【055】ワンルームの極楽

「ピアスの穴がマジでくさい」

 そう言った親友の目はすわっている。待ち合わせの場所に集合した時には、まぶたの上が金色のラメのアイシャドウでキラキラしていて可愛かった。濃いめの口紅がこってり綺麗にひかれていた。

 それがどうだ。小洒落た居酒屋を後にして、私の家に移動してきてからは、アルコール度数の高いお酒に移行したことも手伝い、外見を気にするようなスキルが失われた。眠気と火照りでかゆみを帯びた目蓋を、遠慮なく手の甲で擦り、キラキラのラメは顔じゅうに広がって、あちこちで輝く。口紅だって左右に擦れて、口裂け女風だ。


 かく言う私も、鏡で確認した訳じゃないけど、酷い顔をしているのは間違いない。そもそも河童柄のパジャマを着ているだけでやばい。実家の母が送ってきたものだ。『私には派手だから』という文言付きだったけど、パステルピンクの生地に、ネオングリーンの河童が全面的に、あらゆる場所にプリントされているパジャマなど、どの年代の誰にとっても派手だし、派手以前にセンスについての大きな問題がある。貰い物であることを祈りつつ、誰が購入したものかは確認していない。そんなパジャマを着ているのだ。メイクが崩れてなくたってやばい。


「消毒してないのがいけないんじゃない?」

 ピアスの穴問題に戻る。穴を活用していても、してなくても、穴を擦ると臭う。そういう時がある。

「消毒か……確かにしてないわ……」

 親友は大袈裟なため息をついて、静かにピアスを外した。

 北斗神拳を駆使する漫画の主人公を敬愛する彼女は、北斗七星を点で繋いだ、ひしゃく型のピアスをいつもしている。そのピアスを躊躇いなく、今飲んでいる冷の日本酒の入ったグラスに、どぼんと入れた。

「ダイナミック……」

 大雑把すぎる消毒を施した彼女を称賛する言葉はそれしかなかった。ふたりでケタケタと、妖怪みたいな笑い声をあげる。


「やっぱ鍋焼きうどん食べたいな」

 また目を擦って親友は言った。今日会ってから、もう五回はそう言っている。

 彼女の願いを叶えるのは難しい。彼女が食べたいのは、私の実家の鍋焼きうどんなのだ。鍋焼きうどんとは言っても、家族全員で囲む大きな土鍋で、うどんを煮ただけの料理だ。鍋焼きうどんと聞いて想像するような、エビの天ぷらや、まるごとの椎茸なんかは入っていない。残り物の野菜や肉、そしてうどんで構成されている。わが家でそれが出てきて歓喜する者はいないメニューだ。

 それでも昔から親友はそれを好んでいた。あまりにも入り浸る親友に、飾る気もなくなった母が、ついに鍋焼きうどんを出した時、彼女は大変に驚き、嬉しがった。みんなで麺をひっぱりっこしたり、珍しく入っていた油揚げの巾着のなかに、餅でも卵でもなく、昨日の残り物のきんぴらごぼうが入っていても喜んだ。すっかり食べ終わって、わが家の土鍋の底に何故かモアイ像の焼き印が押されているのを見て、涙が出るほど笑っていた。


 親友は日本酒でピアスを消毒するような豪傑であるが、彼女が育った家は厳しく、お堅い印象が私にはある。

 一人ひとり個別の土鍋があり、寄せ鍋だってすき焼きだって、それぞれ己の鍋をつついてきたのだと聞いた。一人にひとつ土鍋があるなど信じられない私は、それを確かめてみたかったが、彼女の家で食事に招かれた事はなかった。

 彼女の部屋に運ばれてきたのは、ソーサーの付いたティーカップに紅茶、綺麗な包み紙の洋菓子が添えられていた。大人になってから、デパ地下のお店のショーケースに、親友の家で食べたお菓子が並んでいるのを見て驚いた。あの頃、有名でお高いお菓子を雑に飲み込んでいたのだと知り、もったいないと嘆いた事がある。

 二十歳の誕生日には、親から万年筆を貰ったと言っていた。見せてくれた万年筆はキラキラと輝いて綺麗だけど、正直羨ましくはなかった。彼女もいつ、どのような場面でこの万年筆を使ったらいいのかわからない、と困惑していた。けれど親友は私と違うから、高そうだし売ってしまおうなどとは考えなかったし、一人暮らしの賃貸物件の契約書を書く時に使ったと言っていた。存外真面目なのだ。


 そう考えると、私と親友は似ている訳ではない。生家の経済力も教育方針もかけ離れている。それゆえに、成長の過程における経験値にも、多くの違いがあるだろう。

 それでも彼女とは笑いのツボが合って、一緒にいると楽しい。彼女にだけは、正直に打ち明けられる事があるし、お互いの秘密は守る。日本酒でピアスを消毒しても笑えるし、河童のパジャマを着て過ごせる。

 私には、そんな唯一無二の親友がいる。そんなしあわせを感じて眠る。私の部屋のシングルベッドで。親友は私のいつものスウェットを着て、私は河童で。酔って眠ると、私はイビキがひどい。親友は半目だし、開いた口からなぜか歯茎が見える。でもひどい寝顔も見慣れている。考えようによっては、愛おしい寝顔と思える。

 お酒の臭いが充満した部屋に、メイクも落とさずに眠るふたりの女。悲惨な現場に見えて、限りないしあわせがつまっている。永遠に続くといい、私たちの世界。



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(本文の文字数:2,060字)

(使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「河童」「日本酒」「モアイ像」「ひしゃく」「万年筆」「ピアス」)

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