【067】ながれぼしひとつ、このこいふたり
すっかり暗くなった空を見上げていると、食欲をそそる匂いが、風に乗って流れてきた。
「彰くん! そろそろ食べられるよー」
大きな声で俺の名前を呼んだ文香は、右手にトングを持ちながら、笑顔で手を振ってきた。
俺が大学の天文サークルに入ったのは、幼なじみの文香に誘われたからだった。文香とは、幼稚園から大学まで一緒。なんで、サークルまで一緒に入らなきゃいけないんだよと悪態をついたけれど、本当は俺自身が文香とずっと一緒にいたかった。
串焼きをひっくり返している文香の隣の席に座る。串焼きはもうすっかりいい感じに焼き上がっていて、文香はそれを俺の皿の上に乗せてくれた。
「はまぐりも食べる?」
鉄板の端っこの方で、はまぐりが大きな口をあけはじめていた。まるで、「かえるのうた」を歌っているかのように見えた。
「はまぐりも食べたいけど、あっちはなに?」
指をさした先には、サークル内のほとんどの人が群がっていた。
「あれは、食べ物じゃないよ」
文香はクスッと笑うと、はまぐりをふたつ、俺の皿の上に乗せてくれた。そこに、一滴ずつ、醤油を垂らしてくれたせいか、香ばしい香りが嗅覚を刺激する。タイミングよく俺のお腹が鳴き出すと、それを聞いた文香は、ウフフと笑った。
「じゃあ、なに?」
気になるなら、自分で行けばいいのだが、せっかく文香の隣に席を取れたのに、今俺がここを離れて、もしも他の誰かに奪われたらと思うと、立つ気にもなれなかった。
文香はどこにいっても、いつも男女問わず注目の的だ。高校時代、演劇部の助っ人で出演した舞台では、主役の女の子よりも演技が上手くて、カーテンコールでは一番拍手を浴びていたし、それからしばらくは、他の男たちによく告白もされていたようだった。大学内でも、文香を狙ってる男は何人もいる。
「彰ってば、さっきまで空見てたのに、気づかなかったの?」
「え、どういうこと?」
「未確認飛行物体よ。あっちでね、先輩たちが星空を観察してたら、ふわーっとなにかが飛んできたんだって。たまたま撮影に成功したみたいで、みんなでその映像を確認してるってわけ」
「へぇ、未確認飛行物体ねぇ」
こんなに美味しいものが目の前にあるのに、みんな得体の知れない未確認飛行物体の方に興味があるのか。
「彰は、そういうの信じないタイプでしょ?」
「そういう文香もだろ?」
文香は、ウフフと笑うと、俺の隣に腰をおろした。
「星とか月とか、好きな人と一緒に見られたら、こんなにロマンティックなことはないなって思うけど、未確認飛行物体とかはあまり興味ないかな。どうせ、気球がなにかだろ」
ちらりと上目遣いで俺の目を見た文香は、俺の食べかけの串焼きをひと口食べた。
文香の三日月型のピアスが、風に揺れる。と同時に、文香のつけている香水が鼻をくすぐった。
そのピアスは、俺が文香にせがまれて、大学の合格祝いにプレゼントしたものだった。そのピアスをあげるまで、それこそ文香は俺が覚えられないくらいたくさんのピアスを持っていたはずなのに、今はその三日月型のピアス以外を見ることはすっかりなくなっていた。
「なぁ、文香って、好きなヤツいるの?」
「うん、いるよ。彰くんは?」
真っ直ぐに俺を見つめる文香は、右手でそのピアスに触れると、ゆっくりと俺の耳元に唇を寄せてきた。
トクンと、鼓動が大きく高鳴る。俺は自分の気持ちを見透かされたくなくて、近くに置いてあったトングに手を伸ばした。
「彰くんって、臆病だよね」
文香が耳元で囁く。俺は平静を装うために、目の前にある肉をひっくり返した。ジュワッという音とともに、香ばしい匂いが届く。
文香は、俺の手からトングを取ると、それを空いている場所に置いた。
「念力って、あると思う?」
「え?」
「私、さっきからずっと、念じてたの。大好きな人に、今夜告白されますようにって」
それって、俺のことか?
そう勘違いしてしまいそうになるほど、文香は熱い視線を送ってきた。
文香に告白するなら、今だ。みんなが謎の未確認飛行物体に夢中になっている今なら、ここで伝えても誰も気にも留めないだろう。
いやいや、でも俺の勘違いってこともある。だって、文香とはずっと一緒に過ごしてきたじゃないか。一度だって、俺に気のあるような素振りをされたことはない。勝手に走り出してしまいそうになった想いに、急ブレーキをかける。青信号から突然赤信号に変わった想いを、俺はゴクンと飲み込んだ。
やっぱり、無理だ。告白して万一撃沈したら、俺はどうしたらいい?
文香を失うくらいなら、真っ暗な深海の中で、溺れた方がまだ救われる気がする。
「ふたりの名 万年筆で 記す夜 流れる星と ワインで乾杯」
「え? なに、それ」
文香の言った言葉が、まったく理解できなかった。俺が首を傾げると、文香はポケットから婚姻届の用紙を出してきた。
「彰くん、私が昔、大学の入学祝いにプレゼントした、万年筆持ってる?」
「あぁ、もちろん」
文香からもらった、大切なプレゼントだ。なかなか使う機会はなかったけど、俺はそれをいつも鞄の中に忍ばせていた。
鞄から万年筆を取り出すと、俺は文香にそれを手渡した。
万年筆を受け取った文香は、広げた婚姻届に、自分の名前を書き込む。そして今度は、それを俺に手渡してきた。
「その万年筆は、いつか大好きな人と婚姻届にサインできたらいいなって思って、選んだものなの」
「そうなの?」
それを俺にくれたということは、やっぱり文香は俺のことを?
一度だけ、その万年筆で自分の名前を試し書きをしたことはあったけれど、まさかそんな意味が込められていたとは思ってもみなかった。
「文香、俺」
大切に温めてきた想いを言葉にするなら、今しかないだろ。
俺は真っ直ぐに文香を見つめた。
「なーんだ、ひしゃくなのー? 未確認飛行物体なんていうから、ワクワクしてたのに、ひしゃくの柄が取れたものを誰かが投げてたなんて、ありえない」
「どうせ、中学生の悪戯かなにかだろ」
「さぁ、食べよ、食べよ!」
その声とともに、突然周囲がざわついて、向こうにいた人だかりがバラバラになった。
文香はみんながこちらを振り返るよりも早く、俺からパッと離れた。
「この近くに素敵なカフェがあったの。紅茶でも飲みながら、未来の私たちの話でもしない?」
「はい! 一生ついていきます」
力いっぱい答えると、なぜか周囲から大きな拍手が聞こえてきた。
「もう、ふたりとも気持ち伝えあうのに、時間かかりすぎ。未確認飛行物体で時間稼ぎなんて無理があるんだから、ちゃっちゃと告白しなさいよね」
「ほんと、ほんと」
みんなの冷やかしに、俺たちふたりが見つめ合うと、その先に星がひとつ、流れて消えた。
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(本文の文字数:2,686字)
(使用したお題:「うた」「未確認飛行物体」「ひしゃく」《飯テロ要素の使用》「念力」「万年筆」「ピアス」「カーテンコール」「紅茶」「深海」「赤信号」《和歌or俳句の使用》)
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