障していて永遠に変わらないのではないか。この信号は、赤信号しか灯さないのではないか、だんだんと焦ってそう、感じる。ところが、ミウは身体が動かない。一歩も足を出すことができない。この信号は故障していて永遠に変わらないのではないか、と感じる。焦ってきているはずだけれども、なぜだか、だんだんと、ここにじっとしていることに、馴染んできた。

 

 ぐるぐるぐるぐる、回りを走って、勝手にこちらにイライラをぶつけてきたニンジャは、もう、いなくなった。いなくなって、ほっとしたミウなのに、何か、気配を感じる。

 河童がやってきた。美味しそうなにおいをさせて近づいてくる。すぐに逃げたい。何より、そんな鍋焼きうどんのにおいなんて好きでもないし、じっと、ただ、ここにじっといたいだけなのだから、もう、何の気配も感じたくないので、河童と話しもしたくない。

 「今さっき、彼女に鍋焼きうどんを作ってもらって食べてきたんだ。こんなところにじっとしていないで、きみも、彼女に鍋焼きうどんを作ってもらって食べるといいよ」

 河童が右の耳元でぶつぶつと云う。

 ずっと信号が青に変わるのを待っていて、その長い間にも、トラック、スクーター、パトカー、救急車、何台も通り過ぎていく。

 ミウはぶつぶつ云われることが苦手。というよりも、嫌い。恐い。苦しい。だけど、河童のことは気にも留めないで、じっとしている。動けなくなったというよりも、動きたくない、ただ、じっとしていたい。


 ぶつぶつぶつ、回りをうろうろして、彼女の作った鍋焼きうどんを勧めてきた河童は、もう、いなくなった。いなくなって、ほっとしたミウなのに、何か、気配を感じる。

 やってきたのはモアイ像。

 ずっとじっとしている場所から動いてきたのか、遥か彼方から、どのようにやってきたのか、ミウのぼんやりとした頭では何とも考えられなかった。分からなかった。分からない中で、

 「そんなにここが好きなら、ここに、いたらいいよ。行かなくても、いいよ」

 モアイ像、2m先から叫んだ。叫ばなくても、ここには誰もいないので、聞こえるというのに、モアイ像は叫ぶ。そして、訊ねていないのに、

 「未確認飛行物体に乗って、やってきたんだよ。目の前の赤信号が変わらなくても、変わっても、ここを離れたくなかったら、ここにいたらいいよ。ここを、離れたくなったら、離れればいい」 

 モアイ像、2m先から叫んだ。叫ばなくても、ここには誰もいないので、聞こえるというのに、モアイ像は叫ぶ。そうして、静かに、黒猫ミウの視界から消えていった。

 

 

 月日が過ぎ行くなかで、時間が深くなる中で、いろんな物や人や、うたは、流れていく。そして、沈んでいく。沈んでいった深海の中に、光るピアス。ピアスだけは、深海の中で消えなかった。見失わなかった。ミウは、むかしむかし、海の中で生活をしていた。ずっと、ここにいて、しあわせだった。ここから、出ることなんてない、そう思っていた。光るピアスがうたいだすまでは。

 うたいだした光るピアスのメロディに導かれ、ミウは、海の上を目指し走り出した。

 猫であるミウは海の中を走り、海面を目指し、地上へ到達。無我夢中だった。兎に角、全身全霊で、必死だった。だから、もう、今、だれかに、その方法を訊ねられたとしても、ミウは答えを持っていない。もう、忘れてしまった。だけど、どうにかして答えなさい、と云われたら、念力が全身を駆け巡った、そう答えるだろう。


 夕暮れ時に紅茶を飲んでしまったので、眠れなくなった黒猫ミウは夜の街に飛び出した。

 「だれも来ていないなら行けばいいじゃないか」

 ニンジャが左の耳元で囁く。


 今は、ミウは、のっそりと、一歩を出す。


 そうすると、目の前に、万年筆で書かれた俳句が、はらりと、落ちてくる。


 眠っても歩き出せよと春の闇


 ミウは、夜が明けるまでに、海の中に帰ろうと決めた。もう、ここにはあのうたいだした光るピアスはなくなってしまったから。海の中に帰ろうと、歩き出すことに、決めた。



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(本文の文字数:1,783字)

(使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」「うた」「未確認飛行物体」「モアイ像」「念力」「万年筆」「ピアス」「紅茶」「深海」「赤信号」《和歌or俳句の使用》)

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